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34. 出口のないトンネルに放り込まれ

医師の診断書に書いてあった「母親との面会は患者の様子を見ながら慎重に行うべし。」との文言は、まるで死刑宣告のようだった。
調停が進む毎に、処刑台に縛り付けられ、少しづつ体を切り刻まれるような感覚をリアルに感じていた。場合によっては、通例の判決通り、月に1回、3時間しか自分の子どもに会えない人生が確定してしまうかもしれないのだから。

裕太から送られてきた書面には、私が可奈を出産してから会えなくなるまで投稿していたSNSから「育児放棄」している証拠が次々と提出された。ベランダで可奈を遊ばせながらスイーツを食べている姿や、可奈が裕太の家にいる期間に私が海で遊んでいる姿などだ。

あの日からSNSは更新していなかったけど、この書面が提出されてからは自分のページにログインする事さえできなくなってしまった。

裕太のSNSには可奈の写真が今まで以上にあげられるようになり、懸命に子育てする姿がアピールされていた。

私からしたら裕太が「連れ去りを非難されないように」と必死な行動をしているようにしか見えず、腹立たしかったけど、可奈の姿を見れることは嬉しくもあり、複雑だった。

それにしても可奈と会えなくなってからもう、実に半年以上も過ぎてしまった。これだけ時間が過ぎてしまい監護実績を積まれた今では、私に親権や監護権がとれないのは明らかだった。

連れ去られ後、すぐに帰国していれば違ったのかもしれない。連れ去られた当初こそ親権を取れるのは5%の確率だと言われたけど、今ではもう0%だろう。親権を得ることが出来たら奇跡に近い。
それは、判例を調べたり、当事者の話を聞くたびに明らかになっていった。

だけど、1%でもいいからその奇跡に賭けたい、という気持ちも常にあった。愛する子どもを自分の手で育てることを、自ら諦められる親は少ないだろう。

しかし、皆な最低でも月に1回は会えているのに、なんで私は会うことすらできないのだろう。半年以上会えていないというと、いつも驚かれ、同情される。
もしかしたら、可奈が私に会いたいと言わないのは、本心なのだろうか。
まだ幼いから、もう私の事を忘れてしまったのだろうか。

気が弱れば弱るほど、ネガティブな闇に吸い込まれていくようだった。

ある日、電車に乗って裁判の事を考えていたら急に動悸が襲った。呼吸困難になり冷汗が垂れ、立っているのがやっとだ。なんとか次の停車駅まで我慢して、電車を降りてトイレを探し、嘔吐した。しばらくトイレから動けなかったけど、少し休んでから自販機を探し、温かいお茶を買ってベンチで休んだ。
涙と嘔吐でボロボロになり、惨めで堪らなかった。

感情だけで人は嘔吐できるのだ。あまりにも悲しい体験だった。

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