210.諦めていた頃。
209の投稿で『花見山』で撮った写真を載せています。
今回は連休中に別件で用事があった福島市。時間があったのでフラッと立ち寄った福島市の花見山です。
ここは、結婚当初に元旦那さんとお姑さんが私を連れてきてくれた場所です。(お義母さんが着いてきた?いや、私のために連れてきてくれた!多分w)
「ここ来たことある!」そんなことを想いながら2度目の花見山。当時の心情を嫌でも思い出します(笑)
旦那の歩くスピードに合わせて歩くことに必死。
姑さんの様子を歩きながら横目で確認しつつ、ご機嫌が悪くならないか顔色を伺いながらの会話。
当時は花真っ盛りの春に行ったこともあり、とにかく混んでいた!ということもありましたが…
花を楽しむ気持ちがあったのか、なかったのか記憶にありません。
覚えているのはこんな気持ち。
「なにをやっているんだろう私は…。」
「早く帰りたい。早くひとりになりたい。」
虚しい、そんな言葉が合うかもしれません。
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マッチングアプリで知り合い、知り合ってから1週間でお相手からのプロポーズ。
プロポーズの決め手は「母さんとうまくやれそうだと思ったから」だそうです。
同居前提のプロポーズでした。
お義父さんを亡くし、お義母さんと旦那が暮らす大きな家。
お嫁ちゃんがきてくれれば完璧!と言わんばかりの…
そのお嫁ちゃん枠に抜擢されました。
選ばれて嫁いだ先の、結婚当初の外出が ↑ です。
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お嫁に入るということは、我慢があって当たり前、お姑さんの顔色を伺って当たり前。旦那さんの歩くスピードに嫁(私)が合わせるのが当たり前。気持ちが苦しくても、苦しくないふりをして日常をこなすことが当たり前。
(当時は仕事も同じように感じていました。社会で働くということは、我慢があって当たり前、上司の顔色を伺って当たり前。上司の働くスピードに部下が合わせるのが当たり前。気持ちが苦しくても、苦しくないふりをして業務をこなすことが当たり前。)
それが『当たり前でしょ?』という諦め。
現状に不満はあるけれど、現状以上を求めることがめんどくさいし、人にどう思われるか気になりながら自分をだすなんて、怖いわ。だったら今のままでいい。「私さえ我慢すれば・・・」
このように文章にしてみると、病からの回復、心豊かな暮らし、自由、幸福、充足感…
それらを諦めていたことがわかりますね。
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しかし、病からの回復、心豊かな暮らし、自由、幸福、心の充足感を諦めきれなかった私は、自責の気持ちがありながらも離婚したいと切り出しました。色々ありましたが、結婚後約半年で離婚が成立し、数年がたち、今に至ります。
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今私は自由です!
何に関心を持ち、何にときめき、ときめきをどう表現するのか、私は自由です。
あの頃も実は自由だったはずなのに、私は、私が決めたこうあるべきの『枠』のなかで一人縮こまっていました。
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さて、この1年をかけて少しずつ枠が外れ、自分を表現できるようになってきました。
ちなみに私、こういうものにときめきます|ω・)♡
今日の夜、撮りました♪
カラーコーン・・・(笑)
あー!楽しい😁✨
全てスマホXperia5で撮っています♪
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