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【短編】人外娘の心外な夢 終

【アルラウネ】霖の日の終わり

「もうすぐカラカラ期かぁ。今年も種を残せなかったなぁ」

 ぽつぽつとまばらに降る雨粒が、アイシャの幹をしっとり濡らしている。
 雨季にたっぷりと養分を大地から吸収した彼女の身体は少しだけ膨らんでいる様に見えた。
 
 あの日。
 オルと最後に話した日に、二人で暇を持て余し手遊びをしていた場所で、あの時の、オルとの最後の会話を思い出していた。
 ぬかるんでいた大地はだんだんと固くなり始めていて、樹海の雨季の終わりを告げる大粒の種を宿した大樹の実が辺りにごろごろと転がっていた。
 頭上を見上げると大樹からは今もぼとり、ぼとりと大きな実が落下しているところだった。
 この実達は乾季が始まる日までにゆっくりと地中に潜り、次の雨季が訪れるまで硬い大地の中で辛抱強く堪え忍ぶ。
 そしてまた、雨季の始まりと共に地表に現れ豪雨の濁流と共に樹海の外側へと流れそこで芽吹くのだ。
 樹海の領土を、彼女達の楽園を拡げるために。

「オル……どこ行っちゃったんだろ。つまんないつまんないつまんないなぁー」

 幹から生える両側の枝をじたじた振り回し、頭から生える蔦をワサワサと振り回した。
 伸びた蔦がブンと勢い良く大樹にぶつかり、幹の一部が簡単に抉られ吹き飛んだ。
 気晴らしに大樹を破壊しては触手による操作で元通りに復元させるのが溌剌はつらつなアイシャの暇潰しの術だ。
 アイシャが一人騒いでいると近くの木陰から声が聞こえた。

「やぁ、誰かが物騒に暴れていると思ったら、アイシャじゃないか」

「あ、リリー。森の奥まで来るなんて珍しいわね。何か新しい噂でも拾ったの?」

 現れたのは縦にぴょこんと長い兎の耳を生やした女形の魔物だった。
『早耳のリリー』樹海に住む魔物で、ガナキサの樹海一の情報通である。
 
「いや、そろそろ雨季が終わるから、この辺りも水が引いた頃だと思って遊びに来ただけだよ。蓄えも欲しいところだしね」

 そう言って近くに転がる大ぶりな実を手に取り、硬い皮をむしりむしりと剥ぎ始めた。
 どうやら乾季の前に栄養源を確保するため、大樹の実を拾いに来たらしい。

「ふぅん。そっか。……あっ! そう言えばリリー、あなたの噂、今回は外れたわね! 人間が樹海に来てるってやつ! オルと二人で探し回ったのに、結局見付からなかったわ。今度の雨季も人間と交わることなく終わっちゃったわよ。樹海一の情報屋も、いい加減な噂を広めたりするもんなのねぇ」

 皮を半分ほど剥ぎ、実をかじり始めたリリーに、アイシャはまるで自分が騙されたかのように森に大々的に流布された噂を皮肉った。

「ん? ……んん?」

 対しリリーは何のことだか分からないと言いたげな不思議な表情で返す。
 モグモグと実の半分を急いで平らげると口の周りに付いた汁を腕の毛で拭い、アイシャに向き直る。

「アイシャ、君は不思議なことを言うね。君の親友だったオルが、人間の男と二人で森を出たって森は一時期噂で持ちきりになったじゃあないか。情報屋のボクの立場が型無しだよ。まったく」
 
 リリーは両手で抱えた実を持ち上げ肩をすくめる。
 
「というかその口ぶりからすると、君は知らなかったのかい? 親友だったのに? まあ、この最奥部辺りは一番雨の酷い頃にはアルラウネしかいなくなるから、情報に疎くなるのも仕方ないけれどね。とにかく、ボクが流した情報に誤りは無かったさ」

「何よそれ。知らないけど」

「ボクが外の情報網を尽くして調べたところによると、その人間の仲間を助ける為に自分の魔石を差し出したって話さ。考えられないよね。魔石だよ? 死んじゃうのにね」

「何それ!? ちょっとそれどういう事よ! 魔石を差し出したって、何のために!? 人間を助けるって、いったい何がどうしたって言うのよ!」

 勢いよく蔦をリリーの身体に蒔き付け引き寄せる。
 リリーは瞬く間に雁字搦がんじがらめにされ、抱えていた実がぼとりと落ちた。
 
「わっ! 何するのさっ?!」

「ちょっとリリー! 詳しく教えなさいよ! オルは、オルはどうなったの!? ちゃんと生きてるんでしょうね! でまかせ言ったら容赦しないわよ?!」

「いっ、痛っ! 生きてるわけないだろ!? 魔石を身体から抜いたんだよ!! その場で死んじゃったに決まってるじゃないか! 痛い痛い! 痛い!!!! 死んじゃう!! アイシャ放して! 潰さないで!!」

 ギチギチと蔦を締め上げられリリーの身体から数回、ぼきりと鈍い音が鳴った。
 リリーの悲鳴でようやく蔦に込められた力が抜け、するすると蔦が解かれていく。
 べたっ! とリリーが膝から崩れ、同じようにアイシャもべたりと大地に手を付く。

「そんな……何でそんなこと……何のために……? あ、もしかして密猟者に騙されて……?」

「いたたたた……、折れちゃったよもぉ……、後でアイシャの薬草貰うからね。その何でも治しちゃうっていう頭のやつ。酷いよもぉ……」

 リリーは苦しそうに足や腕をさすりながらゆっくり立ち上がり、ブツブツ呟く。

「薬草? 何よそれ」

「え? 知らないのかい? 君たちは本当に自分たちのことに興味がないんだなぁ。人間のこととなると、目の色を変えるくせにさ」
 
 怪訝そうにリリーをめつけるアイシャと、蔦から解放されて痛そうにしながらも飄々と振る舞うリリーはどこかちぐはぐとしていた。

「ふん。私たちは寿命以外で死ぬことはないんだから、細かいことは良いのよ」

 アイシャは鼻息荒く答えそっぽを向く。

「……まあ、ボクはケガさえ治れば別にいいんだけど」
 
 確かに骨は折れたはずだが、リリーに痛がる様子はもうなかった。
 
「オルと一緒に森を抜けた人間ね。ハンターじゃなかったそうだよ。魔法も使えないボンクラだったって話さ。君たちの足元にも及ばないくらいの。正真正銘、非力なただの人間だよ」

「……? そんな……じゃあ、どうして? 何のため?」

「分からないのかい? ああ、そっか、アルラウネは短命が多いから感情が少ないんだっけ」

「何よ、それ。私達を愚弄するの?」

 じっとりと言葉を発し、リリーを睨み付けるアイシャ。
 リリーは慌てて口を開く。
 アイシャから放たれる殺気がリリーの背筋を凍らせた。

「違う違う! そうじゃないよ! その蔦しまってよ! ……そうじゃないけど、君達アルラウネは子孫を残したらすぐに枯れてしまうだろう? だから、感情の発育が未熟なままのことが多いんだよ。ボクが言ってる事、解るかい? うん。ピンときてないみたいだね」
 
 アイシャは変わらずリリーをじっと見ている。
 
「うーん……そうだなぁ……うん。アイシャ、君は生まれて数年しか経っていないだろう? 知ってるよ。ボクは君が小さな苗木だった頃から知ってるからね。どころかボクは君のお婆さんのお婆さんのお婆さんとも会ったことがあるよ。君達はとても強いこの森の支配者だけれど、寿命はそう長くはない。それはこの森の者なら皆知ってることさ。君のお婆さんも、そのまたお婆さんも、そのまたお婆さん達も皆、子孫を残すことで頭がいっぱいで、それ以外の感情は後回しだったんだ。生きて、人間を最期の養分にして、種を残して。そして朽ちる。何世代も何世代も、その繰り返しだ。ボクみたいな自由なヤツから見たら、君達にはただそれだけしかない可哀想な魔物ってことさ」
 
 リリーはやや口早に言葉を繋げる。
 アイシャはそんなリリーを見つめたまま何も言わない。リリーの言葉の意味を理解しているのかそうでないのか。その表情から察することは難しい。
 
「だからね」
 
 リリーはそこで一旦言葉を区切る。
 
「オルが、あの子がそのただの人間にどんな感情を抱いたのか、君達は解らないのさ。きっと、永遠にね」

「……」

「あの子は、アルラウネにしては賢すぎたんだよ」
 
 リリーはほんの少し顔を強張らせながら言い終える。
 リリーをずっと睨み付けていたアイシャの表情が、だんだんと困惑の表情へと変化していく。

「わからない……わからないわよ。あの子は、オルは、一体どうしてその人間と出て行ったのよ。あんたが言ってることも難しくてちっともわからない。リリーにはオルが何を考えていたのかわかるの……?」

「まあ、ちょっとくらいはね。たぶん、その人間の男のことが好きだったんじゃないかな。人間を好きになるなんて、それこそボクには到底理解出来ないけれどね」

「好き……? 好きって何……? 交わりたいってことじゃないの……? 種を残したいのとは違うことなの?」

「違うよ。全然違う」

「じゃあ、好きって何なのよ……」

「一緒に居たいってことさ」
 
 少しの沈黙。
 アイシャは、懸命にリリーが言う『好き』というものを考えた。
 考えたがーー

「分からないわ……。あんたが言う事は難しくって分からない。……けど、オルはその人間と一緒に居たかった……のかしら……」

「命をなげうつくらいには、そうだったんじゃないかな」

「そう……」

「その人間に復讐でもするかい? そいつがどこにいるかくらい調べることは出来るよ。ボクならね」
 
 アイシャはほんの僅かばかり考え、今度はすぐに口を開いた。

「……いえ、要らないわ」


「私は、種を残さなければならないもの」



 雨季ーーそれは繁栄と輪廻の季節。

 普段は獣の鳴き声と樹木のざわめきで埋め尽くされている樹海は、この時期に限っては全てを雨音に覆われ濁流の様な茶色く塗り潰された喧しさに支配されてしまう。
 数ヶ月に及び降り続けるながあめは1年の半分程を占める乾季から大地の様相を一変させ、赤茶けバリバリに渇いた生命を、黒々とした獰猛な獣へと変える。
 そこに棲む者達を、ひっそりと生きながらえるだけの存在から、次の世代へと命のバトンを繋ぐ生存競争の主役に生まれ変わらせる。
 ここ、ガナキサの樹海と呼ばれる『魔区』も例外ではない。
 

「ーーねえアイシャ、最近森で流れてる噂、聞いた?」



fin.

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