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2017年3月の記事一覧

福島が《FUKUSHIMA》になってから

福島が《FUKUSHIMA》になってから

私は、ある3月の日曜日に、神奈川県相模原市の大きな病院で生まれました。母の実家がそこにあったので。けれど、産声をあげてひと月も経たないうちに、私は「福島の子」になりました。

福島県福島市。福島県の真ん中の一番上にあって、人口は30万人にギリギリ満たない街です。県庁所在地なのにあの郡山市にはちょっと気後れしちゃう、かわいい街です。小学校の社会科の授業では、「福島市は猫の形をしているね」と教わります

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3.11から6年に思うこと

6年前、僕は大学3年生でした。21歳か。

東日本大震災が起こった時、僕は東京にいた。ただただ怖かった。

いろんな情報が錯綜して、放射能が東京まで来るという憶測が流れ、お世話になっている先輩が実家の大阪に帰る際に一緒に大阪に避難することにした。

群馬にいる親に伝えるとそんな必要はない、と怒られた。

テレビの情報だけじゃなくちゃんとネットでも情報を得てよ、と偉そうに説教垂れていた。

大阪に1

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今、かんじること。

今、かんじること。

東日本大震災から今日で6年。

あの日私は、実家のあるいわき市に居ました。

食器は床に散乱、家族で食べる物もない…。暗くなってくる時間帯に、とてつもない不安に襲われたことを覚えています。

夜になっても繰り返される余震に、親が「あとどれくらい続くの?」と聞いてきたこと。

大学で地球科学(地形学)を専攻していた私は、あと1ヵ月かもしれないし、1年続くかもしれない…。そんなことを考えていたこと。

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