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3. 調停編

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48. 知恵を借りる

48. 知恵を借りる

審判を取り下げる代わりに家族の再構築をする。話し合いはそこから。

裕太の出した条件は私を深く悩ませた。

1人で考えるとどうしても感情が入り、偏ってしまうので、弟の夏生に来てもらい、母を含めた3人で話し合う事にした。

夏生は賢いので、冷静かつ心理戦に長けている。母は流石の年の功で、裕太の考えや今後の展開がある程度読めていた。そんな2人に相談すると気付かされる事が多くあったし、何より何日もかけて

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47. 夫との再会と交換条件

47. 夫との再会と交換条件

駅前の喫茶店の窓側のテーブル席に座っていると裕太がやってきて、お茶を頼んだ。裁判中とは違い、ラフな格好をしている。
何を言われるかと身構えていたけど「歩いてきたの?」なんて軽く雑談を始めたので、少し拍子抜けした。

裕太は「もう大変だよ、俺、裁判のせいで痩せちゃったよ。」なんて言う。私はどのように返していいかわからず、苦笑いをした。苦労したのはこっちなんだけどなぁ。

昨日まで書面で罵り合っていた

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46. 書面に込めたメッセージ

46. 書面に込めたメッセージ

審判に提出する書面にどうしても入れて欲しい言葉があって、浜田弁護士に頼み込んで数行だけ、シンプルにする事を条件に許可をもらった。
浜田先生の書面はいつも「長くても裁判所の人たちは読まないから」と5枚ほどにまとめられていた。

それまで、色々提案しても残念ながら却下される事が多かったけど、(離婚調停から円満調停に切り替える、など)審判に移行するにあたって、どうしても裕太に伝えたい言葉があったのだ。

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45. 裁判官の言葉を受けて

45. 裁判官の言葉を受けて

家裁からの帰り道、裁判官の言葉を何度も反芻した。

「負け戦だ、取り下げろ」・・・。

 早速当事者女性のLINEグループに書き込むと、みんな驚いていた。裁判官に「取り下げろ」なんて言われたのは初めて聞いた、と一様に言うから、かなりレアケースなんだろう。

 取り下げるべきかどうかと尋ねると、「結局、子どもに会えるかどうかは裁判官や相手のパーソナリティ次第の心理戦で、紗英さんの相手のことは詳しく知

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44. 審判・裁判官との対面

44. 審判・裁判官との対面

家裁の決定が下る「審判」は、可奈を連れ去られてから11ヶ月が過ぎた晴れた日に行われた。

いつものように弁護士の浜田先生と駅からバスに揺られて家裁へ行き、待合室で待っていた。すると、調停員さんが現れて「今日から裁判官が変わった」と告げた。

顔こそ出さなかったが、調停でも担当の裁判官がついていたのに、審判になったタイミングで別の裁判官に交代になったようだ。

それがあまり良いことではないのは、浜田

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43. 片親疎外の観点から

43. 片親疎外の観点から

私は再び、可奈の描いた絵と医師の意見書を持って赤木先生の治療院を訪ねた。
可奈のことや審判のゆくえが心配だったのもあるが、何より、片親疎外の専門家である赤木先生の意見が知りたかったのだ。

マンションの一室にある赤木先生の診療所を訪ねた。ネットや動画で見ていた方が目の前にいるのはなんだか不思議な気分だ。

「どうぞおかけください。」

柔らかいソファーに腰をかけ、可奈の描いた絵を取り出すと、赤木先

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42. 4回目の調停

42. 4回目の調停

お互いの主張を伝言ゲームのように伝えるだけの調停をこれ以上続けても埒があかない。浜田先生と相談して、次の調停で審判に移行してもらうことにした。 
浜田先生は離婚裁判の経験はあったけど、連れ去りを扱うのは初めてで、この進まない調停に頭を痛めていた。
やはりほかの案件とは少し毛色が違うようだ。

4回目の調停は、木々が色づき出した秋のはじめに行われた。長いこと熱帯にいたので、日本の情緒ある景色は心にじ

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41. 娘への手紙と陳情活動

41. 娘への手紙と陳情活動

可奈に会えなくなってから既に8ヶ月が経とうとしていた。この頃、私はいつか会えたときのためにと、送らない手紙を日々したためていた。

今どうしてるのか、元気なのか。
会いたいよ、愛しているよ、などと。

調停では調停員さんに手紙を託し、裕太に渡してもらっていたけど、本人に渡される保証はないので、自分で持っておく分と、渡す分、いつも2つ書くようにしていた。

当事者の集まりにはタイミングが合えば参加し

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40. 保育園探し

40. 保育園探し

「紗英ちゃんは急いだほうがいい。時間が開きすぎてるし、お子さんが小さいうちは記憶が上書きされやすいよ。悪いイメージを旦那さんに上書きされる前に、笑顔を見せに行った方がいいよ。」

当事者の早紀さんにそうアドバイスをもらった私は、いてもたってもいられなくなり、次の日には可奈の幼稚園を探し始めた。
離れていても親子であることは変わらない、と可奈との関係を楽観的に捉えていた私にとってはリアルな意見で、胸

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39. ママのお人形遊び

39. ママのお人形遊び

俊平くんは、再会してからいつも、毎週のように電話をくれた。放っておくと私が自殺してしまいそうで心配だったのかもしれない。

当時、私の頭の中には「裁判に負けたら死のう。」という言葉が浮かんでは消えていた。

そうする事でしかこの苦しい現実から逃れられる方法はないと思っていたし、魂になったら可奈に会いに行ける、可奈はまだ子どもだから気付いてくれるかもしれない、と考えていた。

真実はいつか、夏生に伝

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38. 母子手帳とアイデンティティー。

38. 母子手帳とアイデンティティー。

1日でも早く可奈に会えるようになるために、調停を早く進めるために、スケジュールはなるべくフレキシブルにしておきたかった。そのためには、職場や周りの理解が必須だ。

バイト先のスタッフは快くシフトを代わってくれ、調停の次の日にはどうだったかと心配して、文字通り心身ともに助けられていた。
私の職場は、レストランなのか植物園なのか分からないくらいに緑の多いお店だったので、いるだけで自然に癒されていたし、

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36. 3回目の調停・鉢合わせ

36. 3回目の調停・鉢合わせ

「こちら、お父様からです。」

そう言って調停員さんから渡された写真には、熊のぬいぐるみを抱いて嬉しそうに微笑む可奈の姿があった。数か月待ってもらえた写真は1枚だけ。

可奈は、産まれた時からこのぬいぐるみが大好きで、片時も離さなかった。

しばらく見ない間に成長している。身長も少し伸びているようだ。
可奈は私の知らない時間を生きていて、なんだか遠くに行ってしまったようだった。私は家裁の調停室でぽ

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35. 「片親疎外」という児童虐待

35. 「片親疎外」という児童虐待

まるで嫌がらせのように、追加の書面が調停直前に届いた。書面は1回の調停につき何回出してもいい事を私は初めて知った。
次の調停は週明けなので、反論書類を書いている時間は浜田先生が休みの週末しかなかった。

戦略的に札を出す・・まるで、勝つか負けるかのゲームをしている様だ。
家裁で話し合うことは親権と監護権であり、係争なのだけど、今後の可奈の人生に大きく関わるものであり、取り合いをするゲームではない筈

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34. 出口のないトンネルに放り込まれ

34. 出口のないトンネルに放り込まれ

医師の診断書に書いてあった「母親との面会は患者の様子を見ながら慎重に行うべし。」との文言は、まるで死刑宣告のようだった。
調停が進む毎に、処刑台に縛り付けられ、少しづつ体を切り刻まれるような感覚をリアルに感じていた。場合によっては、通例の判決通り、月に1回、3時間しか自分の子どもに会えない人生が確定してしまうかもしれないのだから。

裕太から送られてきた書面には、私が可奈を出産してから会えなくなる

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