見出し画像

「とにかく怒らないように、気を付けてくださいね。」

片親疎外の研究の第一人者である青木先生、弁護士さんに言われたこの言葉は私の心に強く残り、あらゆる場面で頭をよぎった。

「裁判所や相手方に怒ってしまい、全てをダメにしてしまう人が結構いるんです。だから、決して怒らないように気を付けてくださいね。」

こんな理不尽な状況では怒るのは当然だし、それすらできないなんて、ある意味、酷な話だ。

だけど、怒ってしまうと(怒りを表に出してしまうと)、『自分の感情すらコントロールできない、社会的に未成熟なおかしい人』と、理不尽にもレッテルを張られてしまうのだ。

そして、イコール『子どもに会わせるのは危険』と言われ、余計に子どもに会うことが難しくなってしまう。それは世間の目も同じことだろう。

確かにここ数日表に出ている当事者の方の怒りの声を聴くたびに、当事者である私ですら(この人怖いな・・私が奥さんだったら、こんなに怒っている人に子どもを二人っきりで会わせるのは心配だ。なるべく関わらないで生きたいと思うだろうな。)と、思ってしまう。

なのでここは、愛するお子さんのためにぐっと堪えてほしい。怒っても何も良い事は無いし、むしろ相手の思うツボなのだから。相手は不安定になったりパニックになった私たちにここぞとばかり、「不安定な人間に、子どもは会わせられない。」と言ってくるだろう。

実際、世の常識として「子どもを親の喧嘩に巻き込まない」は、存在するし、親の不安定な姿を子どもに見せるのは悪影響・・との意見はあながち間違いではないと私は思う。時間が経って、そう思えるようになってきたのかもしれない。

連れ去られた側は悔しいけど完全に立場が弱いので、いかにうまく立ち周り、歩み寄るか。その選択をする方が将来的にもお子さんといい関係を築ける確率は高くなるのだ。

それとも、少ない確率に賭けて戦うか。

そういう選択肢もある。

だけど、知る限りだけど戦いを選ぶと10年単位で長引いてしまうし、そういった当事者は、残念ながらお子さんに会えていない方が多い。判決で月1、2回の面会を得られたとしても、続かないケースも。

怒りは怒りでしか返ってこないと私は思う。嘘でもいいから、相手を許し感謝することで流れは変わると私は信じている。たとえ時間がかかったとしても。

怒りはクッションや枕にぶつけるか、山の中に穴を掘るなどして叫んで欲しい。おススメは頭に浮かんだ言葉を紙に書き出して、ビリビリ破くこと。言語化することは頭の整理にもなるので、かなりおススメ。

言葉にならない言葉をひたすら叫ぶ、「ジベリッシュ」という瞑想も効果的です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?