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観察日記996

観察日記996
おはようございます。
「しんがりの思想」を読書中です✋

・「見て見ぬふりをする」と「見ぬふりをして見る」
 ・「見て見ぬふりをする」
  ・乗客が他の乗客に「迷惑」をかけられているのに、「理不尽」だと思いながらも、注した後の展開が怖くて身動きできず、傍観を決めこむ
 ・「見ぬふりをして見る」
  ・家庭の事情で子どもが泣きじゃくりながら通りを駆け抜けるのを見て、すぐにでも声をかけてやりたいが、その場しのぎの解決にしかならないことが分かっているから、無茶なことにならないといいがと、誰ということもなく黙って遠目に見ている光景
 ・よほどのことがなければ口を出さない
  ・裏を返せば、よほどのことがあればきちんと口を出す
 ・職住一致の生活空間(路地、商店街など)には、「育てる」などといわずとも、そこにいれば子どもが「見ぬふりをしてちゃんと見ている」大人たちに囲まれて「勝手に育つ」場があった
 ・そういう場はたしかに息苦しく、鬱陶しくて、子どもはそこから出ていくことばかり夢みる
  ・誰もが自分を知っているところで暮らすのは鬱陶しい
 ・何層もある集合住宅では、「見ぬふりをして見る」というグレイゾーンが成り立たない
  ・たがいに見るか見ないかのいずれか(オール・オア・ナッシング)の二極に引き裂かれている
・“子どもたちの安全”(「見知らぬ人に注意しなさい!」)という盾
 ・子どもたちは見知らぬ大人に接触することのない子どもたちだけの空間に隔離されるようになっていった
  ・学校、塾、子ども教室、遊園地など
 ・大人に混じり、もまれて育つという時間や経験が削ぎ落される
・大人達から自分の存在が当てにされている、自分でもここ(防災活動や伝統行事など)ではあるたしかな役を果たすことが期待されていると、子どもたちが感じられるような機会も削がれていった
・生き延びるための知恵、生き存えるための能力
 ・かつては、誰かが教えるというのでもなく、子どもたちが地域社会において大人たちを見ながら勝手に覚えた
  ・子どもたちは、路上や屋内、仕事中の大人に混じって遊ぶ
  ・近所の子を大人たちは世話するがどなりつけもする
 ・大人たちも子育てやしつけを学校にまかせるというようなことはせずに、町内の仕事や、悪い遊びもちょっとは教えておかんと、というようなこともあった
 ・緩やかだけど、ひじょうに確かな教育の力というものがあった
 ・現在では、育てるという機能はほぼそっくり「(母)親」に押しつけられ、教え諭す昨日はほぼ全面的に「学校」に委託
 ・子どもは「育てる」ものではなく「育つ」もの
 ・教育の名のもとに大人がすべきことは「教える」ことではなく、子どもがそこにいれば勝手に「育つ」場をしつらえることにあるのではないか
・地域のコミュニティはいまや、放っておいても人びとが集住していさえいればそこに自生するようなものではなくなっている
 ・鉄扉による家庭の閉鎖、階上・階下という垂直の関係によって、最初から分断
 ・家族として互いに深く介入し合う煩わしさから解放されたいという都市生活の“快適さ”への希求が招来したものである
(プライベートなものが充満するまち)

『教育の名のもとに大人がすべきことは「教える」ことではなく、子どもがそこにいれば勝手に「育つ」場をしつらえることにあるのではないか』は、自分の個人的なテーマでもあり、「ふぁーべる」としてもそうありたいものです。

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