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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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#バレーボール

目白で気が引き締まっているのは私です

目白で気が引き締まっているのは私です

「次は目白。目白です」
山手線のアナウンスが告げる。まだ一駅しか乗っていないのにな、と惜しく思う。そして胸が高鳴り始める。
浅くなり始めた呼吸のままエスカレーターを登り切り、改札を出て右へ進む。そして20歩くらい歩けばすぐに門が見える。学習院大学だ。

私は大学1年〜3年くらいにかけて、よく学習院大に行っていた。それはバレーボールの練習をするためだ。私が通っていた大学と学習院大は提携のようなことを

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上北台に置いてきた思い出

上北台に置いてきた思い出

「ねえ、上北台って覚えてる?」
「覚えてる!覚えてる!よく練習試合行ったよな〜」
「だよね〜!めっちゃ遠かったよな」

JR新宿駅の東南口を出てすぐの居酒屋で、高校時代の男子バレーボール部の同期や後輩たちと集まっていた。

この日は、キャプテンだった隼人が来年関西に転勤してしまうため、送別会を兼ねた飲み会を開いたのだった。当然、懐かしい話はするわけで、その中で上北台駅が最寄りの高校に行ったという話

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後楽園の体育館で向き合ってくれていたのは校長先生だった

後楽園の体育館で向き合ってくれていたのは校長先生だった

弱小男子バレーボール部の顧問は校長先生だった。

私は中学生の頃、男子バレーボール部に所属していた。ただ、私が入学したのと入れ違いで顧問の先生が異動(しかも不祥事)となり、衰退の鐘が鳴った。そして、大昔にバレー部で指導経験もある校長先生が顧問に就任したのだ。

校長先生の指導が悪かったのではなく、顧問が校長という立場だったのが問題だった。校長先生はほとんど練習に来ることができず、校長室を突撃すると

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