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宮本武蔵はこう戦った

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#小説

短編小説「宮本武蔵が約束に遅れた理由」

短編小説「宮本武蔵が約束に遅れた理由」

武蔵は、小舟に乗り込むと、真ん中の粗末な敷物が敷かれた席に腰を据えた。

そして、船頭を見やり、目で出すように促した。

船頭はそれには返答せず、おもむろに立ち上がり、櫂(かい:舟をこぐ道具)を手繰り寄せた。

右手の肘の二寸ほど先がなかった。

かつては、足軽として、戦に出ていたのだろうか。

粗末な身なり船頭なのだが、明らかに、それは切り合いで、切り落とされた跡と見受けられる。

得体のしれな

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短編小説『佐々木小次郎の知られざる過去』

短編小説『佐々木小次郎の知られざる過去』



小次郎は目を閉じ、ひたすら武蔵を待ち続けていた。

全ての雑念を遮断し、神経を丹田に集中させた。

陽がゆっくりと動く。

潮が引き。

また満ちてゆく。

小次郎は、何時間でも、何日でもその状態でいることが出来る。

心を微塵も動かさない。

積み重ねた鍛錬のたまものである。

物心ついた時から木刀を握っていた。

親の顔さえ知らないのに、その木刀だけは今でも鮮明に思い出す。

ずっしりと

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短編小説『生きるためにしなければならないこと』

短編小説『生きるためにしなければならないこと』

武蔵は海を見ている。

日の出から随分時間が経った。陽が昇って頭上近くになろうとしているのに、その間じっと海面を見つめている。

光が交差して、宝石のように輝いて武蔵の顔に反射している。

それでも武蔵の表情は変わらない。目を見開いたまま海面を見つめている。

視線の先は、様々な曲面を描いて、絶えず揺れ動いている海面に向けられている。桟橋に腰をおろしたまま、用意されている小舟に乗ろうとしないのだ。

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短編小説『異形のサムライ』

短編小説『異形のサムライ』

見てしまった。

佐々木小次郎という剣士を。

その存在自体を見てしまった。

それは、今までに見たことのない存在。

自分の範疇の中に入らない存在。

得体のしれない怪物を知ってしまった。

自分にとって得体の知れないものは、本能に漠然とした恐怖をもたらす。

試合に臨むとき、勝負とは言え、対戦相手と一体の世界を作り上げて行く。

その共同作業の時、どちらかが主導権を取った瞬間、勝負は決まる。

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短編小説『天才佐々木小次郎の唯一の汚点』

短編小説『天才佐々木小次郎の唯一の汚点』

滑空する燕が真っ二つに斬られた。

斬られた胴体は、風に吹かれた木の葉のようにひらひらと舞いながら地に堕ちた。

「恐ろしい」

武蔵は、全身が金縛りにあったように強張って、身動きが出来なくなってしまった。

佐々木小次郎は、目の前で見た「燕返し」の技を私との試合に使うに違いない。

彼は私の太刀よりはるかに長い太刀で、遠い間合いから攻撃をしかけてくる。

相手が、遠い距離から仕掛けてこられると、

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小次郎,敗れたり!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

小次郎,敗れたり!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「佐々木殿、敗れたり」

武蔵は、小次郎に向かって言い放った。本来であれば、目上の人に対して礼を失する発言であるが、小次郎 の心を乱すのには有効だと敢えて言った。もちろん、己を鼓舞する意味もある。しかし、その根底に流れているのは、小次郎の冷徹な行いに対する怒りである。

小次郎は、冷静を保って、表情には何も現さなかった。しかし、内面は大きく揺れ動いた。何気なく取った行為が、武蔵に見透かされたことで

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短編小説『涙と鯖の煮付け』

短編小説『涙と鯖の煮付け』

娘のカンナは、お友達と食事をして帰るので今日は遅くなるという。

今夜は一人きりので過ごさなければならない。

病院で裕司の病状を聞いてから、今普通に生活していることが現実じゃないような気がしている。悪い夢をずっと見ているような気がする。早く目が覚めて、すべてが夢の中だったと思いたい。

頭の中をずっとサティのジノペティ№1がずっと流れ続けている。

ソファに座ったまま何もする気が起こらない。身体

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たそがれ(『天国へ届け、この歌を』より)

たそがれ(『天国へ届け、この歌を』より)

帰りの地下鉄は、混み合う。

特に淀屋橋から梅田方面に行こうとすると、京阪の乗り換え等で降りる人より、乗り込む人の方が圧倒的に多い。

充分に混んでいるところに、無理やり入り込まなくてはいけない。

たまに、座れそうな席がある車両が来るが、それは、中津行きか新大阪行きである。降りる駅はその先である。乗り換えが面倒なのでそれには乗らない。

いつも、先頭から2両目の2番目の出入り口に乗るようにしてい

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異形のサムライ(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

異形のサムライ(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

父、無二斎より、小倉藩の権力争いのごたごたを収める意味も含めて、「佐々木小次郎」なる剣術師範と試合をしてくれと懇願された時も、さほど気にも留めていなかった。

政治ににかかわる垢じみた剣術家など、いつものように一蹴してやればよいと思っていた。

しかし、見てしまった。

佐々木小次郎の使う剣を。

その存在自体を見てしまった。

それは、今までに見たことのない存在。

自分の範疇の中に入らない存在

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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(『宮本武蔵はこう戦った』より)

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「こだわりを捨てよ」

武蔵は、 自分に言い聞かせた。

大地と一体化するのだ。

自然の声を聴くのだ。

運命は、すでに定まっている。

全てに身をゆだねるのだ。

降り注ぐ陽の光が、語り掛ける。

雲の流れる音がする。

波のささやきが、手に取るようにわかる。

見よ。

海面は、我が意のままになっているのではないか。

いや、そうではない。

分かるのだ。

どんなに小さい海面の動きも、把握

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海を見つめる武蔵(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

海を見つめる武蔵(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵は海を見ている。

日の出から随分時間が経った。陽が昇って頭上近くになろうとしているのに、その間じっと海面を見つめている。

光が交差して、宝石のように輝いて武蔵の顔に反射している。

それでも武蔵の表情は変わらない。目を見開いたまま海面を見つめている。

視線の先は、様々な曲面を描いて、絶えず揺れ動いている海面に向けられている。桟橋に腰をおろしたまま、用意されている小舟に乗ろうとしないのだ。

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本能には勝てない!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

本能には勝てない!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「恐ろしい」

武蔵は、全身が強張って身動きが出来なくなってしまった。

小次郎は、目の前で見た「つばめ返し」の技を私との試合に使うに違いない。

彼は、私の太刀よりはるかに長い太刀で、遠い間合いから攻撃をしかけてくる。

相手が、遠い距離から仕掛けてこられると、こちらでは、明らかに届かないと分かっていても、今までに経験したことのない長さの太刀であることが頭に刷り込まれているので体が勝手に反応して

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勝負あり!(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より

勝負あり!(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より

一刀両断、斬り下ろす。

むぅ、手応えがない。

突進してきた武蔵が急に身体をのけ反らせ、砂の中に沈み込むようにしてかわした。

一太刀で仕留めることが出来なかった。

しかし、小次郎には、まだ心に余裕があった。

武蔵は、小次郎の間合いに踏み込んで入っているが、彼が打ち込むことが出来る間合いには入っていないからだ。

愛刀長光は三尺三寸、武蔵の木刀はせいぜい二尺五寸もあるまい。

一足分の距離

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武蔵、目を覚ませ!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

 武蔵は、目を閉じたままでいる。闇夜の中にいる。

 力の限り、砂の上を走る。

 小次郎の顔が段々と大きくなる。

 燕返しの前触れである横に払う太刀の動きがない。小次郎の太刀は大上段、頭上のまま。

 それでも走る。

 目の前が小次郎の顔で一杯になった。

 ハッ!頭上に、稲妻。

 斬られる!

 思わず目を閉じる。

 思いっきり足を踏ん張る。砂の中に両足を打ち込むように、突き刺す。体が

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