宿直草「湖に入り、武具を得し事」

近江国に住んでいたある侍は、長さ二間(約三・五メートル)ばかりの蛇を切ったことから巷では「蛇切り」と呼ばれていました。
この侍の住まいは琵琶湖の東にあり、その水底には一匹の蛇が住み着いていると言われておりました。
ところがどこの誰の仕業か分かりませんが、ある時、侍の家の門に

「この湖に住む蛇を退治すべし」

と書かれた札が貼られるようになりました。
侍はこの書付を見て

「筆まめなことだ」

と引き剥がして破り捨ててしまいました。
また次の夜も

「ぜひ湖の蛇を退治して頂きたい」

と書いた札が張り付けてあります。
これも破り捨ててしまいましたが、捨てても捨てても札は侍宅の門に六、七枚、八、九枚と張り付けられていきます。
しかも枚数を重ねるうちに、侍への雑言悪口まで書き連ねられるようになっていきました。
何とも人を侮った話で、言葉もありません。

「これはどちらにしても、蛇を退治しないわけにはいかないだろう」

侍はそのように考えるようになっていきました。
そして

「私は望んではいないけれど蛇を殺した。また人々は私が頼んでもいないのに、私の事を『蛇切り』と呼ぶ。嬉しくとも何ともない。これを手柄と思ったこともないし、自画自賛したこともない。しかしこの湖に蛇が住んでいるからと行って、誰かが私に『蛇を殺せ』と指図をする。非常に迷惑なことだ。だがその一方で、私を選んでくれたことに対する面目もある。これは仕方のないことなのだろう。下級武士である私がどのようにしてこれを辞退することができようか。
幸いなことに、来月某日、庚寅の日が吉日である。巳の刻(午前十時頃)に蛇を退治しようと思う。どうぞその時刻に湖へおいで願いたい」

と札に書いて門前に立てました。
人々がこれを見て

「札の書面、しかと確かめた。だが、これは無理なことではないか」

と噂し合いました。
いよいよその日、侍が指定された場所に出掛けると、見物人が群れになっておりました。
侍は酒をあおって裸になり、下帯に刀を差して、底の見えぬ湖へと入っていきました。
危ないと思いながら人々が見つめる中、侍は随分と長い間潜り続け、ようやく浮き上がりました。
呼吸を整えながら

「さてさて。蛇はどこにいるのかとあちこち見やったが、元からいないものなのか、それとも出てこないだけなのか、蛇と思われる姿はなかった。しかしながら、岸の下には広さ三間(約五メートル四〇センチ)四方の穴があり、その中に水が動くたびに光って見えるものがある。さてはこれが、と側に寄って刀で二度、三度と刺してみたが、動きもしない。まったく合点がいかない。今一度潜り、これを取ってこようと思う」

と言い、長い縄を取り出してその端を下帯に結び、再び水中へ潜っていきました。
しばらくして浮き上がった侍は、周囲の野次馬に

「引き上げてくれ」

と声をかけました。
人々が縄に手をかけ、力を合わせて引き上げてみますと、具足甲が水中から姿を現しました。
それを見て野次馬たちはどっと沸き立ち、口々に侍を褒め称えます。
落ち着いてからよくよく見てみれば、どうやらそれは入水自殺をした鎧武者のようでございます。
まるでミイラのようにこり固まった姿で甲、具足、太刀、脇差しも黄金作りの立派なものです。
他の物は長年水に浸かっていた事で錆び腐ってしまっていましたが、金はまったく傷ついていません。
保元(一一五六~五九年)のものか、寿永(一一八二~八五年)のものか、はたまた建武(一三三四~三八年)、延元(一三三六~四〇年)の頃の大将なのかも知れないと言います。
見物人たちも

「あっぱれ、蛇を殺せる勇士かな」

と侍を褒め称えたのでございました。