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カップラーメンを平気で食べ、家のドアは常に開け放たれている…いつの間にか100歳を超えた人の意外な食生活

タイトル見た時、私は特に驚きませんでした。そんな人、全国探せばいますよ。

おばあちゃんに「何してるときが、一番楽しいですか」と訊くと、「テレビ見てるときだな」と答える。食事にしても、カップラーメンを平気で食べていたりする。

この人たちは、長生きしようと思って頑張っているわけでは、全くない。周りの人たちと仲良くしながら、自然に楽しく生きているだけです。


フルマラソンをしている男性を取材されていた映像を以前見たことがありますが、その人は、毎日10kmを走り、走り終えたら、ビールとグリコのポッキーだけという食生活でした。それでもフルマラソン完走する83歳(?)だったと思うけど、高齢ランナーで、ちゃんと完走もされます。

もしかすると、「何歳まで生きるのがいいか」などという目標設定は必要ない。そんなことを気にせず、いつのまにか100歳を超えている。そんな老い方が、一つの理想かもしれません。

「理想かもしれません」の「かも」ではなく、正しくそうだと思います。

ただ、何も考えず、カップラーメン食べていると、普通は100歳まで生きられないかもしれません。だからこのおばあさんは、普通ではない人だということです。

このように、普通ではない人が全国全世界にいらっしゃいます。その人達を参考にすることはおそらく間違っているでしょう。普通の人は、普通じゃない人と同じ生活しても、普通に終わってしまいます。

やっぱり持って生まれたものって大きいんじゃないでしょうか?あと若い時からの生活習慣が高齢になって影響出てくると思います。

年取ってから健康に良いことを始めても、体への影響は少ないかもしれません。筋肉は何歳からでも付くと言われていますが、習慣化できる精神力があるかどうかの方が問題です。

何を参考にし、何に取り組むかは人それぞれです。人に勧められてよほど良いものだと分かっていても、できないことはいっぱいあります。結局、自分の都合で選択しているだけですから、終焉はその人の生活習慣の延長線にしかないと思います。

なるようにしかならない。

この言葉に尽きるのでしょうか!

少々辛口な言い回しに、「100歳まで生きたければ、100歳まで生きたいと思わせることをすべてやめること」という表現もありますが、老い方は生き方に他ならず、「どう老いるかは、どう生きるか」なのかもしれません。

これも「かも」ではなく、正しくその通りだと私は思います。精一杯生き抜いたら、いつまで生きようが、いつ死のうが、別に大きな問題ではないのかもしれません。

エイジング革命 250歳まで人が生きる日/早野 元詞 (著)



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