宿直草「やま姫の事」

ある牢人(主家を持たず、任官していない武士)の言うには、備前岡山にいた時に、山の中にある一軒家に出かけて行ったことがあると申します。
家の主人が

「狩りのために山の奥深くへ分け入った時のこと。年の頃は二十歳前後で艶やかな黒髪を持った、大変美しい女を目にした。色鮮やかな小袖を身にまとっていたが、あれはきっと生きている人間ではなかったのだろう。
このような何処とも知れぬ山の中、不気味で怪しく思ったので、携えていた鉄砲を構えて撃ったのだが、相手は鉄砲の弾を右手で受け止め、牡丹のような色をした唇にニッコリと笑みを浮かべたのだ。それが何とも凄まじい姿だった。
慌てて二発の弾を手早く詰めて再び三度撃ち込んだのだが、これも左手で受け止められてしまった。女の笑みは深くなるばかり。これにはすっかり打つ手がなくなってしまった。
どうしようもなく恐ろしくなって、私は来た道を大急ぎで逃げ帰ってきたのだ。アレが追いかけてこなくて本当に良かった。
その後、物知りの年寄りにこの話を聞かせたら、『それは山姫と呼ばれる存在だ。相手に気に入られれば、宝などをくれると言うぞ』

と教えてもらったのだ」

という話を聞かせてくれました。

そんな宝など、貰わないほうがいいに決まっていると牢人は思ったのでございます。