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週記3_真の学習には「静けさ」が伴う(その2)_190804
週記2(https://note.mu/piecemeal/n/nf9e7476cc80e)の末部で述べたように、定理四の検討から始める。内容は以下であった。 定理四:異なる二つあるいは多数の事物は実体…
妹と暮らしているのだが、その2
(これは2016年に書かれたものである)
5月28日23時頃。主催していたイベントを終え、帰宅。妹はいない。
妹には、23時頃に帰る、ということをLINEで伝達済み。家で少し落ち着いていると24時前、妹からLINEの返信が入る。
「家にご飯ある?たべた?」
ない。ぼくはイベント終わりに会食し、そのまま帰って来た。
妹は、どうやらバイトが終わったところのようで、ご飯がない旨を伝えると「おけー」
死と認識についての覚書
私が「私は絶対的に何も知らない」と言ったとき、少なくとも、私が自分のことを絶対的に何も知らない存在者であると自覚していたことは確かである。
「私は絶対的に何も知らない」と言うのは、例えば、これが赤色だとかあれは灰色だとか、こちらの右手でもう一方が左だとか、は私が知ったことではなく、私が教わってきたことだからである。私は、よくよく考量してみると、私はそのようにしかモノを知っていない、と気づいた。自己
一喫茶店でテクストを書くこと
テクストを書くことは、識字率がほぼ100%のこの国ではほとんど誰でもできる。多くの人がメールやらSNSやらで日々テクストを書いていて、この行為自体、なんら不思議なことではない。
それでも、京都にある一喫茶店に関わる人たちだけで、こうしてテクストを書く、ということに至ったことは不思議なことである。
この営みが今後、どこまで続いていくのかはわからないし、いつか終わるとしてもそれはそれでいいと思ってい
ワークショップの最小回路
昨日、ぼくが2016年に書いた、ワークショップのレポート記事を読んでくれた方と話した。(ちなみに内容は、写真についてのインタビュー活動を通じて詩を書く、というものである)。その記事は、その人にとって所々、膝を叩くこともあったそうで、嬉しい感想を聞けた。ぼくは4年前のその記事の内容についてほとんど忘れてしまっていたが。
そして、ともかく、その人に「ワークショップはもうやらないのですか?」と聞かれた
コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生-会社役員。
【コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生/会社役員】
なんかいろいろな変化が起きている。
密集状態を前提する諸活動をしない、とか、あるいはそれが将来的にも難しいという想定とは別の、なんかとても微妙で微細なのだが、それでも何やらいくつも、ぼくの生活の総体において変化や工夫が起きている。
正直、ぼくにとっては、大きな精神的な変化は起こっていない。コロナ以前で大切していることは今も大切なまま
ナンバさんの「専攻分野反転法則」についての記事を読んで
twitterでよくお見かけするナンバユウキさんが、以下の興味深いnoteを書いていた。
ナンバユウキ「専攻分野反転法則の哲学:美学と倫理学」
詳しくは読んで欲しいのだが、「専攻分野反転法則」とは、ナンバさん曰く、その代表的なものとして「研究している対象にまつわる実践が評価する価値との反転」がある。
おそらく、「法則」と言っていることと挙げている例(真偽はともかく、政治学の研究者は根回しが下手
日本一周ママチャリキャラバンとは何だったのか?
知っている人は知っているし、知らない人は知らないと思うが、10年前の2010年、「日本一周ママチャリキャラバン」というプロジェクトがあった。
ママチャリで全47都道府県を回りながら、文字通り、日本列島を一周する、というプロジェクトである。
下の写真は、スタート地点となった、東京の真ん中らへんの「国道」の始まり的な場所で、一番左が10年前の俺だ。
んで、まぁ、これだけ聞くと、ただの元気な人たち
与えられている偶然性の中で−存在論がよくわからない
「結局、歳を取っても、大切にしたいこととかやりたいこととか考えていることとかは一つずっと変わらないものがあるからね」
そういった「変わらないもの」が自分の中に−−それは同時にすべての人に−−ある、ということを、ぼくは割と信じている。
もちろん、外面的な、やっていることや言葉遣いは変わることはあれど、内面的には、ずっと一つのことを追っている、というか、自分を突き動かす一つのものが意志するものに従
深夜食堂がおもしろい−事件なきドラマ−
この1、2年、「事件」のない作品を意図的に選んで観るようにしている。
昔から、ドラマも漫画も映画もすぐに「事件」を作りたがる。わかりやすく、煽情的な起承転結を作りたがる。
刺激的ではあるが、現実的ではないし、観ていて疲れる。
他方で、事件のない作品には「何もない」のではなく、「出来事」がある。淡々と事件とは区別される「出来事」と呼べるような何かが描かれている。
最近、ドラマ「深夜食堂」にはまって
哲学者として会社役員になりました。 −−哲学者とは誰のことなのか
先日、代表取締役と取締役の方々が京都にいらっしゃって会食し、「哲学者としてウチの監査役となってくれないか?」とオファーをいただいたので、3時間のほどの面談の上で、此度、株式会社メタの監査役になる運びとなりました。
正直、この事実について持つ私の感情はまだはっきりとしていない。
それでも、自分だけに抱えきれず、私は何人かの親しい人に直接報告をした。報告を受けた友人たちは概ね喜んでくれたと思う。ある
週記3_真の学習には「静けさ」が伴う(その2)_190804
週記2(https://note.mu/piecemeal/n/nf9e7476cc80e)の末部で述べたように、定理四の検討から始める。内容は以下であった。
定理四:異なる二つあるいは多数の事物は実体の属性の相違によってか、そうでなければその変状の相違によって互いに区別される。D.
証明:存在するすべての事物はそれ自身のうちにあるか、他のものうちにあるかである(公理一により)。すなわち(定義三