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精神科治療の超えられない壁

『精神科治療学』という雑誌で「マインドフルネス再考ー様々な対象、領域での応用ー」という題で特集が組まれている。私は、二元論を超えれば、精神疾患者の被害妄想(所謂、悪だと決めつける思い込み)を克服できると信じた。だが、私は精神疾患者の友達の思い込み(彼は、学歴コンプレックスであらゆる人が自分を見下し、上下関係の中で馬鹿にされている妄想)を正すのに成功し、彼は、自己の思い込みの仮姿の本質を理解するのに成功し、もう子供じみた妄想思想を追求しないと心に決めたのだ。だが、問題は解決するどころか、マイナスの方向へ進んでいった。彼は、その今までの自己肯定感を得られなくなってしまったので、他人の尊厳を犠牲にしてまで自己を押し通そうとする行動に出た。私は悲しみに暮れた。そして、私は彼の言動で傷ついたので、関わらないように自分から連絡する事を止めたのだ。其れは、彼に自分への言動を反省させる為でもあった。すると、彼は自己肯定感が更に行き場を失くし、今まで社会と関わろうと積極的だった心が、自分の言動のせいで人に迷惑が掛かってしまうという憂鬱さから、誰とも関わりたくないと、心が閉鎖的に為ってしまった。私は、この経験から分かった事がある。精神疾患者に、二元論を超えさせる必要はない。彼らに、善を押し付けてはならない。人間は、誰しも自己肯定感が無いと、生きる気力を失くすまで追い詰められていくのだ。自己肯定感とは、自分がそのままでいいという生存欲求の保障である。生存欲求は社会と関わりたいという、自己実現の為の自分を更生させようとする自律性でもある。二元論で善悪を分けてしまえば、彼らの自己肯定感が欠如してしまい、他の実体像で補おうとする。もし、自己肯定感が消えてしまえば、存在そのものの否定と為ってしまうのだ。彼らの意識の中の構造を、善悪では決められないのだ。悪を殺し、善を為そうとすれば、彼ららしさが消えてしまうのだ。自分らしさを失えば、社会と関わろうとする能動力を失ってしまう事に為るのだ。彼らの自分らしさは、精神疾患の妄想で補われているのだ。妄想で、自己肯定感を保っているのだ。なので、精神疾患者に必要な治療は、如何に悪と見なされる病状を克服させるかではない。どうやって、彼らの自己肯定感を病気の症状を通してではなく、正常に違う領域で発揮させるか、治療は悪を根絶するのではない、其の人らしさを如何に発展させ、報われない肯定感を上手く生かしていくかである。結論から言うと、その点で、精神疾患者に治療は必要ない。自分達の力で、自己肯定感を自分たちのリズムが生かせる領域で発揮させ、自分らしさを促すしかないのだ。其れは、精神科医が薬物療法だけでは超えられない壁なのである。精神疾患は、病気ではなく、社会構造(環境)と自己像の不一致から為るのだと、当事者の私は身を以て宣言する。


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