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日本一周ママチャリキャラバンとは何だったのか?

知っている人は知っているし、知らない人は知らないと思うが、10年前の2010年、「日本一周ママチャリキャラバン」というプロジェクトがあった。

ママチャリで全47都道府県を回りながら、文字通り、日本列島を一周する、というプロジェクトである。

下の写真は、スタート地点となった、東京の真ん中らへんの「国道」の始まり的な場所で、一番左が10年前の俺だ。

キャラバン1


んで、まぁ、これだけ聞くと、ただの元気な人たちの活動なのだが、このプロジェクトには、もう一つの縛りがあった。

それは、各都道府県で現地の人たちと「対話」をする、という縛りである。以下のリンクが第0回の東京での「対話」なので、まず見て欲しい。(まぁ、俺は今見返すと恥ずかしすぎて、最後まで見てられなかったんだが笑)

さて、この時の「対話」は一つの「問い」を巡ってなされている。

ちょっともう覚えていないんだけど、この時は確か、なんか、地球の環境問題を主題にした映画を2時間ぐらい観た後で、俺たち、これから、この地球でどうやって生きていく?的な問いだった気がする。

そしてこの時、俺は、映画を観ながら、ソフトボールぐらいのティッシュの塊ができるほど、泣いてしまって、その後のこの対話では、「地球が美しさを取り戻すには、端的に人間がいなくなればいいと思うんだけど、人間がいなくなっちゃうと地球を「美しい」と思うやつもいなくなる、どうしよう」ということをひたすら考えていた覚えがある。後、そもそも「世の中」とか「私たち」の定義がわからん、ということになってしまっていた気がする。

さて、この対話は、一つの問いを4〜6人ぐらいで、30分ぐらい話したら、席替えして、また新しいグループで話して、もう一回席替えして話す、という形式でなされている。

そうして、いろんな人の話を聴きながら、まぁ、問いを深めていく、というわけだ。

今これをやると、完全に濃厚接触だし、席替えしまくって、感染拡大していくので、かなり問題なのだが、それこそ、この形式のエッセンスの一つであった。

つまり、アイデアを感染させていくのが、この形式のエッセンスである。

この動画の途中、聞くことのできた人がいるかもしれないが、俺がいないテーブルで、「さっきヘルメが言ってたんだけど」と話す人がいる。このようにして、一人ひとりの中に残ったテーブルでのアイデアは次に紡がれ、今度はその人の発想を引き出すように機能する。

こうしたアイデアの感染連鎖を引き起こすのが、この形式のエッセンスである。

さて、こうした、やけに重めで真面目な「問い」をママチャリ漕ぎながら、作り出し、次の県に到着して、現地の人と対話する、ということを全47都道府県でやる、というのが「日本一周ママチャリキャラバン」の、「漕ぐ」こと以外の、もう一つの縛りである(京都の問いは「愛とは何か?」だったし、大阪の問いは「どんな人とでも分かり合えるのか?」だった気がする)。

そんで、実際のところ、大体、1日40-50kmほど自転車を漕ぐ。そして、出発が2月7日で、到着が9月8日だったので、まぁ、7ヶ月ほどのプロジェクトであった。

ただ、ママチャリを漕ぐのは基本4人であるので、途中大阪で降りて、次の人に変わってもらうなど、リレー形式で実行された(全47都道府県を最初から最後まで走りきったのは一人だけである)。

俺は、東京から大阪までと、北海道から茨城まで走った。2月初旬から3月初旬、7月下旬から8月末までを走った、という感じだ(確か、トータルで2000kmほど漕いだ。とりわけ山梨から静岡の山脈を超えていく際の自転車はマジキツかったし、山梨の山の中と滋賀の琵琶湖での野宿はキツめだったのを強く覚えています)。
下の写真は、北海道で合流した際の俺 in 俺の実家の朝の写真。大学生らしく?、金髪で合流しました。

キャラバン2


で、まぁ、えーと、このプロジェクトが何だったのか、という話であったな。

すでに説明したように、このプロジェクトは、表向きは「漕ぐ」ことと「対話」することの二つで成り立っている。しかし実は、これには裏の、というか、裏ではないのだけれども、とにかく、私たちがこの狂ったプロジェクトに身を投じざるえなくなる、ほどの理由ないし理念があった。

それは、何か。

というのは次回、書く、思った以上に前提の説明で疲れてきたから。

喫茶店代か学術書の購入代に変わります。