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へびさんカード

小学校2,3年生くらいだっただろうか。私はかなりの小食だった。

もっと幼いころからそうだった。おにぎり1つ食べるのが一苦労。かなりの痩せ型。同じく痩せ型の友達のお母さんと私の母が会うと、必ずと言っていいほど「●●ちゃん何kgになった?さえはまだ●●kgなの」という話をしていた。

別に食べるのが嫌いだったわけでも何かトラウマがあったわけでもなく、ただただお腹に入らないのだ。すぐにお腹いっぱいになってしまう。公立の小学校に通っていたのだけれど、いつも給食は食べきれなかった。

今の時代の小学校ではどうなっているのかわからないけれど、当時は「給食を残さず食べること」がかなり強制されていて、食べきれない私はいつもクラスの一番最後になって食べ続けていた。給食の後のお掃除の時間も、周囲が掃除をする中、一人で机を残して食べていた。それはなかなかにしんどかった。孤独感もあったし、どうにかして食べない方法を・・・と思い、ランドセルや机の引き出しにパンを詰め込んだりして腐らせる日々だった。今の食いしん坊な私が、かわりに食べてあげたいくらい。

そんなこんなで「食べきれない自分」にもやもやとした気持ちを抱きながら過ごしていたとき、新しい担任の先生がやってきた。大学を卒業したばかりでキラキラとした、美人で可愛い先生だった。可愛いものが大好きだった私は、すぐに先生のことが好きになった。いつも可愛いネイルをしていて、私は「先生、爪かわいいー!」と言いながらいつも近くでうろちょろしていた。

子どもたちには総じてとても人気だった気がするけれど、親御さんが少し冷たい目で先生を見ていることも、子供心になんとなく勘づいていた。小学校の先生にしては少し派手なネイルをしていることや、若くて可愛すぎるところ、家庭訪問のときに道端でペットボトルをラッパ飲みしていたとかで行儀が悪いとか、なんだか重箱の隅をつついた感じの嫌な噂が流れていた。

そんな先生のことが私は大好きだった。それは、可愛いからだけじゃなくて、たくさんの愛情や工夫を込めて、私を給食の苦痛から解放してくれたから。

先生は、新任としてクラスにやってきてすぐ、ある取り組みを始めた。それは、「へびさんカード」みたいな名前だった気がする。
生徒が一人一人、毎日の目標を決める。なんでもいい。「忘れ物をしない」「宿題をやる」とか、なんでも。そしてその目標を達成したら、毎日「帰りの会」が終わった後に先生のところにカードを持って行って、シールを貼ってもらう。そのシールが貯まったら、先生からちょっとしたご褒美がもらえる、というものだった。先生が手書きしたモノクロのへびの絵に、〇がなが~く並んでいて、全部にシールが貼られたら、へびが完成するイメージ。いわゆる、スタンプラリーのようなもの。それが、私のクラスではめちゃくちゃヒットした。先生のところにシールを貰いに行く列は、毎日行列だった。

なんでヒットしたんだろう、と考えてみた。そこには、「継続のコツ」みたいなのが隠されている気がしたから。

1.目標を、自分と先生で相談して決めたこと
設定する目標は、先生と相談して決めた。そのとき自分が苦手だと思っていることを、それぞれ考えて、先生に相談しにいった。私の場合はもちろん「給食をぜんぶ食べること」だった。これが、先生に勝手に決められたものだったら、出来なかったかもしれない。強制されたものではなくて、自分で決めたもの、というのが、よかったように思う。

2.目標は、他人と比べるものではなくて絶対的なものだったこと
例えば「●●くんより良い点数をとる」とかそういう目標は、許可してもらえなかった。誰かと比べる目標基準ではなくて、自分の中に課題を設定すること。そうすることで、誰かと比べる、という感覚を捨てることができていた。みんな誇らしげに、行列に並んでいた。それは誰に対しても攻撃的な感情や優越感を生むものではなかった。誰も「マウンティング」しない世界。とても治安が良かった。

3.目標を達成したかどうかを「チェック」されないこと
例えば私の場合、「給食を全部食べたかどうか」を、先生に確認されたことはなかった。たぶん、いちいち毎日チェックされて、「はい、食べたね~」って事務的に言われていたら、食べるのが嫌になっていたと思う。先生との距離も、生まれていたはず。先生が、完全な自己申告制で生徒たちを信じてくれたことで、生徒たちもなんとなく「嘘はつけない」ような気持ちになっていたような気がする。何より、信じてくれることが嬉しかった。「ほんとに食べたの?」なんて、聞かれたことは一度もなかった。

4.褒めてもらえるチャンスが毎日必ずあること
「先生のところに直接カードを持って行って、シールをもらう」というコミュニケーションが、とっても良かった。自分なりに、「今日は頑張った」と思う日が、あるじゃないですか。それを、その日のうちに、誰かに褒めてもらえる。それってとても嬉しいことで。例えば内気な性格だったり、恥ずかしくて「褒めて!」なんて声を大にして言えない子でも、カードを持っていけばそれだけで、先生に褒めてもらえる。シールを貼ってもらえる。そういうチャンスが毎日あるし、頑張った日は「必ず」褒めてもらえる瞬間が一日の最後に訪れるという感覚が、とても心地よかった。

5.罰則がないこと
この取り組みに関しては、罰則は一つもなかった。出来なかった日に、例えばシールをとられるとかそういうこともなく、カードの有効期限もない。ただ単に、その日のシールを貰えないだけ。「強制されている」「やらなきゃ怒られる」とかそういうマイナスな感情が生まれる瞬間がなかった。それがとても健やかに「給食を食べよう」という感情にもっていってくれた。

6.ゴールが用意されていること
シールが全部貯まったら、「帰りの会」でみんなの前で発表されて、ちょっとしたプレゼントを貰えた。プレゼントは、大したものじゃなかった。でもみんなとっても嬉しそうだった。みんなの前で褒められることもそうだったけれど、でも実際はそれ以上に、「毎日先生に褒めてもらえること」「毎日の先生とのコミュニケーション」が一番嬉しかったように思う。だから、一度ゴールまで到達してプレゼントも貰って、ゼロクリアになった白紙の「へびさんカード」が渡されても、みんな喜々として続けていた。「大きな目標」「大きなご褒美」よりも、毎日の「小さな目標」や「誉め言葉」が勝った瞬間だった。

7.自分の頑張りが、目に見えてわかること
これはスタンプラリーとか、営業成績のグラフとかと同じ心理かも。へびさんカードは、先生が貼ってくれるシールがへびを形作るから、「今、どのへん」とか「ゴールまであと少し」というのが、目に見えてわかった。それがとてもよかった。「あと少し、頑張ろう」と思えた。しかも、それが貼り出されているわけでもないから、劣等感や焦りを感じることもない。
今思えば、先生の立場からしても、声をかけやすい仕組みになっていたなぁと思う。何十人の進捗具合を把握するのは大変なはずだから、カードを見ただけで「あと少しだね!」と言えるのは、大きいかも。でも私の記憶では、先生は「3日連続完食したね!?えらいえらい」と言ってくれてたから、とてもよく様子をみてくれていたんだと思う。今こうして振り返ると、良い先生すぎてなんか泣けてきた。泣

そんなこんなを繰り返しているうちに、給食は私にとってネガティブなものではなくポジティブなものに変わっていって、段々と食べられるようになっていった。基本的に過去のことは忘れがちな私でも、その先生の名前や顔、かけてくれた言葉、給食を食べることができるようになった喜びは鮮明に覚えている。

こうして大人になったいま振り返ると、全部先生の狙い通りだったのかわからないけれど、本当に素晴らしい取り組みだったなぁと思う。
人と比べない目標設定。生徒の自己申告を徹底的に信じること。目に見える進捗管理。毎日のコミュニケーション。ご褒美をあげること。小さな一歩や過程を楽しませること。

これが、私の思う「#挫折しないコツ」でした。

ここまで140日間、毎日noteを書き続けている私ですが、やっぱり「面倒くさい」と思う日ももちろんある。「書けないなぁ」もある。でも、それは「書きたくない」とか「続けたくない」ではない。「面倒くさい」「書けない」「やる気が起きない」っていう感情の中に、少しだけ「書きたい」「続けたい」という感情が含まれているはず。その少しの感情がこぼれないようにこぼれないように、丁寧にすくい取る。それがきっと、「#挫折しないコツ」。皆さんの「#挫折しないコツ」も是非教えてください~!

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。