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「観光のための文化」から「文化のための観光」へ(1) ほんとうの「開国」

▼日本のあちこちに外国からの観光客が増えているが、その日本にとっての「意味」、とくに経済的な次元ではなく、文化的な次元で考える機会は案外少ない。

だから、現状をほんとうの「開国」だととらえて、「国のかたち」を切実に考えている人も少ない。「たしかに外国人観光客、増えているなあ。なにかが変化しているなあ」と思っている人にオススメしたい本を一冊。

知る人ぞ知るアレックス・カー氏の『観光亡国論』である。清野由美氏との共著。

▼アレックス・カー氏の代表作は、屈指の日本論として名高い『犬と鬼』だ。日本人が、いかに日本の文化を大切にしていないかを、嫌というほどわからせてくれる。まさに「日本の肖像画」であり、それを書いたのは日本人ではなかった、というところが感慨深い。

外務省で働いていた人に聞いたが、発刊当時、在日本の各国大使館でこぞって読まれて、定番の日本論として話題になったそうだ。

カー氏は日本の文化を保存する実践を基本にしてものを書いているから、日本批判の論理に血が流れていて、強い説得力を持っている。マジで溜め息の出るほどよくできた、密度の濃い傑作である。

幸い文庫化されたから、「日本論」に興味があって、未読の人には、一も二もなくオススメする。単行本が出たのが2002年で、文庫化されたのが2017年で、内容にほとんど手を加えるべきところがなかったそうだ。残念ながら、「いかに日本が変わっていないか」がわかる。

▼もうここまでで400字以上使ってしまったから、急いで『観光亡国論』の前提を紹介しておく。

〈IT革命が本格化した20世紀末から世界の潮流は激変しましたが、日本は金融、通信、法律、行政、教育など、社会のあらゆる面で、システムのアップデートが遅れました。

既存の老朽化したシステムにサビが出て、埃がたまり、ガタが目立ち始めたところに、さまざまな国から、さまざまな人たちが、「旅行」「観光」という名目で流入。そのような入国インパクトを急に経験したことで、問題は一気に表面化しました。

自国に対する、外部からの有無をいわせぬ変化としての「開国」は、ほんの4、5年前に始まったばかりです。

 それが日本にとって、どれだけの衝撃があるかは、想像に難くありません。〉(41頁)

▼そのうえで、第6章「文化」が重要だ。第6章から、今号では「ゾンビ化」と「フランケンシュタイン化」という術語に触れよう。

「ゾンビ化」は、昔の様式をそのまま守っていくやり方。「フランケンシュタイン化」のほうが少し複雑な考えなので、詳しく見ておく。

文化が「ゾンビ化」しないよう、核心を押さえて、姿かたちを柔軟に変化させることができればいいのだが、〈核心への理解がなければ、本質とは異なるモンスターを生む方向へと進んでしまう恐れがあります。〉(144頁)

それを「フランケンシュタイン化」と呼ぶ。

〈中国の観光開発では、古い町並みを破壊し、そこに映画セットのような「新しくて古い町」を建設する手法がよく見られます。一見すると歴史的な雰囲気がありますが、素材や形、作り方などは本物の中国文化とは、かけ離れたものです。

テーマパークのような「新しくて古い町」を見慣れた観光客は、自国文化であってさえ、本物とまがい物の区別がつかなくなります。これがフランケンシュタイン化の持つ脅威です。〉(144-145頁)

▼ここで大事な点は、紛(まが)い物は、まさに紛らわしいから、【自国文化でさえ】、つまり、海外からの観光客ではなく、日本人観光客でさえ、「フェイク」を「本物」と勘違いしてしまう、というところだ。

カー氏が指摘するのは、「京都」の実例だ。外国人観光客相手の、〈安価な着物を扱う小売店やレンタルショップの流行〉。筆者も去年京都に行った時、ペラッペラの「着物みたいなもの」を着た観光客が、やたら増えていた街の光景を見て、驚いた記憶がある。

〈これらの現象は、日本の文化や伝統に対する観光客や事業主の無知、という表面的な問題だけではなく、根本に別の要因があります。

それはすなわち、当の日本人が自分たちの伝統の着物や、町家のような空間の継承を放棄したということです。

まがい物の着物や逆さの傘は、単純に「デザイン目線」から生まれたものではなくて、「観光客を喜ばせるために、無理に創造した日本」として、ほかならぬ日本人が作ったものなのです。〉(146頁)

▼なぜ自分たちの文化を壊すかというと、町家を保存するよりも、町家を壊して高層マンションを作ったほうが「儲かるから」だ。とても自然で、わかりやすい論理である。

▼最近、日本はすごい、日本は素晴らしい、というテレビ番組がたくさん作られているが、あれらの番組をつくっているプロデューサーさんやディレクターさんには、ぜひとも『犬と鬼』を読んでほしいところだ。

残念ながら、文化という面でみれば、日本は全然すごいといえないし、全然素晴らしいといえない。もしかしたら「文化」を嫌っているのかもしれない。

自分の立っている土台を、これほど軽々と「生産性」や「経済性」を理由に抹殺し、自らの「歴史」を否定し、「芸術」を否定する民族は、ひょっとしたら他にないかもしれない。そういう意味では、たしかに日本には世界でも稀(まれ)な独自性があるといえよう。

ほんとうの「開国」を迎えた今の日本では、大きな「文化の空白」(146頁)が生まれており、その空白地帯に「フランケンシュタイン」が喜んで入り込んだ、という次第だ。

それは、たとえば京都の町を歩けばすぐにわかる。歩かなくても、あのうんざりするほど醜悪な京都タワーを見ただけでわかる。

2000字を超えてしまったので、とりあえずここまで。(つづく)

(2019年7月1日)

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