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474.だってね、いのちって、自分だけじゃあないし、自分以外のすべても、たった一つのいのちなんだもの。

(35)人生を好転させる方法
how to turn your life around㉟



1.不安な人たち

 567のせいかな~

ワクチン接種?核戦争?うくらいなの問題?おそろしや中国?円安?物価高?食糧不足、原材料不足?インフレ?世界同時不況?消費税値上げ?原発稼働?天変地異?異常気象?結婚率、少子化?経済苦?病死?自殺?虐待?事故?はたまた、地球崩壊?
 
どう、永遠に切りなく国民を脅かし続ける政府やマスメディア。
不安と怖れに過敏な国民たち。
 
みんなそれを臨んでいるのかな?
平安だと、さらに不安を募らす。
 
国民は不安だ、不安だと騒ぐ。
 
まるで不安が来るのを待ち構えているかのようにね。
 
だけど、そんなに騒いだからと言って何が解決するのだろうね。
もし、真剣に解決したいのならば闘えばいいのだけれど、そんなことはしない。みんな安全圏の中で理論、理屈を唱えているだけで行動を起こす者はいない。
 
そう、ただのオオカミ少年化しているだけ。
そう、みんなで騒ぐお祭りだね~
 
ただ、世の中完全に恐怖を植え付けられた洗脳状態だといえる気がする。
なんと、簡単なことだろうね。
 
いつのまにか、少数派と呼ばれていた人々は不安や恐怖の先導者となって、多数派に変わってしまった。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

2.妄想名人たち


 人間は、誰だって不安や恐怖の中で生き続けている。
 
もし、この不安や恐怖がなくなったら生き残ることなど不可能。
それぐらい大切なものなんだけれど、それが過度になると、生きている意味や、自分の存在に対しても疑うようになり、自信を失う。
 
自信を失うからさらに不安と恐怖に陥る。
 
本当は、その不安や恐怖と闘えばいいのだけれど、闘うことさえできない。そう、ただ、現実から逃げ続けてしまう。
 
まだ見ぬ未来、まだ訪れもしない明日に対して過度の不安に陥る。もう、無理だ、もう駄目だ、もう終わりだと自分勝手に未来を決めつけて、未来を失う人たち。
 
Coucouさんはね、この人たちみんな、幸せなんだなあ、と眺めている。だって、目の前の食事や、今日一日を過ごせるのだもの。だから、そんな人たちって、余裕だよね、みんな~
 
テレビのインタビューで「私の年金は月に20万円しかないのよ…」と嘆く女性。「貯金が1000万円しかない、2000万円以上ないと生活ができない…」「預貯金を切り崩して生活している」「小遣いが月に5万円だったけれど、3万円に減らされた…」「病気になったらどうしょう…」「親の介護が必要になったらどうしょう」
 
そう、はてもない不安と恐怖。
Coucouさんはね、その人たちを見ていて何が不安で、何が心配なのかが理解できない。
もし、明日地球が滅びたとしても、今は、たった今は生きているのに。
そう、みんな恵まれているんだよね。
 
Coucouさんの友人がね、「あと6000万円しかない…」と嘆いていた。
じゃあ、一体いくらあれば安心を買えるのかな。
 
1億、3億、10億あればいいの?
 
そうすれば安心した生涯と幸せになれるの?
彼らは、なれると信じている。
 
ああ、おかしいね、狂っている。
 
Coucouさんはね、そんなみんなよりも何もないんだけれど~
何が違うの?
 
この人たちの頭の中もすでに洗脳されて狂い始めているんだよ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.共感できない人たち

最近ね、こんな言葉をよく耳にするんだ~

それはね、
「coucouさんにはわからないわ!だって男なんだもの…」
あれ、この人は、coucouさんに相談に来たのに~

なにこれ~

うん、確かにcoucouさんは男だよ~
だから、女性の気持ちなんてわからないし、わかってたまるか~
、と思っちゃう言葉だよね。
だったら、あなたの気持ちがわかるという女性に相談すればいいのさ。

coucouさんはね、人生において根本的な人の思いや、気持ち、心は変わらないと思っているんだ。だって、形は違えどおんなじ人間なんだし、おなじいのちなんだからね。

もし、男女、子ども、お年寄り、歳が違うとか、生まれ育った環境や、学んできたことも、食べるものも違うし、お国だって違って当たり前じゃあないの?だから、みんな一つのいのちなんだって考えてもいいような気がする。

だってね、いのちって、自分だけじゃあないし、自分以外のすべてはたつた一つのいのちなんだもの。そう、区別なんていらないよ~
coucouさんの二人の猫さんたちだっていのちそのものなんだもの。

でもね、こんな言葉も耳に入るんだ。
「彼女は子どもがいないからわからないのよ…」
「独身なんでしょ、結婚しないと無理よね…」
「サラリーマンじゃあ無理よ…」
「孫が生まれればわかるわよ…」
(coucouさんがよく言われる言葉)

「そう、経験が足んないのよ…」
「甘いんだよ、あいつは…」
「もっと、勉強した方がいいよ…」
「もっと、苦労した方がいいんじゃあない…」
「病気でもすればわかるよ、健康な人にはわかんないことだよね…」

ふう~
まだまだ、あるけれど、ここまで~

ねえ、ねえ、
みんなは、どう思う~

couucouさんはね、何気ない本当の言葉かも知れないけれど、ある意味、人を傷つけるパワハラのように感じてしまうんだ。
だってね、この言葉は、相手を認めない、否定する言葉だし、何よりも自分以外のいのちさんたちのことなんだもの。

いつも、coucouさんは不思議でならない。

©NPО japan copyright association Hiroaki

「彼女は子どもがいないからわからないのよ…」
じゃあ、子どもがいれば何でも優れていて正しいの?子どもが欲しくてもできない人のことはどう思うの?子どもがいても虐待する親はどうなの?どうしても、子どもがいなければ悪いことなの?

「独身なんでしょ、結婚しないと無理よね…」
えっ~独身はいけないことなの?悪いことなの?いい人と巡り合えないって悪なの?結婚しないといけないの?結婚していない人なんていっぱいいるし、変な男と一緒になって苦労するなら一人の方がましじゃあないの?幸せのすべては結婚にあるっていうの?

「サラリーマンじゃあ無理よ…」
サラリーマンって駄目なの?サラリーマンってどの会社も同じなの?サラリーマンでも凄い人がいるよ~何が無理なの?無理だとしても、その仕事が向いている人もいるし、自営業の仕事が向いている人もいるんだよ?

「孫が生まれればわかるわよ…」
孫がいなければ、駄目なの?わからないことなの?わからなければいけないの?coucouさんだって、孫が見れれば見たいよ~でも見れない場合はわからないまま人生を終える、それも悪いことなの。人のお孫さんを見て、喜んだり、感動したり、抱きしめさせてもらっちゃあいけないの?孫がいないとつまらないの?
(coucouさんがよく言われる言葉)

「そう、経験が足んないのよ…」
経験がないと、みんな駄目なの?世の中で何でも経験している人なんていないよ~足りないことは学べばいいことで、教えてあげてもいいんじゃあないの?そんなに蔑まないでよ~私の経験はあなたにはわからないでしょ?あなたの経験だってわからない。それでもおんなじ人間なんだからね。
なならば、経験のある人に頼んだらどうなの?

「甘いんだよ、あいつは…」
甘くちゃあいけないの?厳しければいいの?厳しくなればいいの?厳しさってなに?甘さってなに?心配ならば支えてあげて助けてあげればいいのに?
どうして、そんなに冷たい言葉がでるの?
coucouさんも言われ続けてきたんだ…。だからね、人さまには絶対にいわないよ~いえるわけがない~そんな上から目線で。

「もっと、勉強した方がいいよ…」
この言葉も、一見、相手のことを考えていう場合もあるけれど、社会に出て、さらに40歳、50歳となった人に言う言葉としては失礼な気がする。だったら、「ここのところ、ここを調べて見たら…」「あの人に聞けば詳しく教えてくれるよ…」「この資料を見たらは役に立つかもね…」、という優しさがあってもいい気がする。

「もっと、苦労した方がいいんじゃあない…」
これって、完全な上から目線~さも、自分は苦労してきたという自慢でもあるよね。つまり、「あんたは苦労が足らない」という意味だけれど、実際は苦労なんて必要がないよね。苦労すれば解決、努力すれば解決なんて非科学的だもの。自分が本当に苦労したというならば、人に苦労をさせないことも必要なことだよね。

「病気でもすればわかるよ、健康な人にはわかんないことだよね…」
確かに、病気は、その病気をしたことのない人にはわからなくて当たり前。わかったらおかしいよね。この言葉ってね、病気を持っている健康な人にいう言葉で、病気のない人は悪者みたいに聞こえる。つまりね、言い方だよね。ならば、その健康な人に自分の病気の話をしてあげた方が良いと思う。


で、みんな~
どう思う~

どうして、coucouさんがこんなことをいうかと言うとね、人生の大半をこんな風に言われてきたから完全暗記できるようになったのさ。
だって、わからないながらもわかろうって、努力してきたのにこれだけ完全否定されてしまうと、このような人たちとの「共感」なんて望む必要がないと感じてしまったからなんだ。

coucouさんは思うんだ。確かにその通りさ。わからないことばかりだよ。
でもね、その人の話を聞いて想像することはできる。
その人の大変だったこと、辛かったこと、悲しかったこと、とても嬉しかったこと、誰だって話を聞けば想像することはできるよね~
(無理なものは無理だけれど)

この人たちは、人のことも自分のことも「共感」することが出来ない気がする。そう、人を、人間を、いのちを否定してしまったら、自分が否定されていることがわからなくなるのだもの。

©NPО japan copyright association 

「共感」ってね、共に感じることをいうんだよ~

共に感じ合えなければ、共感って呼ばないんだよ。

共に感じ合うってね、互いの優しさなんだ。

優しさがあるから「共感し合える」んだもの。

「共感」ってね、「同感」じゃあないよ。
そう、「私と同じ」、「その気持ちわかるわ~」じゃあないんだ。


大切な人が悲しめば自分も悲しくなる。
大切な人が喜んでいたら、自分も嬉しくなる。
大切な人が幸せならば、自分も幸せに感じる。

そう、喜怒哀楽を共感し合える関係なんだよ。
 
 本当の「共感」はね、目の前にいる人、考え、言葉、文、に触れたことで、「あなたは今こんな気持ちなんだね」「私もそういう気持ちなのよ」って、いう気持ちが自然と生まれて、それが相手にも伝わることで、相手が「安心感」や「幸福感」を感じる状態 のことをいうのだと思うんだ。

coucouさんはね、勝手に思うのだけれど、

そうなんだ、
そうなんだね、
そう思うんだ、と言う感じる心にあるような気がしている。


©NPО japan copyright association 

coucouさんでした~

みんな~

ここまで読んでくれて、応援ありがとう~

とってもうれしいcoucouさんでした~

また、あしたね~

Forever Young - Joan Baez


coucouさんのホームページ~みんなみてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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