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「ねぇねぇ聞いて」で始めた『note』気づけば「比較」。ストレスとプレッシャーになりかけた


本日も安定に不調のしょんぼりな、つむです🌻

こんばんは。
もう夜なんですね。ということは
今日も安定に、いや日を追うごとに絶絶絶不調を突き進んでいるような気がしてなりません。なぜだろう。
過去に、死のギリギリまで行ったのちに地獄の入院生活を送った季節だから?
それとも、2年前に休職し始めた季節だから?

自分でも理由はよくわからないけど、毎日同じことを考えては、
今すぐにどうすることもできず、しょんぼりなつむです。

今朝のつぶやき。気づいたら投稿していた。でもこれが本音だった

そして今朝のつぶやき。あさ4時前から起きていたのに、
なにもせず、ベッドに寝転がりながら。
やっとスマホを手にし、noteを見て。
自分の想定と、結果が違ったのでしょう。
絶望的な気持ちで、つい、あんなことを。
いつも見て、スキをくださる方がいるのに。ごめんなさい。

あたたかいことばを伝えてくださった方、
スキをくださった方、本当にありがとうございました。
自分は気付かぬうちに、「note」がプレッシャーになっていたことに気づきました。
結論は、今朝のつぶやきにほぼ集約されていますが、
自分の振り返りも兼ねて、もう少し丁寧に記載します。

いつも周りと、過去の自分と、比較して「自己否定」

「ねぇねぇきいて」で始めただけが。気づけば様々なことがプレッシャー

引きこもり。連絡を取る友達もいなくて「ひとりぼっち」

ただひたすら
いわゆるノートに、ペンで「ひとりごと」
あらゆることを書いていました。
でも、ある時「さみしいな」という気持ちになって。
手書きが大好きだったけど。ネット、電子機器、などは元々あまり得意ではなかったけど。
それでも、
誰かの目にとまって読んでもらえたら、誰かに届いたらいいな
そんな「ねぇねぇきいて」のきもちではじめた『note』。

はじめはひとりぼっちのスタートで。
右も左も分からない、まさにそんな感覚で飛び込んで。
でも、記事を投稿すると、誰かがスキやコメントをくださって。
フォローしてくださる方もいて。
今日は投稿厳しいな、という日もあったけど、
このnoteの記事を投稿し終えた後の、「○日連続
気づけば無意識のうちに、その言葉にもかなりとらわれていたようで。
昔からいろんな先生に友達に、「完璧主義」「やりすぎ」言われていました。
今日投稿しなかったら記録も途絶える、
読んでくださる方が減るかもしれない、
そんなある種「強迫観念」的なところから、
必死に何かしらを投稿した日も、正直少なくはありません。
そうやって、今回の投稿はどうなるのだろう、
いつしか、そんなヒヤヒヤした気持ちも頭の片隅に、投稿していました。

幼少期から、周りと時に競争、比較し、上を目指すのが当たり前だった

おそらく多くの方がそのような経験をされていると思います。
幼稚園の時から、お仕事(つむの幼稚園ではそう呼んでいた)の数や内容、完成度、
運動会では徒競走で順位づけ。
小学校では(自分は公立だったので)、テストや学習成績をみんなの前で発表されるようなことはあまりなかったように思います。
しかし、運動会となると徒競走やリレーの選手選抜、当日の「リレ戦」
順位や勝ち負けがありました。

こう見えてつむさん、走るのは速く、徒競走はダントツ一位🥇
リレ戦は常連、6年生の地域全体の学校が集まる大会では、
リレ戦のアンカーをしました!(くだらない自慢話をごめんなさい)

※ちなみに。
(いま、自分が住んでいる地域の公立小は順位やリレ戦、紅組白組の勝敗もないそうです。名称は運動会ではなく「スポーツフェスティバル」。
これの良し悪しについては、述べません。事実のみの記載です。)

中学受験以降は、おもいっきり順位、競争。常に緊張、心はへとへと

集団の中学受験塾は、定期的にその塾の全校模試があります。
点数、順位、偏差値、志望等判定はもちろん個人に渡されます。
が。
自分が通っっていた塾では、成績上位者、当時は4科目それぞれと総合、
計5種について、成績上位者の「順位、指名、所属校、点数、偏差値
が記載された「順位表」なるものが配られていました。
(個人情報もいいとこですね。😱)
自分も、ある時までは、わりと上位の常連外れることなし。だったのですが、ある時から、順位表には載らない成績に落ち、惨めな思いをしました。
「順位表」に載っていた時もそこから外れた後も、
常に、自分の努力は当たり前、
それより、その結果が周囲と比較してどうか
が重要視されていました。
大人がみな、結果ばかりに注目し今回の順位は、偏差値は、
と言っていたので、おのずと自分もそこばかり、そこだけを見るようになりました。

中高は(自称進学校の)私立だったので、定期試験ごとの成績を公表されるのが当たり前でした。公立もかな、わからなくてごめんなさい。
途中から苦手科目についていくのが必死、かつ欠席が多かった自分は
成績は基本的に低空飛行だったので、
「つらかった」です。でも、事実だから受け入れざるを得ませんでした。
大学受験、指定校推薦等、ほぼ同じような状態でした。
つまり。
いつなんどきも、他人と、過去の自分と、比較し競争して生きる。
そして、その比較するものは、学力つまりはテストの点数、成績など、
目に見えて数値化され、客観的に誰にでもわかるもの。
順位がつけられるもの。』

こうして生きるのが当たり前だったので、そうやって生きていくものだと思っていたから。
それがカラダに、頭に、染み付いてしまっていたのだと思います。
もちろん、自分の性格や特徴もおおいにあると思います。
自分はおそらくその結果をより強く感じ、気にして生きてきて、
壊れて。
命を落としかけるまで自分を追い込んで、ここまでボロボロになって。
せっかく手に入れた仕事も後少しで失うところまできて。
いまはきゅうけい、休職中。noteはリハビリ、気晴らし、気分転換。

頭ではわかっているのに、
でもまだ、やっぱり気にしてしまう自分がいました。
みんな人それぞれ。なんて投稿しているくせに、
スキの数などで、
最近反応が少ないな、みんなこんなの興味ないのかな、
何がいけないのかな
自分がスキをする人の「スキの数」全然違う。
自分やっぱ価値ない。無駄か。
と、勝手に悪く解釈して、「自己否定」。

ちゃんと誰かが見てくれている、誰かに届いているはず

だけど。
読んでくださっている方、スキをポチッとしてくださる方、
言葉を届けてくださる方がいる。
そこに、きちんと目を向けて感謝する。
そして、誰かとの比較ではなくて、
「つむ」のありのままをみなさんにお届けする。
いつもつたない言葉で、読みにくい文章で申し訳ないですが、
これからは、
『自分』=『つむ』をしっかりともって
へこたれながら?ちょっとずつ頑張ろうと思いました。

みなさん、いつもありがとうございます。
これからも、「つむ🌻」をどうぞよろしくお願いします。

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