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安楽死を行うのは誰か~安楽死制度を議論するための手引き04(第1部)

論点:安楽死を実行/介助する資格を全国の医師全員に認めるべきか

 安楽死制度が実現した場合の運用を考える際、「誰が安楽死を実行するのか」の問題が常に付きまといます。
 海外においては、基本的に医師が実行(処方)する運用ですが、やはり医師によって「私は自らの患者に安楽死を行うことを拒否する」方もいるようです。
 おそらくは日本においても、安楽死制度の運用が開始された場合に、それを積極的に行っていこうとする医師はかなり限られてしまうことが予測されます。日本ではこれまで、医師だけでなく市民の間でも「1分1秒でも長く、命を永らえさせること」が重視されており、それに添うような実践や教育が行われてきたためです。最近になってようやく、緩和ケアや個人の尊厳の名のもとに、治療を差し控える(消極的安楽死)が許容され始めていますが、それはあくまでも自然死を邪魔しない範囲で、さらに寿命が1か月前後に限られていると予測される場合に限定されています。それ以上の予後が残っていると予測される場合で、意図的に治療を差し控えることは医師の感覚からは強い反発を生む場合がほとんどでしょう。
 さらに、「余命が1か月程度に迫っていて、治療による延命効果が見込めない」ことが医学的にわかっていたとしても、「せめて点滴くらいは」「せめて○○の薬だけは」と、医療行為を継続してしまうこともまだまだ多く認められます。「治療の差し控えは許容され始めている」とは言っても、全ての治療行為を引き上げて、「何もしない」状態にすることには耐えられない、という医療者がほとんどなのです。そこにはやはり、「患者さんに苦痛を与えるような治療は控えるけど、そんなに負担がかからない治療なら、それをすることでもしかしたら少しでも良いことがあるのではないか・・・」という医療者に課せられた「呪縛」のようなものが見えてしまいます。
 このように、「治療の差し控え=自然死」を、本人含め皆が納得しているにも関わらず、何かしたがる医療者が大多数、という構造の中で、「意図的に寿命を短縮する」安楽死制度に積極的に加担する医療者が多いはずがないのです。
 もちろん、10人に一人ぐらいは、(それが不本意であったとしても)安楽死制度の運用に関わろうとする医師もいるでしょう。しかし、その医師が「公平・中庸」の思想を持っている医師かという保証はありません。「1分1秒でも命を永らえさせる、そのためには患者が苦しもうが何でもする」という思想の医師が極端である一方で、反対側の極端には「苦痛がある患者にはすぐに安楽死制度を適用すべきだ」と考える医師が出てきても不思議ではありません。そうなってしまうと患者さんは、担当になった医師によって大きく寿命が変わることになってしまいます。もちろん、現在においても担当医の力量などによって、患者さんの寿命に差が出ることは否めませんが、多くの分野において「標準治療」があり、それを規定したガイドラインなども整った現代においては、それほど大きな差にはならないはずです。しかし、安楽死制度の運用が、各医師の「思想」に依ることになってしまうと、本来であればもっと生きられたはずの人が「安楽死制度の適応」とされて・・・という例が頻発する恐れがあります。

安楽死制度を運用する資格

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