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《七十二候》霎時施‥こさめときどきふる 


『霎時施』‥10月28日から11月1日ごろ
晩秋から初冬にかけ、一時的に降ったり止んだりする小雨のことを時雨(しぐれ)=霎と
言います。



車を運転しているとフロントガラスに
ポツポツとついた雨粒がいつの間にか消えていたり、ランニングをしていると急にパラパラと降りだし、早く帰らなきゃと思っている間に
すぐ止んだり‥



この時期、さっと降っては上がる通り雨に遭うと、あ。時雨かなと思います。


雨を使った日本語は多くありますが
時雨を使った美しい日本語も数多くあります。



朝時雨、夕時雨、小夜時雨
片時雨、村時雨、青時雨‥


袖時雨‥
袖に涙が落ちかかるのを時雨にたとえていう。


涙の時雨
涙を落とすこと。またその涙のこと。


時雨心地‥
時雨の降りそうな様子。涙の出そうな気持ち。

など、涙に例えたものも。





「時雨」からひとつ俳句を。


おもてうら見えぬ心の片時雨

詩的な記憶るん



空の一方では時雨が降りながら
一方では晴れている。

そんな片時雨のように表裏、人の心も笑顔の裏には涙が隠されているかもしれない。
表だけではその真実の半分しか見えていないのかもしれない。


そんなことを想い詠んでみました。




『一雨一度』という言葉がありますが
一雨降るたび、冬へと一歩また一歩と近づいていきます。本当に寒くなりましたね。

 



最近気づいたのですが、季節を感じることは
幼い頃を思い出すことに繋がっていて‥。

きっと大人の今よりずっと
子供の頃の方が季節と共に過ごしていた
ということなのでしょう。


その気づきは自分の中で
バラバラだったピースが揃うような
そんな感覚で‥。


思い立ったが吉日。
小学校時代に暮らしていた街へ
行ってみることにしました。




子供時代を過ごした小学校は
今はもう廃校になってしまったのですが
その校舎や体育館、遊具などは残っていて。

 





学校の周りにも
いつも遊んでいた公園にも



なんてことない曲がり角にも‥


所々にあの日のわたしが居て
この場所で、移り変わる季節の風を
肌で感じながら過ごしていたのだと‥。




小学生の頃、外で遊ぶのが大好きでした。


春には自転車やローラースケート。
ツツジの蜜を吸ってみたり。笑
川でアメンボを捕ってみたり
シロツメクサでお花の冠を作ったこと。



夏には真っ黒になるほど、学校のプールで泳ぎ
木登りしたりキャンプしたこと。


秋には缶けりや色おに、ケイドロ
秘密基地を作ったこと。


冬には雪の中をかけまわり
そりや雪だるま、かまくらを作ったこと。



今思い出すままに書き出しているだけでも
懐かしくて懐かしくて‥胸がいっぱいに。



あの頃、自分の中に育まれた感性であったり
季節を慈しむ気持ちであったり‥。 
きっとそれは「今」に繋がっていて。



これから先どれだけ歳を重ねても
カサカサと奏でる落ち葉の囁きに
耳を傾けれる自分でありたい‥


そんな秋の声を楽しめる自分でいたい‥。


そんなことを感じた一日でした。






秋は、変わりやすいお天気。
朝寒、夜寒。
日中の気温差が激しいのでよりその寒さが身に沁みますね。


わたしは冬の寒さにとても弱く
こたつを出すとそこから離れられなくなるのでギリギリまで粘っていたのですが
さすがにそろそろ‥限界かな。笑



皆さんはもう
冬支度しましたか?



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