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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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2023年10月の記事一覧

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

環状8号線を走っていて練馬あたりを通るとむずむずする。それは高校生の頃の恥ずかしい記憶がいまだにちらつくからである。

私は高校生の頃、本格的に古着文化が好きだと自覚した。そして、古着を買うためにいろいろな街に繰り出すようになった。練馬あたりに住んでいた私は、古着屋の多い高円寺にチャリで行くようになったのだった。

しかし、中学生のころと打って変わって古着が好きだとしっかりと自覚すると、雑誌を読ん

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駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

高校2年生の10月、もうすぐ秋の公式戦が始まろうとしていた頃のことだ。
サッカー部に所属していた僕は、ちょっとした怪我が続いていた。
練習中に思いっきり腕を打ちつけてしまったり、もともと持病があった腰が痛くなったり。
練習を途中で切り上げるようなこともあって、先発とベンチスタートを行ったり来たりしていた。

そんな時期に、駒場東大前から少し歩いたところにある高校で、練習試合があった。
都内のサッカ

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後楽園の体育館で向き合ってくれていたのは校長先生だった

後楽園の体育館で向き合ってくれていたのは校長先生だった

弱小男子バレーボール部の顧問は校長先生だった。

私は中学生の頃、男子バレーボール部に所属していた。ただ、私が入学したのと入れ違いで顧問の先生が異動(しかも不祥事)となり、衰退の鐘が鳴った。そして、大昔にバレー部で指導経験もある校長先生が顧問に就任したのだ。

校長先生の指導が悪かったのではなく、顧問が校長という立場だったのが問題だった。校長先生はほとんど練習に来ることができず、校長室を突撃すると

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仙川で生活したからこそ気付いたこと

仙川で生活したからこそ気付いたこと

数年前、奥さんと同棲をはじめた街が仙川だった。
もともとそれぞれ一人暮らしをしていた下北沢エリアで2人で住める家を探してみたけれど、そこそこの家賃を出しても古過ぎたり、狭過ぎたりする物件にしか出会えなかった。
仕方なく井の頭線沿線を諦めて京王線沿線に広げて物件を探し始めると、23区を抜けて調布市に突入したあたりからいきなり家賃帯が下がることがわかった。都心に出るのに交通が特段不便でもないので、一度

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