コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生-会社役員。

【コロナ日記。京都在住、30歳男性、独身、学生/会社役員】

なんかいろいろな変化が起きている。

密集状態を前提する諸活動をしない、とか、あるいはそれが将来的にも難しいという想定とは別の、なんかとても微妙で微細なのだが、それでも何やらいくつも、ぼくの生活の総体において変化や工夫が起きている。

正直、ぼくにとっては、大きな精神的な変化は起こっていない。コロナ以前で大切していることは今も大切なままだ。

ところが小さな変化がちょこちょこと確認される。

第一に、家にいる時間が長くなった。

行きつけの喫茶店の営業時間が短縮されたから、ではない。そうではなくて、オンラインが前提となったから、家にいても参加や交流が可能なことが多く予定されてきたので、それに応じて家にいる時間が長くなってきたのだ。実際のところ、3月以前より、今の方が毎週人と交流する回数も時間も多い。それに関してそれほどのストレスはない。しかし、この前提は思わぬ変化の要因となってきている。

というのも、ぼくは「家にいること」が得意ではない。端的に、好きじゃない。だから、まとめると、オンラインでの交流が前提となると、ぼくは人とよく会うようになってしまって、それに伴って、家にいる時間が長くなるんだけど、ぼくは家にいるのが好きじゃない、ということで困ってしまう訳だ。

さて、こうして、ぼくは家にいることをなんとしても、快適にしないといけなくなってくる。ということで、ぼくは部屋の整理はもちろん、家具の配置替え、花瓶を購入したり、カーペットとソファの購入を検討し始めたりしている。

さて、第二に、早起きになってきている。

ぼくは、大体昼頃に起きるはずのだけれど、これもよくわからないのだけど、なぜか最近10時頃に目が覚めてしまう。なんとか、二度寝で元々の生活習慣に合わせようと頑張っていたのだが、ついに最近は9時頃に目が覚めるようになってきていて、もう諦めてそのまま起きるようにしている。さて、こうすると、手持ち無沙汰になるから、部屋をいじるようになって、これがまぁ、さっきの部屋の工夫にもつながっている。

ただ、これにはまた別の変化があって、そんなに別に朝起きて部屋をいじるのに時間がかからないから、結局、時間を持て余して、研究をすることになる。で、行きつけの喫茶店が開店する昼頃になったら移動する。ただ、ぼくはいつも、昼頃に起きて、支度をして、昼ごはんを食べて、まぁ、大体14時前後に喫茶店にいって、そこで研究が始まるのだけれど、今は、10時頃から研究が開始されていて、そんで、13時頃には喫茶店に行って、研究するとか、そういう感じで、研究時間が長くなってきてしまっている。

これは悪いことではないから、別にいいのだけれど、ただ、ぼくはいつも23時過ぎまで研究を続けちゃうので、トータルで、12時間以上。なんだか、やる気はあるんだけど、そんなにぶっ続けで続けるのに、精神が耐え切れないような感じがある。だから、精神衛生上、研究を早めに切り上げるにせよ、途中で別のことをするにせよ、なんか2、3時間は別のことをしたい気持ちになってきている。

そして、第三に、煙草の本数が減ってきている。

これもなんでかよくわからないのだけれど、煙草があんまり前より美味しく感じなくなってきている。だから、まぁ、当然1日の本数が減る。別に禁煙しようとは微塵も思っていないんだけど、わざわざ美味しくないものを摂取したい訳でもないから、まぁ、減ってきている。

さて、こんな風に振り返ってみると、なんだかずいぶんな変化のように思える。

つまり、基本的な生活の総体の構成的配置は変わっていない。家にいるのは好きじゃないし、喫茶店にいるし、煙草は吸うし、研究はするんだけれど、なんか微妙にいろんなものがズレていっているというか、微妙な仕方でその全体が変形している、というか、まぁ、そんな感じな訳だ。

こうしようとかああしようと決意してやるのは本当に好きじゃないし、思想的にも無理なんだけれど、身体がそうしようとするなら、それには従わざるをえない。で、いつも通り、その先に何があるかわからないけれど、まぁ、身体がぼくを運んでいくところには結局、ぼくが意識できるようなものではないものがある訳だから、まぁ、そういう冒険は好きだ。

では、この微妙な全体の配置換え、というか変形は、ぼくに何をもたらすのだろうか。ぼくにとって、コロナとともに生きる、というのは、少なくともこういうことである。しかし、それは今なお作られている最中である。コロナとともに生きる、とは生活の冒険である。

喫茶店代か学術書の購入代に変わります。