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「グラスに半分の水」は二択ではない?- 変化の時代に柔軟な発想について考えてみた

先日私の息子の「モップという筆」の話について書かせていただきました。

多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。

その後のランニングで思い出したことがありました。

グラスに半分の水の話です。

よく聞く話は、水が入ってない空っぽの方に目を向けるとネガティブで、既に入っている水の方に目を向けられるとポジティブという話かと思います。

ドラッカーの話でも、ないものをどう見るかという話はあったかと思います。

今あるものに目を向けるというのも素敵な考え方です。

京都の龍安寺の庭園にあるように、
吾唯足知(吾れ唯だ足るを知る) も非常にすばらしいと思います。

他人の長所や自分の長所を見るとき、物質的に満たされているかどうかを考えるときなど、今あるものに目を向けるという考えに支えられてきました。

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しかし、読書のおかげでグラスに半分の水を見るときの視点が2つではないと気付かされました。

なぜ勝手に二択だと思っているのか。

水がないなら足せばいいじゃないか。

これを読んだときは、究極のポジティブだと思いました。

この考えに出会うまでは、だまし絵を見るときのように、自分で勝手に二択と思い込んでいました。

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グラスに半分の水をどう見るかという課題において、誰も足していけないとは言っていないので、半分で足りないと感じるのであれば、足す方法を考えるのも一つだと気付かされました。

さらに、目的に応じてその半分の水をどう見るかにも様々あるような気がしました。

上記の話は「飲む」という目的で「量」に目が向いているという話にしか過ぎないと思いますが、もし飲むための「味」という観点であれば、レモンを入れるかもしれないし、炭酸水が良いのであれば炭酸を足す方法を考えるかと思います。

「うがい」という目的で塩を入れるのであれば、「量」については半分で良いか、むしろ減らしたいと思うかもしれません。

黄色をつけて白い花をさしたら花が黄色くなるし、飲んだ後のグラスを使って紙の上に丸をいっぱい書くなど、視点を多く持つことは可能性を広げるような気がしています。

先日私の3歳児の息子が小さなプールに水が半分も入っていない状況を見て、「プールに入れないのであれば、モップに水をつけて地面に絵を書けば良い」という発想は、まさに柔軟な考え方から生まれた独創的な遊びだったように思います。

最後に

当たり前が変わる時代に生きていて、変容や適応について考える毎日が続いています。

「足りなければ足せば良い」という素晴らしい発想で、既にプログラミング言語や英語などのスキルの習得に取り組んでいる方も多いかと思います。

同じ現実を見て何を考えられるのか。柔軟な発想、多角的な視点が今後の鍵になりそうな気がしています。

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