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僕の鬱病療養日記⑧

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年11月29日(金)朝5:30

 猛烈に眠たい。今日もまた朝の4:00に目が覚めてしまった。もう一度寝ようとしてみるものの、なかなか寝付けずにいたので、そのまま起きることにした。おそらく昼に一度仮眠を取ることになると思う。早寝早起き昼寝が、一番人間にとって良い生活リズムらしいのでこれはこれで悪くないかもしれない。ただ、眠気が強いとそれに応じて、心がざわついたり、鬱のときの感情が芽生えてくるのでそれだけ気をつけておきたい。生活リズムを崩してしまいたくはないけれど、この後眠くなってしまう場合は躊躇なく寝てしまおう。

 今回もまずは寝起きの話からになってしまった。起きてからこの日記を書くまでのことや、今の気持ちについて書くことが最初の決まりのようになってきている。それはまるで、対話のワークショップにおける「チェックイン」のような働きをしている。
 僕は鬱になる前は様々な場で対話のワークショップを行ってきたが、「チェックイン」とは、その最初に行われるもので、場の参加者の今の気持ちを確認するものである。たいていは「今の気分を天気で表すと?」「元気度をMAX100%で表すと、今は何%?」などといったようにして、自分の状態を確認する。
 書き始めの、朝のことについて書くことは、ぼくにとってそんな役割を果たしている。「さあ、とりあえず書いてみるけど、今どんな気分?」

 ちなみに今はリビングで一人、スマホでジャズの音楽を聞きながらパソコンのキーボードをカタカタと打ち込んでいる。部屋着として着ている服のフードを被るといい感じに視野が狭まり、目の前のことに集中できている。ただ、朝っぱらからフードを被って、無言でパソコンを触ってるって、周りから見たら、少しへな人かもしれない。

 さて、noteで鬱病療養日記を書くようになって、他にも鬱病の渦中にいる人達がほかにもnote内にいるのだろうかと少し気になり、最近タグの「鬱」「うつ」で検索をかけて他の人の文章も見てみるようになった。そうしてみると、思っていたよりも、当事者でありながら文章を書いている人が多いということに気がついた。

 昨日も30分ほどかけて、色んな人の投稿を読んでいってみたが、どれも簡単に「わかる」とは言いたくないけれど、共感できる部分が多かった。特に「鬱ではあるものの、こうしてnoteに文章を書くことは出来るし、人と会うことも出来る。ただ鬱であることには変わりない」といった文章を見たときには強く共感した。

 僕自身も、こうしてずっと文章を書くことは出来る。自分の感情を整理して言葉に出来るようになったという時点で、かなり回復はしているのだと思う。「もう自分は鬱ではないのでは?ただ怠けているだけなのでは?」と考えることも多い。けれど、今でも何度もしんどくなることは多いし、これからに向けて何か行動を起こそうとすると、とても怖い気持ちになってしまうのも本当だ。だから自分で自分がわからなくなる。このままじゃいけないのはわかっているけれど、かといってこれからどうすればいいのかもわからない。いや、正確にはわかってはいる気がするけど、また動き出すのが怖い。

 人とのつながり、社会とのつながりを求めている一方で、もう一度つながり直していくのが少し怖いのだ。それでもずっとこの状態でいたいわけではないから、くさってしまいたくはないから。少しずつその恐怖と向き合いながら、自分なりのペースでやっていきたい。人は人。自分は自分だ。自分が心地の良い生き方を見つけられるのであれば、それは人生100年時代と言われている今、20代全部を費やしてでも、十分に早いと言えると思う。

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読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介します。

今日は 西村佳哲さんの著書「自分をいかして生きる」から、一つの言葉を紹介します。

 「働き方研究家」として活動している西村佳哲さんが、様々な人にインタビューをしながら、「自分をいかす生き方とはなんだろう?」ということを探っていく内容となっています。

 西村さんの本は、インターンをしていたNPOで必須の読書本となっており、そこから知りました。この本も含めて、他の著作も、物事の表層の部分だけを切り取るのではなく、もっと本質的な部分を表現していっているように感じるので、とても好きな作品が多いです。そして、この本の中に以下のような文章が書かれていました。

現代国語のテストで見かける、「前後の文脈を理解して文中の空欄を埋めよ」といった問題に答えているより、出題に使われるような文章を、自分の物語としてまるごと書き下ろしてゆくほうが面白いんじゃないか。そうでないと、いきていることが、どこか答え合わせのようになってしまうように思う。

 いきかたの答え合わせをするのではなく、むしろ自分の物語として描き下ろしてゆく。

 僕は自分がどう生きていったらいいのかが全くわかりません。何度も何度も精神のバランスを崩していて、いったいどうすれば自分はまともに生きられるんだ!!と叫びたくなることも多いです。

 ただ、鬱からだんだんと回復してきた今、ここまで波乱万丈な人生もなかなかない。たしかにおかしな生き方かもしれない。けれども、ここまでくるともう開き直って、こんな自分なりに生きていく方法を探していくしか無いなと、ある意味で気持ちのいい部分もあるような危がしています。
 今書きながらちょうど思ったのですが「まともに生きる」ってなんなんでしょう?もう一度自分の中にある、常識や当たり前を見直してみてもいいかもしれないなと思いました。

 人とは違うペースでしか生きられないのであれば、そんな自分なりに、「どうすれば」という正解を探すのではなく、自分だけのいきかたを探っていければいいなと思います。
 なかなか難しい、難しいけど、そのことを信じたい。

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鬱の渦中にいる方々への手紙

ときどき、note内で鬱の状態にある方々の文章を読んでいます。
今もどこかで同じように苦しみの中にいる人達がいるんだなと感じました。
僕自身もなかなかどうしていけばいいのかわからない状態ですが、
どうか少しでも心が安らぐ瞬間が増えることを願っています。

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