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異国語会話中《突然自分の名前が出現する》不安 やがてややこし《外国語》(1/3) (再勉生活)

《再勉生活》3年あまりの間、私は日本国籍を持ち日本語を話す家族(妻1人と子供2人)と米国に住んでいた。
朝家を出て大学で講義を聴き実験を行い、午後6時頃一時帰宅して夕食をとった後、再び出勤して材料解析などをシコシコする。土曜もたいてい大学に出て実験したり英語で論文を書いているが、日曜は家族と過ごす。

オフィスはこの建物の4階にあった。外から見ると、3階までしかないようだが……。

私のオフィスは3階建ての建物の4階、実際には窓のない屋根裏部屋にあった。天井が傾斜した部屋で(入れ替わりがあったが、例えばある時期)、米国人M(修士学生)、台湾系中国人Y(博士学生)、大陸系中国人X(ポスドク)の3人と一緒だった。もちろん彼らとは英語で話す。
講義は当然英語だし、実験のパートナーは材料合成が中国人女性、特性評価はアメリカ人技術者のため、英語しか話さない。

こんな毎日を過ごしていると、月、火、水、木、金、と進むにつれて次第に英語力が向上する。具体的には、同僚たちの英語が次第にスムーズに耳を通り、一旦日本語に置き換える必要もなく、直接脳に流れてくる。問いかけにも、半ば自動的に反応するようになる。
これは1日の中でも同じ事で、朝はエネルギー障壁を飛び越えねばならない英会話が、夕方には結構慣れてくる。
しかし、日曜日には家族と日本語で話すため、翌週の月曜日は再び英語が判りにくい。なんだか、こつこつ積み上げた成果が、毎週末に《ご破算》になる感じなのだ。
(うーむ、ジグザグしながら、少しずつは英語力が向上しているのだろうが、どうも効率が悪い。いっそ妻子を日本に返してアメリカ女と同棲するか!)
しかし、その計画は実現困難、かつ、破綻間違い無さそうだった。

オフィスでふたりの中国人《Y》と《X》は、Chinese(標準中国語/北京語)で会話する。私にはもちろんわからないが、気にしないようでも耳に入って来るのだろう、その中で突然、
「……Pochi……」
私の名前らしき単語が出てくることがある。これは、その会話に背を向けてはいても、かなりドキリとする場面である。

その事を、やがて親友となった当の《Y》に話すと、
「実はオレもそうなんだよ。《X》の所に彼の友だちが訪ねてくると、ふたりは故郷の上海語で話し出すんだ。オレにはさっぱりわからない。その中で唐突にオレの名前が出てくると、何話してるんだろうって、妙に勘ぐっちまうんだよな」

(うーむ、これは《一般解》をさがす必要があーる)
そう考えた私は、同僚がオフィスに居る時に日本人研究者が訪ねて来た時にも、できるだけ共通語たる《英語》で話そうと心がけた。並行して友人《Y》も、対中国人に同じ作戦を採った。
しかし、これがなかなか難しい。

「Pochiさーん、こんにちは。ちょっと相談があるんですけど」
「What’s the matter?」
「え? いやその、白金電極付きのシリコンウエハ、まだ在庫ありましたかねえ?」
「I think I still have some. Do you want them?」
「は? え、ええ、3センチ角ぐらいで結構なんですけど……」
という相手の顔には明らかに、
(ムム、大勢で話しているわけでもあるまいに、1対1で問いかけているのに、こいつはなぜ《英語》で答えるのであろう?)
といういぶかしげな表情が浮かんでいる。

しかし、このやや無理がある会話法を私は最後まで通した。
それは、《精神的効果》だけでなく、例えば、横から同僚《Y》が、
「I also have 2 or 3 wafers. You can use them if you want to.」
などと会話に参加できる《実務的なメリット》を見出したからである。

〈2/2につづく〉

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