見出し画像

輪ゴム入りホカホカごはん。

■「食堂が臭い」。
・先日お昼時、別フロアの日系で働く日本人三人組及び彼らの会社のベトナム人と私は同じエレベーターに乗り合わせた。
・時間的に彼らも私と同様、これからお昼を食べに行くのだろう。ちなみに私が勤める会社が入るビル低層階にはキャンティーン(食堂)があり、ローカル価格150円でベトナムの定食を提供してくれ、便利なので私も良く利用する。
・エレベーターが低層階に近づくと、ある日本人は話題を変えてこうニタニタと話しだした。「このビルの食堂は臭い、臭くて食べようと思わない、○便の匂いがする」と日本人たちはケタケタ笑う。
・彼らの会社以外にも、このビルは日系企業が多く入居し日本語を理解するベトナム人も数多い。しかもエレベーターに同乗していた彼らの会社に勤め日本語を話すベトナム人は上述の言葉に何も返さず、ただ無表情で聞いていた。

■悲しむベトナム人。
・私たち日本人も日本の家庭の味やローカルの食事で生まれ育ってきた、ベトナム人も同様にベトナムの家庭料理とローカルフードを食べて日々の営みを送ってきた。ベトナム人にとってそのローカルはごくごく普通の食事であり、ベトナム人が聞いたら悲しむような事を平気で笑いながら、この日本人は何の悪気もなく大きな声で話している。
・私は暮らし働く場所を日本からベトナムに変えた頃、○便とまではいかないが、ローカル食堂の独特な匂いを上述の彼と同じように感じていた。しかし私は「ポケットに詰め込んだ日本円=少額のお金」がなくならないうちに仕事を見つけて生活する目的を果たすため、一日三食ローカル食堂を利用し、また庶民と同じ目線を持てる事でベトナムをより知る事が出来、一日も早くこの国に溶け込み私の人生を進めていきたい、そんな想いでベトナムの日々を歩いてきた。
・こんな毎日を繰返していると、いつの間にか覚えたてのベトナム語でご飯のお代わりを伝えられるようになり、これは何料理ですかと尋ねられるようになって、余裕が出てきた時には食堂で働く人たちへ「今日も美味しかったよ、ありがとう」と言葉を届けられるようになっていた。

■「でも、ここはベトナム」。
・ローカル食堂ではご飯を食べていると噛み切れない何かを口の中に感じ、それを取り出すと輪ゴムが入っていたり、髪の毛だった事もあった。「オレなんでこんなの食べているんだろう」と自然と涙が頬を伝うも私は食べ続ける、私は必死だった「生きるために食べなくちゃ」、そんな言葉が頭に浮かび雑草スープで定食の全てを味わいもせず瞬殺で流しこんだ事もあった。
・国は関係なく人それぞれ思う事は異なり違った意見があるのは当然だ、しかしその国に暮らす人々の文化や風土、考え方等に想いを馳せる事が出来なければ上述の日本人は同じ言葉をここベトナムで繰り返し放つのだろう。
・ベトナム人に言わせれば「ここはベトナムです、イヤなら日本へ帰ってください」とバッサリ斬られる事は間違いない。このような日本人は欧米などに行けばそのような発言はきっとしないだろう、「日本人は東南アジアを下に見ているからベトナム人を見下す言動になる」とある人は言った。正直な話、日本人の私は自分自身その感覚を持ち合わせている事に、東南アジアで暮らし初めて気づかされた。
・日本人として生まれ育てばそのように感じる事は自然な事なのかもしれない、しかしここはベトナム、そして「ベトナムに生かされている」と思える人とそうでない人の言動は明らかに異なる。「ここで暮らす」私がそう心に決めた国なのだから、ベトナムの人が悲しむような言動はしない事を常に意識し心掛けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?