海で歌ってたの?いいじゃん
そこは人より牛の方が多いと言われる島だ。
石垣島から高速船で約30分。沖縄県竹富町にある黒島。
少しぷっくりとしたハートの形をした島には、出荷を控えた牛が島民より多くいる。
どこまでも平坦な島には牛の鳴き声と波の音だけが響く。
2013年夏、石垣島でインターンシップをしている束の間の休みを使って一人で訪れていた。
高速船を降りると港のすぐ近くには観光客向けのちょっとした飲食店が1〜2軒ある。その周りを見渡すとレンタサイクルのお店と、ソテツや名前もわからない濃い緑色の草木がたくさん生い茂っていた。
何もないところにポツンと取り残された気持ちになり、非日常を真正面からくらったことに足元が揺らいだ気がした。あ、これは港が浮桟橋になっているから揺れているだけか。
自転車を借りてみることにする。店主に数百円を渡すと、頼りなく錆びた自転車が出てくる。まあいいか、と思いながらまたがるとやっぱり頼りない。でも、まあいいかとペダルを漕ぎ始めた。
道が悪い。舗装されている道はあまりない。凸凹した道、そもそも白い砂浜のようになっている道など、自転車の走行に最適な環境とはいえない。遮る建物がないので日差しも風もとにかく強い。フラフラしながら、ダラダラ汗をかきながら、自転車を漕いでいた。
地図を見ながら目指したのは黒島研究所。主にウミガメの研究をしているところのようで、それ以外にも大きめの水槽やビニールプールが置かれ魚が展示されているという。島に唯一ある観光地で、礼儀のように目的地として設定した。
到着すると海沿いに平屋の建物が立っている。沖縄らしい赤瓦に白っぽい壁が出迎えてくれたが人のいる気配はない。受付にも人がおらず、呼び出しボタンのようなもので呼んで入場料を払う。ウミガメのふん?でできたという繊維の多いポストカードをもらい、持ってきたリュックに仕舞い込んだ。
館内はそれなりに綺麗でウミガメに関する展示も整っている。砂っぽい床を草履でじゃりじゃりと歩きながら、ウミガメが太平洋を縦横無尽に移動していることや、八重山諸島(石垣島や黒島などの諸島のことをこう呼びます)あたりには主に3種類のウミガメが来ること、ゴミなどによってウミガメに甚大な被害があることを学ぶ。ウミガメのふん?を使ってポストカードを作る気持ちもなんとなくわかった。貴重な資源、尊い自然動物への尊敬の念なのだろう。
外に出ると子供が遊ぶプールみたいなものが置かれている。そこにドーンとサメが泳いでいたり、大きなヒトデやなまこなどが放り込まれている。「一時的に入れられている」という感じを漂わせながら、悠然と呼吸をしていた。
黒島研究所を出て、海沿いで自転車を漕いでいると無性に歌を歌いたくなった。
ふと目に入った海に伸びる道に向かい、道が悪くなるとその場に自転車を乗り捨て走り出していた。
ゴツゴツとしたサンゴが並び、砂浜ではない。水際まで行くと、海はどこまでも透き通っていた。透き通った青色の海を観客席に、歌がふと溢れた。
街を歩く、心軽く、誰かに会えるこの道で
この頃、もやもやと考えていることがあった。
それは都会での生活についてだ。
便利で刺激的で多くの人がいる東京。
新宿や渋谷を歩けば、それだけでトレンドのファッションや流行りの音楽がわかる。文化の拠点となる本屋や映画館もすぐ近くにあり、いつでも自分の好きなものに触れることができる。
休日にはちょっと足を伸ばして自然に触れに行くこともできるし、2分に1本くる電車を使って色々な街で遊ぶことができる。
でも・・・
隣に住んでいる人、電車で隣に座った人、街中で目があった人など、ほとんどが知らない人で構成されている。そして、その知らない人たちは互いを知ろうとすることもない。どこまでも人がいて、どこまでも人との距離が遠い都会ってなんなのだろうか。そしてそれが地元なのだ。
石垣島での生活では、人と人の距離が近かった。
「環〜この前、イオンの近く歩いてたな。みたさ」
「ここで何やってるば?そうかバレーチームの試合ね」
「あ!記者さん。この前ありがとね」
街を歩くだけで人に会えることが嬉しくて少しはずかして、そんな刺激を心地よく感じていた。
上京してきた人たちは「田舎はコミュニティが狭いから嫌だ」と言っていたけど、それはそれで人間らしい状況だったんじゃないかなと思った。
オーシャンゼリゼ〜オーシャンゼリゼ〜
都会への疑問を感じ、島での生活を楽しんでいた。でも心に残るのは寂しさだった。
俺の地元・東京は、なんでこうも人がいるのに、みんな知らん顔をして歩いているのだろうと。
体が不自由で困っている人がいたとする。
東京ではどこまでもそんな人に冷たい。駅員さんがやるだろう、介助者がいるだろう、一人でもできるだろうと、多くの人は早足に立ち去ってしまう。
私はそんな東京に家族がいて大好きな友達がいる。その場所と一生付き合っていかないといけない。そんな寂しさ、もっというと虚しさのようなものを感じた。
人が多すぎて人に興味を無くしているような人たちで溢れていると思うとゾッとする。
東京を返してくれよ。
歌っているボリュームがだんだん大きくなった。心地よく歌い始めたけど、最後はほとんど絶叫のようになっていた。
この寂しさや虚しさをどこにぶつければいいのかわからず、とにかく歌いつづけた。気の済むまで歌い、途中で涙も汗も出て、気持ちはすっきりとした。
自転車を拾い上げ、凸凹の道に戻った。
インターンシップを終え東京に帰った。就職活動のエントリーシートを書いているときにこの日のことをふと思い出した。
俺何やっていたんだろう・・・笑
縁もゆかりもない、何にもない土地で自転車を漕いで、ウミガメの展示見て、海沿いで大声で歌う。きっと、何もない、誰もいない、牛はいるという状況が俺のありのままの欲求を解放したのだろう。思い出して恥ずかしくなってちょっと笑った。せっかくなのでエントリーシートに書いてみた。
そのエントリーシートがあれよあれよと進んでいき、ある音楽会社の最終面接まで進んだ。
面接官がいう。
「石垣島にインターンシップしていたの?海辺で歌っていたんだね?笑」
「あ、はい。すみません、しょうもないエピソードで。笑」
「いやいや笑」
「はっきりと、歌に救われたと思ったんですよね。当時、都会の生活とか将来にモヤモヤとしたものを抱いていて、その気持ちを発散したくて海辺でオーシャンゼリゼを歌いました。何も問題は解決していないんですけど、歌って涙を流してっていう行動が僕の気持ちをすごく軽くしてくれたんです。だからこの会社で働いてみたいな、音楽に携わりたいなって思いました」
「あはははは。海辺で歌うのいいじゃん、いいじゃん」
その「いいじゃん」がとてつもなく嬉しかった。
殺伐としたこの東京に、私がモヤモヤしたときにとった行動を許容してくれる人がいる。そしてそれが今日初めてあった人だというのが、希望になった。
きっと出会えていないだけで、どこかにそうやって同じ思いや疑問を持ってくれる人がいるのではないかと。
就職活動でスーツを着ることさえも疑問に思っていた自分だが、スーツを着て面接試験を受けにきたことも悪くなかったなと思った。
その会社からはありがたいことに内定をもらい、自分を含めて2人が合格していた。
内定者の子とは結構気があい、初対面だった内定書などをもらう日に早速意気投合した。人事担当者に会う前、二人で作戦会議をした。
「なんでうちらが合格したか聞こうぜ」
内定書を受け取り、聞いてみた。
「僕らが合格した理由ってなんですか?」
人事担当者は、その子の理由から述べた。
「海外にいた経験もあり知識が豊富。今後の会社の方向性ともマッチしているし、コミュニケーション能力も高かったから」
ふむふむ。
「えーっと、環くんはね・・・笑」
「え?笑」
「海辺で歌ったりね。笑 人柄かな笑」
私の恥ずかしくくだらないエピソードが、内定の要因になった。そしてそれが人柄と判断され、しかも「かな」という曖昧さまで備えている。
その場にいる3人が盛大に笑った。結構、グッときていた。いい会社だなと思った。
結局、その会社の内定は断ってしまった(おいおい)。
それでもあの頃のモヤモヤとしていた自分に新しい出会いと、嬉しい許容をくれた。自分の背中を押してくれたことは間違いない。
面接してくれた人は忘れてしまったけど、「いいじゃん」という声は覚えている。そして、人事担当者の名刺も大事にとってある。
音楽が、音楽に関わる人が、私を救ってくれたのだ。
<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月