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「共生」は「みんな仲良し」ではない。

――宗教や国、価値観が違えば、相手が「鬼」に見えることはあるし、誰もが同じ宗教、国籍、価値観に揃えることは不可能といっていいでしょう。だからこそ、本当の意味での「共生」とは、「みんなちがってみんないい」ではなく、良くも悪くも「みんな違ってみんなどうでもいい」というスタンスなんじゃないかなと思い至ったわけです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

大学生作家として本を書いたり、本を届けたり、本を届けるためにイベントを開催したりしています。

今回は「『共生』は『みんな仲良し』ではない」というテーマで話していこうと思います。



📚桃太郎合宿が始動!

僕は今、桃太郎合宿に来ています。2年前からnoteでお世話になっている大谷八千代さんのご自宅におじゃまして、絵本『桃太郎』の物語を共同創作しているんです。

今の時代に求められているのは、鬼を退治する勧善懲悪の物語よりも、鬼と友達になる共生の物語の桃太郎だと考えた僕は、「桃太郎」を卒業研究のテーマに掲げてその歴史を調べ上げ、「桃太郎」の物語のアップデートを試みることにしました。

2年前には『桃太郎』という小説を書きましたし、つい先日には「BOOK TALK LIVE “桃太郎”」というトークイベントを開催しました。最近は特に桃太郎づくしで、僕のことを「桃太郎」と呼ぶ人もいるし、プレゼントや差し入れにきびだんごをもらうこともあります(笑)

さて、そんな桃太郎もとい僕が、次に手を出したのが、絵本『桃太郎』をつくることでした。子どもから大人まで楽しめるようなコンテンツはそう多くないし、「桃太郎」といえば絵本という側面もありますから、絵本から逃げることはできないと思いました。

そこで絵本『桃太郎』の制作に乗り出したわけですが、僕がぱっと物語をつくって絵本にしても面白くないので、みんなでつくりあげることにしました。「共生」を謳う絵本をつくるんだから、「共生」を意識した作り方をする方がいい。そんなことも思ったので、できる限り多くの人を巻き込んで、仲間にして、絵本『桃太郎』をつくりあげることにしたんです。

これまでに僕は何度か「みんなでつくる」経験を重ねてきたんですが、基本的にオンラインが多かったので、次やるときはオフラインで、対面で行おうと考えていたんです。そこで、絵本『桃太郎』は対面でみんなでつくることにして、つくること自体を盛り上げるために、桃太郎合宿を企画したというわけです。

偶然大谷さんとオンラインでミーティングする機会があって、大谷さんは自宅を住み開きや宿泊施設にしたいという気持ちがあり、僕は創作合宿をやってみたいという気持ちがあり、お互いにそれを共有したことをきっかけに、今回、大谷さんのご自宅にお邪魔して桃太郎合宿を開催する運びとなったのです。

昨日チェックインしたばかりで、まだ創作は何も始まっていませんが、既に手ごたえを感じています。

大谷さんの本棚


📚決起会で呑み語ったこと

今回の参加者は僕と、僕の親友と、大谷さん。この3人で絵本『桃太郎』の物語をつくっていきます。昨日は夕方頃にチェックインしたんですが、僕は到着したときから大谷さんのご自宅に魅せられて、ひとりでテンションが上がっていました。住み開きや宿泊施設にしたいと言いたくなるのがよく分かるくらいに、それらに適している物件だったのです。

元々建築事務所兼自宅だった場所らしくて、広い作業スペースがあるし、2階には持て余すくらいに部屋がある。4~5人くらいは普通に泊まれるので、それこそ創作合宿等に向いているんですよね。

さらに、ご自宅があるのは千葉県の九十九里浜からそう遠くない場所。リフレッシュがてら海風に吹かれにいくこともできます。そこは風によって砂浜に模様が現れる風紋と呼ばれる現象も見られるそうなので、今日どこかのタイミングで見にいこうと思います。

期待値が爆上がりした1日目の夜は、みんなで夕食を兼ねて決起会。おさしみや焼き鳥を食べながら、近況や今回の桃太郎合宿のことについて飲み語り合っていました。そこで僕が強く印象に残ったのは、「共生」にまつわる対話でした。

決起会


📚「共生」を捉え直す

「共生」の物語の『桃太郎』をつくろうとしているわけですが、果たしてそれを実現するためには、どのような手立てを施せばいいのか、考える必要があります。そして、それを考えるためには、「共生」とは何なのか、どう定義するのかを決める必要があります。そこで、3人で「共生」についてあれこれ議論していたんです。

そこで満場一致だったのは、「共生」って「みんな仲良し」ではないよねってこと。

「共生」ときくと、どうしてもみんなで手を取り合って、みんな仲良しのイメージがついてまわりますが、一度立ち止まってよく考えてみると、捉え直す必要があることに気付かされます。

宗教や国、価値観が違えば、相手が「鬼」に見えることはあるし、誰もが同じ宗教、国籍、価値観に揃えることは不可能といっていいでしょう。だからこそ、本当の意味での「共生」とは、「みんなちがってみんないい」ではなく、良くも悪くも「みんな違ってみんなどうでもいい」というスタンスなんじゃないかなと思い至ったわけです。つまり、お互いに過度に干渉しすぎないということ。「そういうものを信じているんだ」「ふーん、面白そうだね」で終わりでいいってことです。

ただ、ここで僕らは、「共生」の『桃太郎』はそれを描く絵本でいいのかという課題にぶつかりました。「みんな違ってみんなどうでもいい」を描くことは簡単です。人間と動物と鬼それぞれの世界でそれぞれが独立していて、お互いに過度に干渉しない物語にすればいい。分かりやすくいえば、どの世界の住人も別の世界の住人を退治しなければいい。

現実的な「共生」はそうなのかもしれないけれど、それならばわざわざ絵本で取り上げる必要もないし、面白くない。せっかくつくるなら、希望的で、少し理想的な、今よりも美しい世界を望むような物語にしたいという気持ちがありました。

そこで今のところ、僕らのなかで「これかも」と結論づけているのは、「共生とは、共に時間と空間を共有すること」です。


📚時間と空間を共有すること

3年前に、僕はnoteでドイツのビール会社「ハイネケン」のCMについて取り上げました。詳しくは以下の記事をのぞいてほしいんですが、簡潔に言いたいことをまとめると、「たとえ思想や価値観が違っていても、それを知り合う前に、同じ時間、空間を共有した者たちには絆が生まれる」ということです。

同じ教室で同じ時間を過ごしたからこそ、何年経っても、同級生との絆って息の長いものになるし、何年も何十年も連れ添った夫婦は好きとか嫌いとかそういう次元の関係性ではなくなるじゃないですか。

そういうことを踏まえると、「同じ時間と空間を共有すること」が「共に生きる」につながるんじゃないかなと思うわけです。好きでも嫌いでもいい。仲良しじゃなくたっていい。同じ時間と空間を共有すれば、その間には関係が生まれるし、認め合うことも、尊重し合うこともできる。そんな気がするんです。

したがって、桃太郎と、鬼と、動物たちとが、同じ時間と空間を共有する物語にすることが、現時点での方向性です。

これからがっつり共同創作。あれこれ議論しながら、よりよい物語を紡いでいきます。同じ時間、同じ場所で、仲間とともに。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20240319 横山黎




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