見出し画像

優しいことは忘れないでいる

今年の5月、学生の頃から大好きだった4人組バンド・Homecomingsがメジャーデビューした。

Homecomingsと出会ったのは、記憶が正しければ2012年の暮れか、2013年になったばかりの頃だ。
音楽サイトで無料ダウンロードできたコンピレーションアルバムの中に「You Never Kiss」という曲が入っていた。
気に入った僕は当時就職活動の最中だったけれど、渋谷のGAMEという小さなライブハウスに足を運んだ。

ただライブハウスの中には入れなかった。
チケットがなかったわけではない、当日券を買えばよかった。
しかし、自分の将来がどうなるのか見えていない時期だったから、本当に僕はライブに来ていいのか?とか余計なことをたくさん考えてしまって、変な罪悪感を感じて、結局渋谷を少しだけうろついて帰った。
帰りの山手線のホームで電車を待っていた時間に感じた心細さは、今も身体に残っている気がする。

就活を無事に終えて程なくして、Homecomingsはインディーズデビューした。東京で初めて行われた自主企画ライブは、ちゃんとライブハウスの中に入って観た。
とても良いライブだった。グッズはメンバーが物販に立って手売りしていた。

インタビュー記事とかを読んでいるとボーカル畳野さんとギターの福富くんは同い年っぽくて、何かのタイミングで実際にそうだとわかった。
この人たちは就活したのかなあ、バンドだけという訳にはいかないよなあ、食えなくていつか解散しちゃうんだろうなあ、とぼんやり考えていた。

僕が社会人になってから東京を離れて、地方で過ごした期間が3年あって、その間もHomecomingsは京都を中心にアルバムやシングルを精力的にリリースしていた。
平賀さち枝とコラボした名曲「白い光の朝に」(僕の結婚式のエンディングで使った)、独りの寂しさに数え切れないほど寄り添ってくれた「HURTS」、落ち込んだ時の精神安定剤「BUTTERSUND」などが出たのはこの時期だ。
この頃は全国ツアーや遠征ライブの頻度も上がっていたから、名古屋に来た時には、ステージと客席の境が曖昧な小さなライブハウスでライブを何回か観た。
それからギターの福富くんの書く文章に引き込まれるようになった。CDについているライナーノーツなどに書かれている文章が面白くて暖かくて、何度も読み返した。
僕の書く文章は、福富くんの成分が結構入っている。

地方での3年を経て転職することが決まって、僕が地方から東京に帰ってきた年は、Homecomingsにとって停滞期だったらしい。
20代半ばになったしそろそろ解散かなと勝手に失礼なことを思っていたけれど、本当に解散してしまいそうになっていたと、インタビュー記事を読んで知った。
ただそこから持ち直して、アニメ映画のタイアップや有名バンドのトリビュートアルバムへの参加みたいな大きいニュースがあり、ずっと貫かれていた英語詞ではなくて日本語詞の曲を作るようになった。
歌詞の言語が変わっても相変わらず最高な音楽で、段々と演奏するステージが大きくなって、テレビや飲食店の店内で音楽を耳にする機会が増えて、そして昨年末にメジャーデビューすることを発表した。
音楽シーンに出てきてからメジャーデビューするまでの過程を、ここまで細かく見てきたバンドは他にいない。
だからHomecomingsは僕にとって大きな存在であり、愛情深くて、好きなバンドトップ3にはどんな時でも必ず入るバンドだ。
あまり簡単な言葉では表せられない。

画像1

そんな大きい存在だけど、僕はHomecomingsが何をするかを、事細かくは追っていない。
他の好きなバンドは頻繁に情報を集める時もあるけれど、なぜだかHomecomingsは昔から今に至るまでリリース情報とかを細かくチェックしていない。
出掛けたついでにたまたま入ったレコード屋で「あ、新曲出たんだ」とリリースを知り、ライブもあまりこだわらずに行ける時に行くという付き合い方が続いている。
先週金曜日に渋谷であったワンマンライブもメジャーデビューの節目の大切なライブだったけれど、なんとなくチケットをとらなかった。ちょっとだけ後悔してるけど。

それは、安心感ゆえだと思っている。
インディーからメジャーになっても、英語詞ではなくて日本語詞になっても、ギターの福富くんの爪の色が緑色に変わっても、HomecomingsはいつだってHomecomingsなのだ。どんな時でも、会うと安心する存在。

安心する理由は、Homecomingsの音楽の、いやその存在そのものの根底にある、「優しさ」だと思っている。
最近の楽曲には特にそれが如実に現れていて、本人たちも公言している。
そしてその「優しさ」は、8年前からずっと変わらずあり続けているように感じる。
僕は「優しさ」が感じられる音楽を、好き好んで聞いている。
そしてそれが感じられる曲を作り、演奏し続けてくれているHomecomingsのことを、心の底から信用している。

ちなみに、僕が最もHomecomingsの音楽に会いたくなるのは、決まって自分に飛び切り嬉しいことや、辛いことがあった時だ。
例えば、今の奥さんに、付き合いたての頃に初めて貸したCDは、「SALE OF BROKEN DREAMS」というセカンドアルバム。
奥さんが少し時間が経ってHomecomingsを気に入ってくれた後で、一緒にライブを観に行った。心持ち的には、大切な人ができた嬉しさから、友だちに彼女を紹介するような気分だった。

仕事が行き詰まって、生活もなんか冴えない日々が続いた時は、朝にHomecomingsを流すことが多い。
心を静めてくれるような暖かなイントロが流れて、ボーカルの声を聴くと、イケていない日々にも意味があるような気にさせてくれる。
うまく行かない時に、「ちゃんと見てるよ、まあ大丈夫でしょ」と言ってくれるのだ。

だからHomecomingsの音楽は、たとえ聴かない期間があったとしても忘れることはない大きな存在であるし、向こうから何かを押し付けてくることも決してない。
だけど、自分にとって大きな変化があった時には必ず話を聞いて欲しいし、逆も然りで、その度にちゃんと耳を傾け合っている。
そして、僕のことをそっと勇気付けてくれる。これから先も、どんな形になったとしても、ずっとずっと大切な存在であり続けるだろう。

画像2

大学時代から、今も付き合いのある友人・倉貫は、そんなHomecomingsのような存在だ。
倉貫は、土曜日にあった必修の英語の授業で出会った、クラスメイトのうちの一人だった。
大学に入学してから訳も分からずサークルの新歓に行ったり、うわべだけで盛り上がったりすることに疲れていた僕は、土曜日に授業があることに憤りながらも、そのクラスをとても気に入っていた。

クラスには、外見的になんか苦手だなあと思ってしまうような、テニサーに所属しているイケイケの女子がたくさんいた。
ただイケイケだけれど授業は土曜日なのに全くサボらないし、話すと相手を見た目で判断しないフランクな良い人たちだったりした。卑屈になった僕は、彼女たちの優しさに触れて何度か自分を恥じた記憶がある。

本来はそれに呼応するようにイケている男子が何人かいるようなもんだけれど、そのクラスにイケている男子は一人もいなかった。結構な冴えない感じだった。
ただその代わり、イケてるイケてないという価値観には無頓着で、自分の好きなものがあればそれで良いだろうという、スーパーマイペース集団だった。

学外でも有名な演劇サークルに入っていて変わった空気を纏っている変人や、英語の授業ではボロボロなのに「俺留学行きたいんだよね」と目を輝かせている謎の男。
地下アイドルを追いかけまくっていて「昨日ライブで絶叫しすぎて声出ないわ」と笑うサブカルオタクや、「地元にビルが2,3個持ってるから人生余裕なんだよね」的なことを言うけれどなぜか嫌味じゃないボンボン。
そして「それ図書館に置いてあるのを見たことはあるけど、買ってるやつ初めて見たわ」という大きさの美術書を嬉々として席で広げていた男子が、倉貫である。

全員、人生における趣味嗜好が笑えるくらい一致しなかったけれどとてもゆるい連帯感が生まれた。
授業が終わった後は、だいたいいつも、そのままみんなで学食に移動した。
平日と違って、学生以外の親子連れやおじいさんおばあさんがたくさん利用している学食には穏やかな時間が流れていて、そこでダラダラご飯を食べている時間は心地よかった。

土曜日は仲良くても、みんなマイペースで平日も常に連むような関係にはならなかったけれど、倉貫含む4人で夏に一度京都に旅行した。
着いてすぐ、なぜかストイックに鞍馬山を目指してハードなハイキングをした僕らは、チェックインしたホテルで部屋を冷房でキンキンに冷やして爆睡した。
目を覚ました僕らはお酒の飲み方もわかっていない幼さだったけれど、とりあえずホテルを出てコンビニで缶ビールや缶チューハイ、ウィスキーとかを4,50本買い込んで、1日で飲み干した。
全員がめちゃくちゃな状態になって、僕は方向感覚を失ってホテルの壁に頭をぶつけ続け、翌日の清水寺に向かうバスの中で吐いた。
この時のことはなかなか最低で最高な思い出で、僕が倉貫との仲を深めたきっかけでもあった。

倉貫とはお互いが国文学を専攻し、同じ授業をたくさん選択していたこともあり、それからも卒業するまで一緒にいることが多かった。
いつも眠さに耐えきれずグースカ寝ている僕の横で倉貫は真面目に授業を受けいて、国文学じゃなくて美術学を専攻した方が良かったんじゃないのと思うような頻度で大きな美術書を席で広げていた。
2人で演劇を観に行ったり、僕が下北沢で企画していたライブイベントに来てもらったりもした。

画像3


卒業してから、僕と倉貫は緩やかに付き合いを続けている。多分、会う頻度は2年に1回くらいである。
お互いのやり取りのLINEを見返してみると、僕が寂しくなったり困ったりしたタイミングで声をかけていた。
地方に飛ばされて転職するか悩んでいる時、パワハラにあって病んでしまった時。
そしてつい最近、僕は仕事のストレスで消えない蕁麻疹に悩んでいて、気付けば倉貫に連絡をしていた。

もちろん、僕が辛い時だけ会っているのではない。
お互いの結婚式にはもちろん呼びあって、心の底から祝福しあった。
そして、こうしてエッセイだったり小説だったりを書くことをはじめてみよう、と思い至った時に、初めて話した友人が倉貫だった。
コロナで会えない状況で、オンラインでじっくりと話を聞いてもらった。

倉貫自身は、就職してから二回職場を変えていて、いろんな仕事を経験している。
最近は子どもも生まれて、彼の人生は変化し続けている。

だけど、いくら環境や職業が変わろうとも、倉貫は変わらない。
それは、彼の根底にあるのがHomecomingsの音楽と同じで「優しさ」であり、その「優しさ」がにじみ出ているからだ。
土曜日の教室で出会った18歳の頃から、彼は30歳になっても変わらぬ「優しさ」を持ち続けている。

アホみたいに悩んだり苦しんだりしている僕のことを内心「またやべえことなってるなこいつ」と思いながらも、話を親身に聞いてくれる。
倉貫と会うと、いつも僕は必要以上に話し過ぎている感覚になるけれど、それはいつでもちゃんと聞き続けてくれるからだ。
そして彼はいつLINEで連絡しても、彼が愛読しているよつばと!のゆるいスタンプばかり送りつけてくる。
倉貫の変わらなさに触れると、僕はいつも深く安心する。

画像4


この前の4連休、倉貫と久しぶりに会って、荻窪の本屋・Titleに二人で足を運んだ。
倉貫は相変わらず美術書を愛読していて、大きくて重そうな本を買っていたから思わず笑ってしまった。
僕は同じ本屋で、職場の人間関係に悩んでいた奥さんに益田ミリさんのすーちゃんシリーズ買って、自分の悩みにも応えてくれそうな松浦弥太郎のエッセイを買った。
倉貫と会ったからこそ、そういう優しいチョイスになった気がする。

倉貫と会った後は実家に戻って過ごして、母の手料理をたらふく食べた。
いろんな本屋や個展に行って、幼馴染の親友とも会った。
そして連休最終日に、お互いの実家から帰ってきた奥さんと、たくさんの話をした。

全てが全て、「優しさ」に溢れていた四日間だった。
「優しさ」が巡り巡って、僕の身体の中に浸透してくれたのかもしれない。
不思議とこの1週間は、相変わらずストレスな仕事や複雑な人間関係を抱えていたけれど、一ヶ月近く目に見える場所で僕を悩ませ続けていた蕁麻疹が全く出なかった。

僕は、いつもいつも、Homecomingsの音楽や、倉貫のような友人、そしていろんな人や芸術作品が向けてくれる「優しさ」に救われている。
そしてそれを僕は受け取るたびに、受け取った相手や違う誰かに対して、その「優しさ」を渡していきたいと思うのだ。

もしも僕たちが「優しさ」を手渡しし合って、この社会にそれが巡り巡るようになってくれさえすれば、この世の中は少しずつ良くなる気がする。
いや、なってくれると信じているし、なってくれないと困るとも思う。
これ以上、誰かと誰かが罵り合っているのは見たくないし、自分の立場を守るために平気で嘘をつく姿や、集団で個人を弾圧するような黒い部分を目にして、これ以上失望したくない。それがまかり通ってしまい過ぎると、僕は正直生きていける自信がない。

僕は社会に出てから、成果を残さなきゃとか、仕事をバリバリしなきゃとか、そういうことばかり考えていた。
そして、それができない人は弱い、くらいに思っていた。
自分が誰かから受け取ったもののおかげで、そこに立っていたのにもかかわらず。
「優しさ」のカケラもないことを思って、実際にそれを自分に向けられたらわがままに傷ついて、他の人のようにうまくできない自分に疲れて、すり減っていた。

でも、先週の4連休で、僕ははっきりとわかった。
自分にとって最も必要なのは、プライドや強い気持ちではなくて、「優しさ」でしかない。
それさえあれば十分で、「優しいだけじゃ意味ないよ」とか言う人がいるけれど、大きな大きな優しさがあれば僕は生きていけると思った。

実家から帰る途中、京急線の中で聴いたHomecomingsの「CAKES」の、

優しいことは忘れないでいる

という出だしの一小節が、僕の心にストンと落ちた。
納得した、これが僕がHomecomingsの音楽や、倉貫のことを好きな理由だ。

僕と環がこうしてnoteでエッセイを書くようになってから、1年以上がたった。
たまに、書くネタ無くなって来たなあ、とか思うことがある。
でも、そんなことはなかった。
まだまだ僕たちにできることは、文字にすべきことはあるはずだ。

Cakes / Homecomings

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が参加している募集

最近の学び

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?