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お互いの主張を伝言ゲームのように伝えるだけの調停をこれ以上続けても埒があかない。浜田先生と相談して、次の調停で審判に移行してもらうことにした。 
浜田先生は離婚裁判の経験はあったけど、連れ去りを扱うのは初めてで、この進まない調停に頭を痛めていた。
やはりほかの案件とは少し毛色が違うようだ。


4回目の調停は、木々が色づき出した秋のはじめに行われた。長いこと熱帯にいたので、日本の情緒ある景色は心にじんわりと沁み、いつも少し切なかった。

家裁の殺風景なテーブルに、可奈が描いたという絵とそれに対する精神科医の意見書が置かれた。

雷の絵だった。隣には木が生えている。ゲームが好きな可奈は昔から、こういったショッキングな絵を面白がってよく描いていたのだった。

その絵を見た私は、「何でよりによって、このタイミングでこの絵を描いたのよ…。」と思った。

案の定、医師の意見書には『雷から患者は何らかなショックを受けた事が見てとれる。家の絵は患者にとっての家族を現す』と書いてあり、またも『母親との面会は慎重に』と書いてあった。

その意見書は、「結果ありき」で進められているようにしか私には見えなかった。

だって私には、可奈の描いた絵はママと引き離されてショックを受けているようにしか見えない。

可奈が『お人形をママに見立てて遊んでいる』という都合の悪い事実は医師には伝えていないようだったし、裕太次第でいくらでも印象操作できる状況にある。

しかし、医師の意見書まで出てきてしまい、引き離しが正当化されてしまった。まだまだ可奈に会えそうにない。

どうしてここまでするんだろう。私が一時でも愛した優しい人はこんな男だったのか。
良心は痛まないのか、出来ることなら聞きたかった。


「次回から審判に移行して、調査官調査の日程を決めてください。」
と言うと、調停委員の方たちは少し慌てて書類に何か書き込みながら、調停を締めた。次回の調停は2ヶ月後だけど、やっと審判に移行することが決まった。

浜田先生は「医師への面談を申し込み、可奈ちゃんの様子を聞いたり、自分が正常なところを見せに行ったらいいんじゃないか。」と言ったけど、その時の私はかなり不安定だったので、逆効果だと父に止められた。

確かに、医師に会ったところで、何かショックなことを言われたらその場で倒れてしまうかもしれない。そうなったら厄介だ。
私はしばらく悩んだ末、医師に会うのはやめることにした。

毎朝必死の思いで起き上がって仕事に行き、次の審判の日を指折り数えながら、書面の準備をした。

もはや食欲不振は慢性的で、今思うと信じられないことだけど、いつも飴とタバコで空腹を誤魔化していた。

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