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【壬癸の章】理想の味を求めて
これは数年前に職場を離れた、先輩Dさんから聞いた話。
──Dさんは若い頃から無類のラーメン好きで、いつか自分でも店を持ちたいと考えるほどだった。
昼間は仕事をしながら、休みの日には理想の味を求めて色んな店のラーメンを食べ歩き、熱心に「研究」していた。
ある夜のこと。
その日は仕事が思った以上に忙しくて昼食をまともに摂ることができず、しかも帰りが終電間際になってしまい、Dさんは空きっ腹を抱えて家路
マアトとゲレグ─ウソとまことの物語─
これは太陽神ラーが若く力に満ちて、地上の王として君臨していたころ。ヘリオポリスの9柱の神々が、直接人間の訴えに耳を貸していたころの話です。
あるところに「マアト(まこと)」、「ゲレグ(ウソ)」という名前の兄弟が住んでいました。二人は何もかもが正反対で、マアトは真面目で正直、働き者で目鼻立ちの整った美男子でした。弟のゲレグは嘘つきでずる賢く、怒りっぽくてそれほど美男子ではありませんでした。
あ
【戊己の怪】足跡を辿る
昨晩から降ったりやんだりの雨。
どうにも天気がつかみにくいので、自転車を諦め、徒歩で買い物に行くことに決めた。
スマホに入れたお気に入りの音楽を聴きながら、テクテクと目的地を目指す。
天気が不安定なせいか、道行く人は少ない。
せっかく持ってきたのに出番のない傘をブラブラさせつつ、のんびりと歩行者用のグリーンレーンを歩いて行く。
ふと視線を落とせば、白線の上に泥だらけの足跡が残っていた。
(きれいに
宿直草「湖に入り、武具を得し事」
近江国に住んでいたある侍は、長さ二間(約三・五メートル)ばかりの蛇を切ったことから巷では「蛇切り」と呼ばれていました。
この侍の住まいは琵琶湖の東にあり、その水底には一匹の蛇が住み着いていると言われておりました。
ところがどこの誰の仕業か分かりませんが、ある時、侍の家の門に
「この湖に住む蛇を退治すべし」
と書かれた札が貼られるようになりました。
侍はこの書付を見て
「筆まめなことだ」
と
宿直草「蛇の分食といふ人の事」
ある人が語ります事には、元和八年(一六二二年)の秋、紀の国和歌山へ四〇歳くらいの男が、籠に魚を入れて売り歩く商売をしていました。
男はヤカンのようにツルツルの頭をしており、人々は彼の事を「蛇の分食(わけ)」と呼び習わしておりました。
男が魚を売り終わって帰っていくと、その後ろ姿を見ながら
「あの人はどういった人なのですか?」
と尋ねてみました。
魚を買った家の亭主は薄く笑いを浮かべながら、こう
宿直草「猟人、名もしれぬものをとる事」
紀州日高郡に住んでいた猟師が一人で山に入り、鹿を誘い出すために鹿笛を吹いていると、向こうのススキ原でかさこそと動くものがありました。
鹿が隠れているのだと考えた猟師がさらに鹿笛を吹き鳴らすと、この音につられたのか何者かもこちらへと近付いてきます。
下草をかき分け、猟師が静かに鉄砲を構えて待っておりますと、相手と自分の距離が七、八間(十二、三メートル)のところまで縮まりました。
そっと覗き見れば、そ
宿直草「やま姫の事」
ある牢人(主家を持たず、任官していない武士)の言うには、備前岡山にいた時に、山の中にある一軒家に出かけて行ったことがあると申します。
家の主人が
「狩りのために山の奥深くへ分け入った時のこと。年の頃は二十歳前後で艶やかな黒髪を持った、大変美しい女を目にした。色鮮やかな小袖を身にまとっていたが、あれはきっと生きている人間ではなかったのだろう。
このような何処とも知れぬ山の中、不気味で怪しく思ったの
宿直草「たぬき薬の事」
打ち身の薬として「狸薬」という物がございます。
狸が薬に入っていると言う訳ではなく、狸に教えられたが故にそのような名前になったと伝えられています。
ある侍の奥方が、夜に雪隠(トイレ)へ行くと局部をなでる毛の生えた柔らかい手がありました。
夫に
「このような事がありました」
と伝えると、
「それは狐などの所業に違いない。用心したほうが良い」
と言われました。
次に雪隠へ行く際に、奥方は用心