ある日、突然、当事者に。〜子どもを奪われた母の物語〜

この話は私の身に実際に起きた出来事です。本当にある日突然、最愛の娘と引き裂かれてしまい…

ある日、突然、当事者に。〜子どもを奪われた母の物語〜

この話は私の身に実際に起きた出来事です。本当にある日突然、最愛の娘と引き裂かれてしまいました。 親子の引き離しは誰にでも起こり得る問題です。一人でも多くの方にこの問題を知ってもらい、これ以上被害者が増えない事を願っています。 (プライバシー保護の為、設定は若干変えております。)

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1. ある日、突然、当事者に。

当たり前だけど「子供の連れ去り」の当事者になる日は突然やってくる。前兆も胸騒ぎも予感も、なにもなかった。いや、あったのかもしれないが、特にアクションも起こさず、普段通りに過ごしていたんだから、なかったも同然だ。 そのくらい、「あの日」を境に私の人生は一転した。パニックと脱力と鬱で、正直当時の記憶は曖昧でぼんやりしてる。 だけど、何度も何度も反芻して、本気で時を戻したいと願った「あの日」のことは、忘れたくっても忘れられない。 そのくらい突然、当たり前に平和な日々を生きてい

    • 61. 会いたいと言えない子だったんですね。」

      再会してからも、可奈の月1回の通院は続いた。 主治医はある日、可奈に「パパとママとおじいちゃんおばあちゃん、誰が1番好き?」と尋ねた。 可奈は少し考えて、「おばあちゃん。」と答えた。そりゃあそうだ。その時、メインで可奈を育てていたのはおばあちゃんだったのだから。 私はその質問がとても嫌だった。誰が1番好きか、「好き」に順位をつけることを教えないで欲しかったし、必要な質問だとはどうしても思えなかった。 ☆ 習い事のお迎えの帰りに寄った公園で、可奈がこんなことを言った。

      • 専門家の意見をもらう

        子どもと引き離された私がまずした事は、あらゆる方法で彼を説得する事でした。私からの連絡は全て無視されていたので、彼の尊敬している友人やお世話になった先輩、尊敬するアーティストなどたくさんの友人知人の協力を得ていろいろな方面から働きかけましたが、残念なことに全てがのれんに腕押しでした。むしろ「色んな人に批判されている!説得してくるということは結局ピノコの味方なんだろう!」と、警戒心を煽ってしまっただけだった気もします。今、当時説得してくれた方達で彼と繋がっている人は誰もいません

        • 娘に送る詩

          あなたが生まれたとき 私はこの世の尊さを知り 感動に震えた あなたをいちど失ったとき この世には こんなにも辛い出来事がある ということを知り また 他人(ひと)の痛みを 深く感じるようになった あなたは私に いくつもの大切なことを 教えてくれたね もしも生まれ変わることがあれば 私はまた あなたのお母さんになりたい ママのところに産まれてくれてありがとう! 私を お母さんにしてくれて ありがとう あなたが人生で知る 喜び 楽しさ

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        • 4. 審判取り下げから再会まで
          6本
        • 3. 調停編
          24本
        • 2. 帰国〜調停まで
          11本

        記事

          63. 離婚と親権

          可奈に会えるようになってから半年程経った頃、裕太に「離婚届けに判をして、親権と監護権を渡してくれ。」と言われた。 再構築を目指しているのにそんなことは出来ない、と何度も断ったけど、裕太は離婚することで新しくやり直せる、リセットしようと言ってきかなかった。 私の父や母はもちろん止めた。また騙されるわよ!と。 だけど、私はわかっていた。娘と引き離されて1年半以上経っている私が、また家裁に行ったところで勝ち目はない。むしろ離婚することで裕太の気持ちが晴れ、変わるなら、言うとお

          怒りのやり場

          「とにかく怒らないように、気を付けてくださいね。」 片親疎外の研究の第一人者である青木先生、弁護士さんに言われたこの言葉は私の心に強く残り、あらゆる場面で頭をよぎった。 「裁判所や相手方に怒ってしまい、全てをダメにしてしまう人が結構いるんです。だから、決して怒らないように気を付けてくださいね。」 こんな理不尽な状況では怒るのは当然だし、それすらできないなんて、ある意味、酷な話だ。 だけど、怒ってしまうと(怒りを表に出してしまうと)、『自分の感情すらコントロールできない

          64. あれから

          あの間違いなく人生で一番辛く苦しかった日々から、もう長い月日が経った。 思い出すと辛くなるのであまり考えないようにしてるけど、一生、忘れることはないだろう。この小説を書いてる時は何度もフラッシュバックをして悪夢を見た。 だけど、書いてよかったと思う。これで物語が現在進行形ではなく「終わった物語」になるからだ。 可奈は成長し、「少女」から「お姉さん」にダイナミックに変貌を遂げているところだ。 調停時に渡していた手紙や絵本は、ひとつも本人の元には渡っていなかった。

          62. 片親疎外と夫の家族

          毎週のように会えるようになって暫く経った頃、突然、可奈の片親疎外が始まった。(片親疎外とは、子どもが同居親に気に入られるように、別居親に辛く当たる行動のこと。) 私の家に行くのを泣きながら嫌がったり、幼稚園の見学に行ったら「あっかんべー」をされたりした。 「ママとは一緒にいたくないけど、ママの家に行きたい」と言い、家に来たら何事もなかったように遊び始めた事もあった。赤木先生に相談すると、「片親疎外だからスルーして、大きな心で受け止めてください。」との返事をいただいたが、正

          60. 私の役割

          怒涛の引っ越しが終ると、急いで在宅でできる仕事を探した。そのほうが、可奈を預かれる確率が高くなるとふんだからだ。この選択は正しかった。 私たちが会う回数は日毎に増えていき、そのうち、泊まりも出来るようになったのだから。 ただ、可奈と会う時は必ず裕太が同席した。やりにくいけど、しょうがない。そこは割り切ることにした。 ☆ 可奈に、「いつでも来ていいからね。」と伝えると、数日して裕太から「可奈に、いつでも来ていいって言った?考えさせるからやめてくれよ。」と言われた。 き

          59. 引っ越しと子ども部屋

          可奈と過ごす時間がだいぶ増えてきた私に、「可奈ちゃんの住む家のそばに引っ越しては?」と夏生が提案してきた。 確かに、家が近ければ会える回数は増えるだろうし、育児のサポートをお願いされるかもしれない。 外で会うより家で会ったほうがリラックスできるから、可奈との関係も早く修復できるだろう。そうなれば、泊まりも出来るようになるかもしれない。。 さっそくネットで裕太の実家近くの賃貸情報を見ていると、偶然かお導きか、3LDKの南向きの物件を見つけた。値段も手の届く範囲だ。運命を感じ

          58. 運動会

          可奈と会えるようになって、少しずつパワーを取り戻した私は趣味のイラストやダンス教室を再開し始めた。 当たり前だけど『子どもと会える』ことはパワーの源であり、逆にいうと会えないことは全てのエネルギーを奪う。 私はやっとバランスを取り戻し、夜も眠れるようになってきた。 裕太は「月に〇回、〇時間」などの決め事はしたくないと言い、土日のどちらか、タイミングが合う日に3人で会うことになった。 あとは、可奈の通院が月に1回程度、平日に行われたので同行するようになった。 いつも午前中

          57. 再会・その3 〜花束〜

          食事が終わり駅まで歩いていると可奈が「公園にいきたい!」と言ったので、可奈を真ん中にして3人で手を繋ぎ、近くの公園に向かった。 家族連れが数組いた。祝日なのでわりと人が多く、子どもの年齢も様々だった。ボール遊びやお弁当を食べている、仲睦まじい姿が目に入る。 私たちも端から見たら仲良し家族に見えるんだろう。まさか心療内科帰りで、1年3か月振りに再開した親子だなんて誰も思わないだろう。 道の脇にかわいい野草が生えていたので花束を作ろうと言うと、可奈は喜んで花を選

          56. 再会・その2 〜花柄のドレス〜

          医師との面談が終わったのがちょうどお昼時だったので、近くのファミレスに行くことになった。 「3名様ですね。空いてるお席へどうぞー!」 ウェイトレスさんに促され席に着くと、可奈は裕太の隣にちょこんと座り、私と向かい合う形になった。いつもなら必ず私の隣に座っていたのなぁ。まぁしょうがない。 「可奈にね、ドレス作ってきたんだよ。」 完成したばかりの花柄のドレスを渡すと、可奈の顔がほころんだ。 「ドレスだ、お花のドレス!!」 「うん。可奈は、ずっとお花のドレスが欲しいと言

          55. 再会

          可奈との再会、いや、「試行面会」は連れ去られてから実に1年3ヶ月後、審判取り下げから3ヶ月も経った、初夏の空気が色濃い日に行われた。 はやる気持ちを抑えられず、早めに家を出た。バス停から病院までは小走りで向かった。 先に可奈と裕太の二人が先生と面談し、準備が出来たら私を呼ぶという手はずだったので、フロントでそわそわしながら裕太からの連絡を待った。 何度も何度もLINEの画面を覗いた。10分ほど経ってから「今から来て」とLINEが入り、私は走って診察室へ向かった。 ☆ ド

          54. 娘の言葉

          可奈は私に会いたいと言ってくれるだろうか? まだ幼いうちに、一年以上もの間引き離されてしまったので、正直自信はなかった。母親という存在は知っていても、私の顔は忘れているかもしれない。 当事者の友達も夏生も母も、皆な「絶対大丈夫!」と言ってくれけど、不安は拭えなかった。 もしも会いたくないと言われたら? もしも本当に、裕太の言うように「ママに会いたいと言わない状態」だとしたら、可奈が片親疎外になっている可能性は充分にあった。 そうなってしまったら、やっと見えた希望の灯

          53. 娘の主治医との対面

          長い道のりだった。やっとここまで来た。向こうは私の一挙一動を判断材料にするだろうから、細心の注意を払って面談にのぞもう。 そんな複雑な気持ちを抱きながら、私は可奈の通う診療室のドアを開けた。 ☆ その日は、可奈の主治医と初めて対面する日だった。私はこの日をずっと待っていた。 審判の取り下げをするとき、「可奈の主治医と話したい」と裕太に伝えたけど、先生は忙しく、なかなか会えずにいたのだ。 いや、もしかしたら、裕太は夫婦カウンセリングで私の様子を見ていたのかもしれない。段階