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#安楽死制度
逆算で考える~安楽死制度を議論するための手引き06
論点:安楽死制度実現までのロードマップを描けるのか?
昨年の5月から、この「安楽死制度を議論するための手引き」の連載を続けてきましたが、ここでもう一度改めて、この連載が目指す方向がどういったものだったか振り返っておきましょう。
みんな、ゴールを妄想するのは得意なんですよね。
「○○大学に合格したい」
「女の子にモテるようになりたい」
「豪邸を建てて優雅に暮らしたい」
この延長線上に
「安
安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き05(第2部)
今回は「新しい人権」についての話です。
前回は「死の権利」が新しい人権として認められるかどうかが問われる、と書きはしましたが、実際に法的根拠をもって「死の権利」が新しい人権となれるかは、かなり困難な道と言わざるを得ません。
日本国憲法が成立して以後、「新しい人権」として法的に認められた人権は、4つあるそうです。 内容は、こちらの行政書士さんのブログからです。
逆に言えば、「新しい人権」
安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き05(第1部)
論点:議論は国家・個人的信条・社会的慣習などから自由であるべきである
前回の記事では、「医師はそもそも安楽死制度の実行に関わるべきでは無いのではないか」というテーマについて議論の進め方を書きました。
今回の記事では、安楽死制度を議論する上での最大のタブー「個人的信条を安楽死制度の議論に持ち込まない」について取り上げます。
わかりやすいタブー:経済と安楽死を結びつける議論
いきなり「個
安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第2部)
論点:安楽死を実行/介助することができるのは医師に限定すべきか
前回の記事では、「安楽死を実行するのは誰か」というテーマにおいて、医師全員にその資格を与えるべきか、与えた場合と与えない場合でどのようなメリット、デメリットがあるのか、について解説しました。
医師全員が安楽死を実行できるようにするにせよ、実行するための資格を別途準備するにせよ、大きな混乱が起きることは必至です。安楽死賛成・反対
安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第1部)
論点:安楽死を実行/介助する資格を全国の医師全員に認めるべきか
安楽死制度が実現した場合の運用を考える際、「誰が安楽死を実行するのか」の問題が常に付きまといます。
海外においては、基本的に医師が実行(処方)する運用ですが、やはり医師によって「私は自らの患者に安楽死を行うことを拒否する」方もいるようです。
おそらくは日本においても、安楽死制度の運用が開始された場合に、それを積極的に行っていこ
安楽死制度を求めていくために必要な3つの要素~安楽死制度を議論するための手引き02(第4部)
論点:患者の自己決定権は、十分に保護されているといえるか?
さて、今回は「患者の権利法」について。
僕が前回までお話していた、「安楽死制度を求めるために必要な3つの要素」。覚えていますか?
①緩和ケアの発展と均てん化
②医療の民主化
③患者の権利法
でしたね。今日はいよいよその最後になります。
「患者の自己決定権」は保証されているか
僕は、前回の「医療の民主化」の項で、安楽死制度
安楽死制度を求めていくために必要な3つの要素~安楽死制度を議論するための手引き02(第2部)
論点:安楽死制度は必要性があることは事実。考えるべきは「どう運用するか」「いつ制度化可能か」
前回、僕は
と解説をしてきました。
それと同時に、
「人間の苦痛には際限がなく、全ての苦痛をゼロにすることは不可能」
とも話しました。苦痛に際限がない以上、緩和ケアはその技術の発展のために歩み続けるのみで、ゴールに到達できることは無い。つまり、安楽死を制度化する前に、緩和ケアを充足させるべし、って主
安楽死制度を求めていくために必要な3つの要素~安楽死制度を議論するための手引き02(第1部)
論点:安楽死制度は必要性があることは事実。考えるべきは「どう運用するか」「いつ制度化可能か」
「安楽死制度をつくるには時期尚早」
とは、議論やコメントでよく用いられる結論だ。
しかし「じゃあ、いつになったらできるようになるのか?」の問いには誰もが口をつぐんでしまう。
「国民的議論を慎重に進めていくべき」「国民の意識が変わっていくことが大事」のような抽象的かつゴール設定不能な結論に終始している場合
苦しみの全てをゼロにできるのか~安楽死制度を議論する手引き00
安楽死を求めた二人の物語をつづった『だから、もう眠らせてほしい』の公開、そして書籍化から2年。
国内では安楽死制度の成立を求め、それに賛成する声も多い中、国民的議論としてはほとんど進展をみせていない。
安楽死制度の話題が出るたび、「もっと議論を深めるべき」「いまの日本では時期尚早」という結論が繰り返されるが、「では具体的にどのような論点で議論を深めるべきか」「いつになったらその『時期』が来るの