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【庚申の怪】レ イ ゾ ウ コ

OLの栄子さんは同棲している彼氏との生活で、ある不便さを感じていた。
これまでは1人暮らしだったために小さめの冷蔵庫でも問題なかったのだが、さすがに大人2人で使うには容量が圧倒的に足りないのだ。
とは言っても大型の新品冷蔵庫に買い換えられる程の経済的余裕はない。
彼氏と相談の結果、リサイクルショップで中古の冷蔵庫を購入する事に決めた。
何件か回ってみたのだが、どうにも気に入った商品が見つからない。
「どれでも一緒だろ」と渋い顔をする彼氏に、「毎日使うのは私」と栄子さんは譲らなかった。
今日はここでラストにしようと足を踏み入れたリサイクルショップで、彼氏が1台の冷蔵庫に目を留めた。
「おい、あれなんかいいんじゃないか?」
指差した先にあったのは、まだ新しそうな冷蔵庫だ。
「へー。容量もちょうどいいくらいだね」
栄子さんは付属していた取扱説明書を見ながら、何度もドアを開閉して具合を確かめた。
その商品は型式も新しく、とても良い物に見えた。
「もう決めちゃおうぜ。冷蔵庫ないせいで、買い置きも出来ないし」
これから気温の高い季節になる。
これ以上、冷蔵庫なしで生活するのは難しいだろう。
値段も用意していた金額でお釣りがくるくらいだ。
「そうだね。これに決めようか」
他の店を探したとしても、おそらく、この商品より型式の新しい物は見つからないだろう。
店員を呼ぶと、購入の旨を伝えた。
配送の予定を確認すると、明日の午前中になるという。
今日1日を我慢すれば、念願の冷蔵庫がやってくるのだ。
栄子さんは良い買い物をしたと、ホクホクして帰宅したと言う。

冷蔵庫をキッチンの定位置に据え、早速買ってきた食材を詰め込んでいく。
これで会社帰りに、慌ててスーパーに駆け込む毎日から開放されると栄子さんは喜んだ。
作る料理のレパートリーも増え、彼氏も満足そうだ。
しかし1週間ほど経つと、おかしな事が起こり始めた。
冷蔵庫のドアが知らない間に開いているのだ。
最初は、彼氏が中の物を取り出した時にしっかりと閉めていないのだと思っていた。
「中の食材が傷んじゃうから、開けたらちゃんと閉めてよ」
冷蔵庫からビールを取り出した彼氏にそう言うと、彼氏は不機嫌そうな顔をして反論した。
「俺はちゃんと閉めてるよ。お前こそ、ちゃんと確認しろよ。何でも俺のせいにされちゃ、かなわねぇよ」
冷蔵庫のドアが開いているのは彼氏も気がついていて、栄子さんのせいだと思っていたらしい。
「これ、パッキンに問題があるんじゃねぇの? なんて言っても中古だからな」
彼氏がドアのパッキンを触り、何度か開閉してみる。
しかしその時は、問題なくドアはきちんと閉まるのだ。
お互いに注意しようと話し合い、納得いかないながらもその場は収めることにした。
栄子さんはパッキン部分が汚れているからかも知れないと考え、隅々まできれいに掃除をし、ドアの開閉にはこれまで以上に気を使うようになった。
だがドアはそんな彼女の努力を嘲笑うように、開き続ける。
それだけのみならず、保存していたはずの食材がなくなるのだ。
「ねえ、入れておいたシュークリーム食べた?」
「はぁ? また俺を疑うのかよ! お前だって俺の買ってきた肉とか勝手に食っただろうがよ。せっかく2人で食おうと思って、奮発して買ってきたってのに」
「知らないよ、そんなの。自分で食べちゃったんじゃないの。私がいない間に、友達連れ込んで騒いだりしてるんでしょ!」
「そんなわけねーだろうがよ!」
何度かそのようなやり取りが交わされ、2人の間にギスギスした空気が流れ始めた。
ちょうどその頃、お互いに仕事が忙しくなった時期でもあり、なかなか休みが合わないという事情も関係したのかも知れない。
小さなストレスが蓄積していき、本当に些細な事で喧嘩をする。
気まずい雰囲気の中、更に冷蔵庫のドアが開いているのを見つけてイライラが募る。
「もう、いい加減にしてよ! 使ったらちゃんと閉めてって言ったじゃない!」
「知らねーよ、俺じゃねぇって言ってるだろ! お前こそいい加減にしろよな!」
ある晩、バスルームから出てきた栄子さんは、またしても冷蔵庫のドアが開いているのに気がついた。
感情のままに彼氏に文句を言うと、彼氏も怒鳴り返してくる。
大声でお互いを罵った結果、彼氏は「気分が悪い。友人の家に行く」と言い捨てて出ていってしまった。
苛つく気持ちを抱え、栄子さんも落ち着こうと冷蔵庫の中からお茶のペットボトルを取り出す。
一口、口に含んで違和感を覚え、栄子さんは慌てて流しにそれを吐き出した。
「なに、これ……」
ありえない味がしたのだ。
「腐ってる?」
そんなはずはない。
昨日、会社の帰りに近くのコンビニで購入して、そのまま冷蔵庫に入れたのだ。
今だって、確かに未開封のキャップ特有の音を立てて開封した。
キッチンの明かりに透かして見れば、ボトルの底に綿のような浮遊物が揺れているのが見えた。
恐る恐る鼻を近づけると、明らかにおかしな臭いがする。
慌てて他のペットボトルを確認すると、お茶や炭酸飲料、水に至るまで、どれも同じような状態だ。
冷蔵庫のドアが開いていたからと言って、未開封の飲料がこんなになるものだろうか。
納得は出来ないが、そのままにしておく訳にもいかず、庫内の飲料を全て流しに捨てる事にした。
庫内の肉や魚、野菜室内を確認すると、被害はどうやら飲料だけのようだった。
そうは言っても、残った食材を使って料理を作り、食べられるかと聞かれれば自信はなかった。
「何なのよ、もう……」
問題は彼氏ではなく、冷蔵庫にあるのではないか。
栄子さんはそのように考え始めたが、飛び出していった彼氏に連絡をすれば、きっと鬼の首を取ったように自分を責めてくるだろう事は予想出来た。
(あの人が冷蔵庫のドアをちゃんと閉めないからよ。それか製造の途中で異物が混入して悪くなったんだわ)
無理矢理に思い込もうとするが、そうではないという確信にも似た思いもあった。
視界の端に冷蔵庫を捉えながら、栄子さんはもう考えるのはよそうとベッドに入り、電気を消して布団を目深に引き上げた。

微かな物音で目を覚ましたのは、眠りについてからどの位の時間が経った頃だろうか。
枕元に置いてあったスマホで時間を確認すると、夜中の2時を回っている。
出かけた彼氏が戻ってきて、何か食べる物でも探しているのだろうか?
寝室とキッチンを隔てる引き戸の隙間から、淡い光が見える。
ベッドから起き出した栄子さんは、床に足をつくなり、そこに冷たい空気が溜まっている事に気がついた。
冷蔵庫を開けているのか。中に入っている食材には気をつけるように言わなくては。
さっき確認した時は大丈夫そうだったけど、食べて万が一にもお腹を壊したりしたら大変だ。
そんな事を考えながら、栄子さんは引き戸に手をかけた。
戸を開けていくと同時に、冷気が強くなる。
一体、どれくらい長い間、冷蔵庫のドアを開けたままにしているのか。
暗いキッチンの中で、中途半端に開いた冷蔵庫のドアから庫内灯の光が漏れている。
他には誰もいなかった。
なのに、彼女の耳には胸の悪くなるような「くちゃくちゃ」という音が聞こえてくる。
知らず、足音を忍ばせて冷蔵庫に近づいた。
そっと冷蔵庫のドアに触れると、粘ついた咀嚼音が止む。
ゴクリ、と唾を飲み込むと、栄子さんは冷蔵庫のドアを一気に開いた。
見慣れたオレンジ色の光に照らされた庫内に──折りたたまれた全裸の子供がいた。
ガリガリに痩せ細り、筋張った手足。
頭髪はまばらでペッタリと頭皮に張り付き、浮き上がった背骨がまるで梯子のようだ。
絶対にあり得ない順番で庫内に詰め込まれた子供の骸骨のような手には、保存してあったはずの魚の切り身が握られていた。
どうやって口に運んでいるのか、子供の口元は唾液とドリップでテラテラと光っている。
ドン!と音がして、栄子さんは自分がダイニングテーブルにぶつかった事を知った。
子供はドロンとした濁った目で彼女を見ると、にちゃり、と口を開けて笑った。
その口腔内には歯がなかった。
栄子さんはくぐもった叫び声を上げると、寝室に飛び込んでドアを押さえた。
「なにいまの、なにいまの、なになになになに……!」
震える指先で、引き戸に設置された鍵をかける。
防犯的には役に立たなそうな小さな鍵が、今は何よりも心強かった。
頭から布団をかぶった栄子さんは、急いで彼氏のスマホに電話をかける。
「早く、早く、早く出てよ」
数十回のコール音が耳に響くが、彼氏が電話に出る様子はない。
一旦切り、再度ダイヤルする。それを何度も繰り返す。
何度目のダイヤルだろう、ようやく栄子さんの耳に彼氏の苛ついた声が届いた。
『んだよ……今、何時だと思ってるんだ』
「もしもし! もしもし! おかしいの、ねえ、帰って来てよ。冷蔵庫がおかしいの! 子供がいるのよ……私、1人でいるの嫌だ。怖いよ!」
『はあ? 何言ってんだよ? 意味分かんねぇし。話なら明日聞くし。眠いんだから、いい加減にしてくれよ、ったく』
「待ってよ! お願いだから帰ってきてよ!」
『もう切るぞ』
「ねえ、待って!」
無情にも電話は切れてしまった。
そのまま相手は電源を切ってしまったらしく、その後、何度かけ直しても彼氏が電話に出る事はなかった。
頭から布団をかぶったまま、栄子さんは朝まで一睡も出来なかったと言う。
窓の外が明るくなってきたのを確認し、恐る恐るキッチンを覗くと、冷蔵庫のドアはしっかりと閉まっていた。
慌てて身支度を整えると、必要最低限の荷物を持って、栄子さんは急ぎ足で部屋を出る。

──その冷蔵庫はどうしたんですか?
「すぐに業者に電話して回収してもらう手続きをしました」
──リサイクルに出したんですか?
「そんな事したら、また別の誰かが被害にあうじゃないですか。あんなモノには誰だって遭遇したくないですよ。お金はかかりましたが、処分する事にしました。多少の出費でアレをどうにかできるんだったら、安いものです」
──その後、彼氏とは?
「結局、別れちゃいました。自分でもびっくりするくらい気持ちがなくなったんです。『あれしきの事で?』と思われるかもしれませんが、結論に行き着くまでに色々と溜まっていたものが出てきちゃったんでしょうね。そしてあの出来事が決定打になったんだと思います。残っていた有給を使って、温泉施設に行ったり、マッサージに行ったりして削られた精神力を補填してたんですけど、そうこうしているうちに『自分が大変な時にそばに居てくれない彼氏なんて必要ないな』と気がついたので」
──彼氏も冷蔵庫内の子供を見たんでしょうか?
「私がいない時に戻ってきて、見たようです。留守電に『子供が~』とか入ってましたから」
──2人で話さなかったんですか?
「彼氏からの電話もメールもほとんど無視していたんで。1度電話に出たら、向こうで何か喚いていたんですぐに切りました。メールで別れたいこと、回収業者が来るまでに荷物をまとめて出て行って欲しい事を伝えました。もともとは私の住んでいた部屋なんで。それで、業者さんが来る日に部屋に戻ったら、彼氏の荷物はきれいになくなってて。ちょっとだけ笑っちゃいましたね」
──結局、その子供は何だったんでしょうね?
「さあ、分かりません。知りたくもないですし。私の生活のテリトリーの中に入り込んでこなければ、それでいいんです」
──これからもリサイクル商品を購入しようと思いますか?
「いえ、もう懲り懲りです。確かにお金はかかるかもしれませんが、自分の身を守るためには仕方がありません。二度と、あんな思いはしたくないですから」
栄子さんは大きく深いため息をついて、手にしたタバコに火を点けた。