542.才能って、誰もが持っているのに、社会がダメにするから、自分ではダメだと思い込んでいるにすぎないんだよね~
【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論②】
coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
何よりも、このnoteを開いてくれて、とってもうれしいcoucouさん~
ねえ~
みんなあ~
本って、なんのために在るんだろうね…。
はるか昔、人間に言葉らしきものが生まれて、その言葉は、言葉から言葉が伝えられ続けて、それを残すために文字となり、文となった~
そして、その文は後世に残すため記録であったり、考え方や意味だったり、やがては人から人へと伝えられるものになったんだよね。
それと、その人が生きて来た記録、証明でもあるんだよね。
そして、印刷機が生まれたくさんの人に、その文が伝えられるようになり、同時に言葉も発達してきたのだと思う。
そして、今では、その文字はデジタル上で誰も管理しきれないくらいの無限な言葉がネット上で広がった~
そして、世界中にその言語は意味と意思を持って、もしかすると魂(言霊)となって、書いた本人の意思を超えて言葉自体が別の生命体となって、人の心に神さまのように宿る、宿主となった~
そう、もはや言葉なしでは私たちは存在できないくらいの、まるで新しい生命(いのち)と化して、世の中を浮遊するようになった気がするんだ…。
そして、人間はその言葉を巧みに利用して現代の文化にまで発展させた。
だけどね、その反面、言葉はこうあるべきで、そうあるべきではない~
言葉とはこうなんだ…。
文とはこうでなければならない、ああでなければならないという芸術身を帯びたためか、その言葉自体に制限や限界が育ち始めてきた気もするんだ。
そこに、文とはこうでなければいけない、文はこういう書き方があるんだと規制の枠にあてはめさせられてきた。
でもね、本当はね、もっと、もっと文は、自由なはずなんだ~
確かに、読みやすい、読みにくいというのは最低限度のルールかも知れないけれど、大切なことは伝わったかどうか?感じたかどうか?
それだけで十分な気がするcoucouさんなんだ~
どうして、こんなことを書いたかと言うと、coucouさんはね、文は上手くなければいけない、美しくなければいけない、と学んできたために、文を書くことが怖くなって、人様に見せるなんてとんでもない、触らぬ神に祟りなしのように恐れて来たんだ…。
つまり、文を書くのが怖かった~
だけれど、そんな異常な恐怖を持つcoucouさんが文を書いた、書き始めたきっかけがあるんだ。
1.生命(いのち)ある言葉たち
ねえ、みんな~
笑いながらでもいいから聞いてよ~
作文だって満足に書けないcoucouさん~
生れてはじめてラブレターらしきものを書いて、その子に意味がわかんない~と言われたcoucouさん~
先生に何を言いたいのかわからないと言われ続けたcoucouさん~
そんなcoucouさんが文を書いて、本を書いて、このnoteまで書き続けている~coucouさん自身、まったく不可解なんだ~
coucouさんはね、24歳の頃にもう一つのある本に出会った~
その本は「下手に書きなさい!」という本に出会ったんだ。
coucouさんは下手でいいという言葉に惹かれてその本を無調で読んだ…。
だけど、心は動かなかった…。
でも何かしら感じていたのかどうか、その本は20年近くcoucouさんの本箱に捨てられず残り続けていた。
そして、再び20年後に、その本を開くことになった…。
どうやら、coucouさんの分に対する恐怖心はまだまだ消え去ってはいなかったようだ。
と、同時につい最近の【褒め言葉研究会】①~⑩のシリーズで書き続けたように、coucouさんは社団法人発明学会故豊澤豊雄会長に褒められて本を書くきっかけとなったと同時に、この「下手に書きなさい!」という本が20年の時を超えてcoucouさんの2冊目のバイブルとなった。
もちろん、1冊目は豊澤会長の「頭の使い方」だ。
こうでなければいけない、ああでなければいけないというcoucouさんの頭の中に住み着いてしまった悪魔の呪文がこの本で消え去り、新しい呪文「下手に書きなさい!」に変わったんだ~
そして、今がある~
それを簡単に説明したいんだ~
ねえ、みんな~
つきあってほしい~
みんなはそんなことはないと思うけれど、お馬鹿なcoucouさんはこのことを気づくまでに20年以上もかかったんだ…。
そう40歳を過ぎるまでわかんなかったんだ~
だけどね、coucouさんの人生を変えてしまった言葉ひとつ、本一冊なんだ~
2.文章は下手でもかまわない!大切なことは心を伝えること
文章は万人の道具である!
「たとえ、あなたが自分の文章を下手だと思っても、
誰も書いたことのない内容であったら、後に大きな価値を発揮する。
人間の歴史は、けっして英雄だけのものでないことを忘れてはいけない。
文章が、下手とか上手とかいうものよりも、書いたか書けなかったかの方が、後の世にはずっと重要となる」
この言葉は、文章は万人の道具である『書いて花咲く哲学』(欅出版)の著者橋本義夫さんの言葉より引用したもの。
橋本さんは1968年に機関誌『ふだん記』」を創刊。
この「ふだん記」運動は当所ガリ版刷りで粗末な本だった。
さらに当時の時代背景もあり、みな貧しかった。
もちろん郵送費なんてない。
こんな時代、彼は、こんな状況の中での文章を書こうと多くの人に声をかけつづけた~そう、みんな本を書いてみよう、と。
この運動はとても大変だった…。
ましてや文章の専門家などいるわけもなく、まったくの想像を絶するド素人集団だったからね。
それに文章を書いたからといって儲かるわけじゃあないし、そんなことより食べるために働いている時代。
そんな貧乏の中でつくったガリ版刷りの小冊子をボロ自転車に乗って配り歩き10年。
そしてとうとう日本全国、北海道から九州までこの「ふだん記」運動は広がっていった。
橋本さんは文章運動の市民活動家として日本全国に知られていく。
営利追求も、儲けなども関係ない。自分さえよければそれでいいという考えが横行する時代。デジタル・ネット時代といわれるこの時代に、この運動はいまだにしっかりと花咲いている。
橋本さんの考えは、多くの人たちに本を書いてもらい、記録し、残すことを主とし、機関誌の発行はもちろん。当時、文章とは一切関わりない、八百屋さんや職人さん、70、80歳のおじいちゃん、おばあちゃんまでに文章を書くことをすすめ、本にしていくんだ。
ひとりが本を出すことによって次々と新しい人たちの本をつくる。
いつのまにか多くの素人の無名の本が数万冊にも達していた。
橋本さんの口グセは、今まで文章を書いたことのない人、本すら読んだことのない人たちにこう言います。
「文章は下手でかまわない」
「下手に書けばいい」
「下手に書きなさい」
といい、文章はだれにでも書けるものだという考え方を広めていった。
「ふだん記」は「ふだん着」からきたもので、飾らない、名文・美文のマネはしない。庶民には庶民らしい言葉があり、文章がある。
それが「ふだん記」運動だと語る。
当時から本屋に行けば「文章の書き方」「作法」などといったタイトルの入門書が並んでいて、現代でもこのような本は何百種類と発行されている。
でも、橋本さんは、「そんな本があるから、文章を万人のものにできなかった」という。
つまり、文章はこう書かねばならない、こうあるべきだという固定観念を人びとに与えてしまったために、たくさんの決まりや法則を知らねば文章を書けなくなるという弊害が起こってしまったためだという。
これは絵や文字、文章もまったく同じといえる。
「茶道を知らないこどもだって、お茶を飲むことができる。
文章作法をしらなくても、人間である限り文章を書くことができる。
文章などというものは、言葉と同じで、相手に解りさえすればいい。
下手でもなんでも自己流に書けばよい。
恐れることも、臆することもない。
文章などは、数字や理科系とはちがって、いいかげんなところがあっても相手に伝わるものである。伝わりさえすれば、目的のほとんどが達成されているのだ。別にむずかしく考えることは少しもない」
つまり、文章は下手でもよい。
文章作法にこだわるな。
キタナイ字でもよい、文章はだれでも自由に書けるもの。
文章は道具。
美しく書く必要はない。
形式もいらない、ありのままの姿で、ありのままに書けばいい。
むずかしく考えず自分なりに書けばいい。
この本を数十年前に読み、coucouさんはある種の感動を覚えた~
この文は、coucouさんの人生に衝撃を与え、20年の時を超えてcoucouさんの人生を変えてしまったんだ。
そうかあ! 上手くなくてもかまわないいんだ~
もっと気軽に書けばいいんだ~
coucouさんも数十年前はそうだったが、文章や本を書こうとしてもなかなか書くことができない。手紙一枚書くのだって、何度も何度も書き直して一日中かかってしまうこともある。
このすべての理由は、上手く書こうとすることだったんだ。
特別な才能があるわけでもないのに文章を書くときいつも上手く書こうとしてしまう。知らず、知らず、この文章を見て笑われたらどうしよう? とか馬鹿にされたらどうしよう?とか人の眼を意識してしまい、上手に書かなくては文章にならないという固定観念にふり回されていたんだ。
そうなんだ~ありのままではなかったんだ~
常に他人の眼を気にし、自然体ではなくなってしまっていた。
だから、橋本さんの言葉、「下手に書きなさい」「下手に書けばいい」「下手でかまわない」「下手でも伝わればいい」、そんな覚悟をもって文に臨むようになったのさ~
coucouさんは上手く書かなければいけないという呪われた呪文から、人生40年以上もかけて、ようやく解放されたような気がした。
橋本さんの「下手に書きなさい」の一言によって、この言葉からどれだけの人たちが励まされたんだろうね~
今まで、coucouさんのような、いや、この戦後の時代に、知識のない、文章とは無縁であった農夫がペンを握り、職人が、若人が鉛筆を走らせ、自らの体験を記録する。
「才能は誰もがもっているのに、社会がダメにするから自分ではダメだと思い込んでいるにすぎない」
1977年1月27日 朝日新聞掲載の橋本義夫文章より
あれから半世紀過ぎた今も、この橋本さんの言葉は生き続けている。
この「ふだん記」グループはインターネット全盛時代にかかわらず現在も日本全国に会員数、数千人を越えているという。
3.本を書いてみたい!でもどうすればいいのかわからない
さあ、下手に書いてみよう!
もっと気軽に書いてみよう!
笑われたってかまわない。
馬鹿にされたってかまわない。
上手い文章なんて書けないけれど、なんとか人に伝えることはできるはず。
でも、どんな題材にしたらよいかわからない。
そんなとき、体験ほど強いものはない!
私たちは数十年、今まで生きてきたというだけで、私たちにしかない体験や経験という財産をだれもが持っている。それは、100人いたら100通り、1000人いたら1000通り、日本全体でいうと1億人のあなただけの体験や経験がある。
それは老若男女、小さな子どもたちにもそれが財産として残されている。
文章というものは記録やメモ。わたしたちは文章を残すことによってしか何かを残すことはできない。
文章を書いて記録することによって何かを残せるかもしれない。
coucouさんが橋本さんの本から学んだことは、下手に書くことはもちろん。この考え方は文章だけではなく、絵や写真、書などもすべての創作物にあてはまることなんだ。
この考え方を発展させると、下手に書けば書くほど「味」が生まれる。
上手く書けば書くほど文章は美しいかもしれないが「味」を失ってしまう。
その「味」って、独自性や個性のこと。
coucouさんは、今まで文章を書いたり、まとめたりすることはあまり好きではなかったけれど、今では下手であればあるほど気が楽になり、味が出て、わかりやすくなり、相手に伝わりやすいことがわかるようになった。
文章の書き方にこだわりがなくなると、気軽に文章が書けるようになる。
つまり、自分の言葉で書けばいい~
上手に文章を書こう、上手に絵を描こう、写真は美しくなければいけない、文字がキタナイから人に見せるのは嫌と思えば思うほど、まるで呪文のように金縛りにかかり、挫折してしまう。
世の中には完全なものはないのに、自分が勝手につくり上げてしまう完全という幻想の固定観念の世界にいつのまにか入り込み、迷う。
常に自分に対して不完全だと思わせてしまう社会。
完全に近ければ近いほど、美しくなればなるほど、上手になればなるほど個性を失い、不完全であればあるほど「味」という個性が生まれる。
そして、こんな言葉が生まれた。
下手であればあるほど「味」が出る、と。
coucouさんです~
またまた、ここまで読んでくれて、うれしき~
noteのみんなはね、すでに独自の言葉を持っているし、このnoteの世界、他のブログや様々な媒体で活躍している素晴らしいクリエイターさんたち~
ただ、この橋本義夫さんの思想には、本の本来の目的や使命、そして人生で一番大切なことを問い続けているんだ~
彼は戦中、戦争反対を唱え続け獄中に投獄されながら戦後の敗戦と同時に焼け野原で、残された命の使い方を考え始めた…。
この世の中を救うもの、この世の中に必要なもの、そして未来への希望を考えた。
そこで読み書きのできない人たちに文を書かせる運動を始めたんだ。
人々は一応に、無理だ~書けない~恥ずかしい~
みっともない~笑われる~と考えた…。
そうだよね、文章を書こうなんてね~
この時代だもの、食べ物や着るものだって不足しているんだものね。
でもね、社団法人発明学会の豊澤豊雄会長と似ていない?
そう、大衆の中へ、大衆と共に生きる決心をしたことと、たくさんの人に希望を与え続けたことさ。
こんな素晴らしい言葉の宝物をお馬鹿なcoucouさんは本棚に眠らせていたまま20年以上の歳月が流れていた…。
coucouさんはねこの橋本義夫さんに逢いたくてご自宅まで出向いた。
でも、この世を去った後のこと。
でも、coucouさんはね、ご子息と出会い、小さな橋本義夫さんの保管所を作らせていただいた。
そう、すべての本や原稿の保存のための建物なんだ。
そして、その橋本義夫さんを紹介してくれたのが、いちょう祭り創始者の故大野聖二会長なんだ。
おりしも、この「ふだん記の創刊号ガリ版刷り」はこの大野さん夫婦が協力して完成し、日本全国に広がっていった。
そして、coucouさんはその銀杏の木の並ぶ沿道の下の「ふだん記」発祥の地である場所に小さな事務所を現在構えている。
これも不思議な出会いと不思議な縁を感じる…。
そして、令和の時代となって、coucouさんはこのnoteの世界で本の素晴らしさを伝え続ける自称後継者となって、たくさんの人たちの自主出版をお勧めしているんだ。
おそらく、これから発表する内容にみんなは驚くかもしれない~
だって、誰もが簡単に本を作り、世に出して、販売して、儲けるんだもの。ただ、ここでいう儲けは金銭的だけではなくて、喜ばれるという報酬も目的の一つとしている。それが本当の儲けなんだもの~
そう、これはビジネス論でもあり、出版論でもあり、生活や仕事論、人生論、しあわせ論、なんだもの~
現在、様々な実例と資料を同時進行で準備中~
note記事を書くよりもその方が大変~
でもね、言葉だけでは伝える限界も感じているんだ。
(自主出版で発行してきた本をお見せしたい~)
noteのみんなにお役に立てばと心から願っているんだ~
発明も、アイデアも、出版も、商品開発もお金をかけてはいけないのさ~
それじゃあ、続かないんだもの~
もう少し、読みながら待っててね~
ああ、文を書くって素晴らしい~
それが本になったらさらに素晴らしい~
これを読んだ人はみんな本が出せるんだ~
こんな嬉しいことはない~
この【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論】は読んでくれた人だけの秘密だよ~そっと胸にしまっておいてね~
その代り、本が完成したらcoucouさんに一冊プレゼントしてね~
嫌なら、売ってくださいね、お安くね…。
じゃあ、またあした~
coucouさんのホームページだよ~みてね~
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