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255.人生って、自分の思う通りになっているのだからね。

別にcoucouさんは、人生論をいうつもりはありません。
人生って、自分の思う通りになっているのだからね。

coucouさんが不幸なとき、不幸を求めていた。
coucouさんがとても悲しいとき、悲しみを自ら求めていた。

求めたくなければ、求めるような生き方を変えればいいのに変えることができなかった…。

いや、変える気がなかったのかもしれない。

だから、当然、不幸の道に入る。
誰も信じてはくれないけれど、幸せよりも不幸の方が安心だった…。

coucouさんは、こうして「不幸の達人」となった。

そして、いつのまにか、「無理をする名人」「自分に嘘をつく名人」「誰にも敬意の持てない名人」「つきあいが嫌いな名人」となった。

©NPО japan copyright association Hiroaki


1.無理して付き合わない!

 
coucouさんが、人付き合いに関して、幼い時から寂しさを紛らわすために生きてきた方法は「無理をする」ことだった。

確かに「無理をしない生き方」よりも「無理をする生き方」の方が自分を成長させることもあるのですが、かなりの無理を続けた人づきあいだった。

でもね、無理して付き合ってきた友人たちはやがて離れて行き、無理しない付き合いの友人たちはわずかながら残った。

coucouさんが無理をし続けた理由は、無理しなければ友人ができないと感じていたからだ。無理して相手の考え方や都合に合わせ、少しでも気に入ってもらいたかったんだ。

 でも、結果、実際には多くの人が離れて行ってしまった…。

その理由は、自分も相手も楽しくなかったから。
反面、無理して付き合わなかった友人たちとの間には信頼が生まれ、良い関係が残った。

もし、今、付き合い方を無理しているのか、無理していないのかわからない場合は、その人といて「楽しいか?」「正直でいられるか?」「心が落ちつくか?」「安心していられるか?」で判断するようにすればいいと思う。

©NPО japan copyright association Hiroaki


2.自分に嘘をつかない!

 
自分に嘘をついたことがない、という人を、coucouさんは信用することができない。なぜなら、coucouさんは自分に嘘をついてばかりいたから、よくわかる。

嘘をついているのだけれど、
嘘だと認めていない人も多くいますね。

coucouさんはたくさんの嘘をついてきた、
嘘の名人だからよくわかる。

嘘は「思い込み」に似ていて、良い場合もありますが、大半は悪い結果となってしまうもの。それは、相手に嘘をつき、どんなに騙せたとしても、自分には嘘をつき通すことなんてできないから。

人間には自分に嘘をつけないという自然な心のメカニズムがあるようだ。

嘘をつけば、その嘘がバレないかと不安になる。

嘘に絶対的な自信があったとしても、一度嘘をつくと、嘘は連鎖して2つ、3つと増え続ける運命が待ち受けている。

やがては数十、数百の嘘が積み重なり、
さらに不安定に落ち入るものだからね。

他人から見たら何でもないことでも、些細なことにビクビク、オドオドして、犯罪者の心理のように恐怖心の塊になる。

反面、嘘がなければ心配や恐怖心もなく、何に対しても怖がる心配がありませんから、心は常に安定していられる。

これは、「無理して付き合う」人間関係と同じですね。

無理すること自体、自分に嘘をついているわけですから。

 

嘘は恐ろしいもの。

その嘘のために精神が壊れてしまったり、ノイローゼになったり、その嘘のために自殺する人までいる。

だから、自分に対して「無理をしない」「正直に生きる」ことで人生が一変してしまうのです。

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 3.相手に敬意を持つ。

 「人を大切にする」=「自分を大切にする」といいますが、人と自分の何を大切にすれば良いのでしょう。

その答えは、〈相手に敬意〉を持つこと。

相手とは、小さな子どもからお年寄りまで老若男女、自分に拘わるすべての人たちのこと。

そう、すべての人を尊敬するんだ。

小さな子どもだからといって馬鹿にしてないけない。

経験がないからといって教えてやろうなどと思ってはいけない。

お年寄りや障害があるからといって、自分勝手な同情をしてはいけない。

目の前にいるすべての人を敬い、その人たちの人格を尊重して認めることだからね。

すると、〈自分に敬意〉を持てるようになります。
それが人と自分を大切にする方法だから。

 

でもね、相手が自分に敬意を払わない場合は、
相手に敬意を持つ必要はない。

あなたを大切にしない人なのですから、
大切に思う必要はない。

しかし、こんな場合もある。

自分が相手に敬意を払わないから相手も敬意を払ってくれない、という場合。それは、お互いの相性の悪さや好き嫌いがある場合のこと。

問題は、嫌いな相手であっても敬意を払い、それでも自分に対して敬意を払わない人であるならばお付き合いをやめればいいのさ。

互いが無理し合っても仕方のないことですからね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

 

4.人づきあいは1対1=30+。

「その人の背後には必ず30人以上の人がいる」という自論をもって、アメリカのトップセールスマンになり、営業の神さまと称されたジョン・ジェラードという人がいた。

様々な職業を転々とした後、冠婚葬祭業で働くようになったジェラードは、結婚式でも葬式でも、その一人のために、家族、友人、知人など必ず30人は集まることを知った。

一人の人を大切にすることは、30人以上の人を大切にすることになるのだと、心してお客様に接したジェラードは、無限の人脈を築き上げ、膨大な収益をあげることになった。

また、似た者同士というように、優しい人には優しい人が集まり、詐欺師のような人には同じような人が集まる、類が類を呼ぶことも発見した。

この法則を知った後は、無理に人と付き合うのではなく、自分のことを理解してくれる人、敬意の持てる人、大切にしてくれる人、親切で嘘のない人たちの人脈を拡げていった。

 

ですから、多くの人と付き合うのではなく、たった一人の人との出会いを大事にし、その一人を敬い大切にすれば、運命が変わることを証明した人だった。

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5.自分好き。


 多くの人が「自分のことは嫌いだ」いいますね。

確かに、coucouさんも自分のことが嫌いだった。

また、ナルシスト(自己愛)という人もいる。

自己愛が強く、自分に陶酔していると、「あの人はナルシストね」などともいわれている。

 

でも、「自分が好き」というのと「ナルシスト(自己愛)」とは少しニュアンスが異なる。

 

また、人はどうして「自分のことが嫌いだ…」になるのでしょうか?

coucouさんの場合はイケメンでない、学力がない、特技があるわけではない、他人よりも能力や体力が劣る、個性や特徴がない、明るくない、友だちが少ないというコンプレックスがあったため、子どもの頃から自分のことが大嫌いだった。

でもね、歳を重ねるとともに考え方が変わってきた。

歳を取ると物忘れが激しくなり、記憶力が低下、体力も気力も衰え、髪の毛も薄くなり、身体中が痛くなり、動作が遅く、病気がちとなる。

 

よくよく考えてみると、よくぞここまで自分を嫌ってきたと生きてきた、頑張ってきた、と思わず自分に敬意を払わざる得なくなった。

こんな自分の姿を哀れに思うことよりも、自分を嫌うことよりも、感謝することしかないのではないか、とも思うようになったんだ。

すると、少しばかり自分のことが好きになり、人のことも好きになるようになったのさ。

 

自分を好きになると、
自分に優しくなれますね。
自分を許すこともできるようになりますね。
すると、人に対しても余裕を持って、
無理しないで優しくなれ、
好きになるのです。

 

自分に厳しく、人に厳しい。
自分に厳しく、人に甘い。
自分に甘くて、人に厳しい。
自分に甘くて、人に甘いのではなく、

やがて、coucouさんは長いときを得て、「自分に優しく、人に優しく」なれるようになった気がする。

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 6.お互いさま。

 他人に対して潔癖症の人がいる。

本当は誰もが潔癖症なのかもしれないが、自分のことはさておいて、他人に対して厳しい人がいる。
その厳しさは、
相手を許すことのできない厳しさ、
潔癖さなんだ。

 

でも、潔癖な人ほど意外や意外、
自分に対しては甘く、
自分で気づかないだけで、
他人から指摘される部分が多いことがわかる。

また、潔癖な人は、
常に自分の正しさを主張するという幼さを持ちあわせている。
自分が不完全であればあるほど、
相手の欠点を無用に感じ、
そのことが許せなくなるようだ。

 

潔癖症の人、他人を許せない人、
すぐに頭に来る人は、
まず、相手を許してあげることから始めないと。

自分にとって許せないことであっても、
他人から自分が許されない場合もあるからね。

まさに、お互いさまの人間関係だから。

 

もちろん、欠点のない人はいない。
また、潔癖症でない人も少なくない。
ほとんどの人が自分の主観だけの潔癖症といえるかも知れない。

だから、互いに欠点だらけの人間同士なのですから、
互いに赦しあわなければ、
許せない関係となってしまうのさ。

 

お互いさま、
お互いさま、
と思う気持ちはとっても大切ですね。


coucouです。みなさん、ごきげんよう!
しばらく「人生を楽しく生きる方法」のお話を続けますね。

coucouさんは「人生をつまらなく生きる達人」だった。
子どもの頃からあまりにも「負のエネルギー」が強すぎて父や母にまで心配をかけ続けてきた。

案の定、社会に出ても、大人になっても何も変わらなかった。

coucouさんの人生はことごとく裏目に出て、失敗に失敗を重ね続け、もうこれ以上の失敗はない、というぐらいさらに失敗し続けた。

しかし、coucouさんは友人の励まし、前号掲載の「本当の自分に戻れ!」という言葉で目覚め、本当の自分に戻った。

coucouさんは成功者と呼ばれる人たちに憧れを抱いた。

自分もやがて、そうなるんだという目標を持ち、あらゆる成功者の本や論文、ノウハウや知識を学び続けた。
さらに成功者と呼ばれる数多くの人たちとも出会った。

でもね、成功者は成功の話しかしない。

過去の失敗は恥だと思うのか決してそのような話に触れない。
でも、成功者には失敗など関係ない。
だって、今の成功がすべての結果だから。

やがて、coucouさんは成功者の話がつまらなくなった。

その理由は、成功者に学び教わったとしても、いう通りにしたとしても成功することができなかったからだ。

これは当たり前の話。

そんなことで成功するならばみんな同じことをするわけだし、その成功者の成功論は一代限り、その人限りの武勇伝だからだ。

人はみんな違う。

そんな成功者の夢みたいな「成功論」よりも、coucouさんの失敗者としての「失敗論」の方がよりリアルだということがわかった。

つまり、「失敗」の反対が「成功」だから。
そう、coucouさんは絶対失敗しない方法を学び続けてきたのだから。

おそらく、成功者の失敗の話よりも、失敗者のcoucouさんの話の方が役に立つはずだ…。
そう考えて「本当の自分に戻り」再出発を始めた。

いつのまにか、様々な人たちに助言するようになり、たくさんの人に感謝されるようになった。coucouさんはその人たちのために役に立つ失敗をし続けたような気がする。

みんなに成功して欲しい。
みんなに同じ思いはしてもらいたくない。
みんな幸せになって欲しい。

coucouさんの残された人生はそれが使命なのかもしれない、と最近切に思うようになった。

さて、みんなで「人生を楽しく生きよう!」


ここまで、おつきあい、ありがとう!
coucouさんの恩返し。続きます。

また、明日。








 

 

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