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53. 娘の主治医との対面

長い道のりだった。やっとここまで来た。向こうは私の一挙一動を判断材料にするだろうから、細心の注意を払って面談にのぞもう。
そんな複雑な気持ちを抱きながら、私は可奈の通う診療室のドアを開けた。

その日は、可奈の主治医と初めて対面する日だった。私はこの日をずっと待っていた。

審判の取り下げをするとき、「可奈の主治医と話したい」と裕太に伝えたけど、先生は忙しく、なかなか会えずにいたのだ。
いや、もしかしたら、裕太は夫婦カウンセリングで私の様子を見ていたのかもしれない。段階を踏もうと。

ドアを開けると、先生が椅子に座っていた。思ったより小柄で、気が良さそうな笑顔を向けられた私は拍子抜けした。
調停に提出された書面から、私は「虐待お母さん」として、キツくあたられるのを想像していたのだ。

何を言われるかと不安だったし、ある程度責められることも覚悟していたけど、実際会ってみると、私の事はあまり気にしていなさそうだった。夫婦の問題は我関せず、診ているのはお子さんですよ、というスタンスだった。

裕太が「可奈と母親を再会させたいんです。」と言うと、先生は
「そうですか。じゃあ今度娘さんに会って、お母さんに会いたいか聞いてみましょう。」と言った。

可奈に聞くのか。というか、今まで聞いてなかったのか。
そして、裕太が会わせようと望んだら、こんなにあっさり進むのか。今までの1年近い断絶は一体何だったのか。

もちろん会えるのは嬉しいけど、あの書面に書いてあった「母親に会うのは慎重に」なんていうこの人の意見はどこからきていたのだろう。

結論ありきの「会わせない」前提で裕太が話をしていたとしか思えなかった。それにこの先生は、裕太の先輩の紹介なのだ。

診断も意見書の内容も、裕太次第だったのだろう。つまり、あそこで審判を取り下げなければ、今でも断絶は続いていたのだろう。

その後、裕太と先生が話している間、可奈の遊び相手をしてくれていたという看護師さんにお会いした。
「もしかして、可奈ちゃんのお母さんですか?」と声をかけてくれたのだ。
日ごろのお礼と、可奈の様子を伺うと、「元気に遊んでいましたよ。」と答えた。そして、彼女はそっと耳打ちした。

「私はね、可奈ちゃんよりも、お母さんの事がずっと心配だったんです。大丈夫でしょうか?」と。

私は思いがけずかけられた優しい言葉に涙ぐみ、
「はい、、とても辛かったです。」と答えた。

この院内で泣き崩れたら、精神不安定と言われるかもしれない、とずっと気を張っていたのに、緩んでしまった。でも、この人なら大丈夫かもしれない。

看護師さんはさらに、お名前と担当部署につながる電話番号を書いた紙をくれた。この優しい行動が、どれだけ力をくれたかわからない。味方がいるというのは、こんなにも心強いものなのだ。

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