宿直草「蛇の分食といふ人の事」

ある人が語ります事には、元和八年(一六二二年)の秋、紀の国和歌山へ四〇歳くらいの男が、籠に魚を入れて売り歩く商売をしていました。
男はヤカンのようにツルツルの頭をしており、人々は彼の事を「蛇の分食(わけ)」と呼び習わしておりました。
男が魚を売り終わって帰っていくと、その後ろ姿を見ながら

「あの人はどういった人なのですか?」

と尋ねてみました。
魚を買った家の亭主は薄く笑いを浮かべながら、こう語ります。

「彼はもともと、山に住まいする者でした。彼が六つになる長月(九月)の頃、彼を大層可愛がっていた伯父と一緒に山雀(やまがら)を捕りに囮を持って山へ入っていったのです。そこで彼らは沢山の獲物を捕ることが出来たと言います。伯父が彼に『この小鳥籠を持ってあの池に行き、器に水を入れておくれ』と言いつけました。
彼が池に向かって、随分と経ちますが戻ってくる気配がありません。甥の名前を呼んでも返事もありません。不審に思った伯父は、幼い甥を探しに池の近くまで近寄っていきましたが、鳥籠と草履はあるものの、甥の姿はどこにもありません。あちらこちらと見回してみると、池の向こうにある茂みの中に太さ五、六尺(約一五一~一八一センチメートル)、まるで松の木かと見紛うほどの大蛇が舌なめずりをしているのを発見しました。
さては、こいつが甥を飲み込んでしまったに違いない。そう思った伯父は急いで自宅へ戻り、弓矢を携えて取って返してきました。蛇は相変わらず、先程と同じ場所に横たわっておりました。
伯父は弓を引き絞り、びょうと矢を放つと、狙い違わず蛇を打ち取ることが出来ました。動かなくなった蛇に近寄り、脇差しで腹の膨れている部分を縦に三尺(三メートル)ほど切り裂いてみますと、探していた甥が姿を表しました。伯父は気付け薬を飲ませて、自宅へ戻っていったのでございます。
その後、何の障りもなく息災に育っていましたが、その男児に蛇に飲み込まれた時の事を尋ねると

「飲み込まれた時は、まるで暗がりの中にいるようでした。苦しい事は何もありません。その後、頭へ水滴が二、三回と垂れてきて、たちまち全身が砕けるかと思うほどに苦しくなったのです」

と応えました。
そのために、今でも頭髪は一本も生えず、すべすべになってしまったというのです。
元服の際の初元結の際にも髪が乱れることもなく、櫛の歯が傷むこともありません。
さらには、坊主であっても短い毛を剃るために使う剃刀が、この人に対しては使いみちがなく捨てられてしまう有様です」