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505.諦めることをやめた、諦めないことにした、coucouさんのお仕事論特集~

coucouさんのお仕事論㉗

1.諦めないでほしい


ねえ~

ねえ~

みんな~

どうして、みんな物事を簡単に諦めてしまうの?
お金がないからできないとか、お金があればできるとか、お金のせいにする人も多いよね。

だからって、お金の為に人生を捨てたり、物事を諦めてしまう必要はないと思うんだ。


そんな思い込みを捨てればね、違う活路が見える気がするんだ。

だからね、諦めなくてもいいんだよ~
 
確かに経営は大変だよ~
人生だって、大変だよ~

でもね…

「大変だ、大変だ~」

こんな言葉はたくさん使ってきたのだから、
もう、この辺で終わりにしようよ~

 
その代わりに「大変だ、大変だ~」を「楽しい、楽しい」に変えてみない。

coucouさんはね、正直にいうと、今、とっても大変で忙しくて、苦しい…。
でもね、「楽しい~」「面白い~」に一生懸命になって変えている最中だけれどね。

そうするとね、意外と楽になる気がするんだ。
だってね、「大変だ」と思うと、何もかも「大変」になるんだもの。

大変だと〈思い込むこと〉で次々と「大変さん」が襲ってくるんだ。
大変なことはもう当たり前なんだから、
その先の「楽しい」に変えてみるんだ、まず、言葉をね。
「楽しい」って、〈思い込む〉ことで人生観がまるで変る。
 
運命って、思い通りにいかないもの、夢だってその通りにはならないよね。
だから、そんな夢や運命ならば、簡単に物事を諦めてしまうのかも。

でもね、簡単には、諦めないでほしい。

諦めて何かしら良いことがある場合には良いけれど、
そうでなければやり続けてみるんだ~

やり続けて何も変わらないのであれば、やり方を変えてみる。
それでも変わらなければ、さらにやり方を変えてみる。

すると、物事の本質が見えてくるはずさ…。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

2.もう一度、もう一度という魔法の言葉


 そう、もう一度、もう一度、何度でも、
何回でもチャレンジするんだ。

人生の終わりはこの世を去る時だけなんだよ。
「もう一度」ってね、この言葉はね、魔法の言葉。
 
「同じ失敗は繰り返さない」
確かに、同じ失敗を繰り返すのは精神的にも良くないし、
経済的にも良くない。
 
ただ、一度失敗したからといって、
二度三度失敗したからといって、
それで終わる必要はないものね。
 
将棋の世界でも、お相撲さんの世界でも、スポーツの世界には「もう一回、もう一回、もう一ちょう、もっと」という言葉があるように、勝負の世界だって、簡単に一度や二度で終わりなんてないんだ。

私たちには失敗や成功する権利もあるけど、
何度でも、チャレンジする権利もあるからね。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

3.まだまだ、という魔法の言葉


もうひとつ、魔法の言葉があるんだ~
それはね、「まだまだ」って言葉なんだ。

発明家のエジソンはね、
失敗するたびに「まだまだ」と言い続けて発明に没頭した。
 
偉大な芸術家ミケランジェロは88歳になっても、
「まだまだ」と言い続けた。
 
発明家のベルは、
「まだまだ、死ぬまで発明をやめない」といった。
 
家具のディラー・ローズ・ブルムキンは、
まだまだといいながら、95歳で新会社を設立し成功を収めた。
 
ケンタッキー・フライドチキンを作ったカーネルサンダースは、
65歳までは悲惨な思いをしながら失敗し続けた。
無一文となった彼は、愛してくれた母の想い出と共に再出発を決心した。
そして、大成功を収め、90歳でこの世を去った。
彼は「たとえどんな状況に置かれたとしても、決して自分からは諦めない」といった。
 
奇跡の人ヘレン・ケラーの偉業はあまりにも有名だけど、
ケラーのこんな話を知る人は少ない。
 
視力、聴力を失い、話すこともできない三重苦のケラーが、
さらに両足の自由がきかなくなったときのことなんだ。
それでも彼女は登山の夢を捨て切れなかった。
そこで両腕だけの力で、高さ約60メートルの絶壁に挑んだ。

まわりの人々は、あまりにも無謀だ、無理だといった。
でも、ケラーは、
「まだまだ、大丈夫よ」といい、
わずかに15センチずつしか上に進まなかったけれど、ついに登頂に成功した。
 
これって、奇跡なのかな?
 
もし、奇跡だとすれば、
「まだまだ」って、奇跡の言葉かもしれないよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

4.大丈夫だよ、という魔法の言葉


 「あなたはね、大丈夫だよ!」とある女性から言われた。

でも、coucouさんは全然、大丈夫でない…。

明日の身もわからない不安定な毎日を過ごしていたからね、
大丈夫だよ、と言われると、さらに大丈夫じゃあない、と思うんだ。
 


coucouさんはね、いつも世間の目を気にして生きてきた。
みっともないマネなどできない、
恥ずかしいことなどなおさら。

会社の評判などもすごく気にした。
何か不備があり、ミスなどすれば、その晩は眠れなくなるほどだった。
だから、いつも大丈夫な時なんてなかった…。
このことを自意識過剰というのだろうね、
それほど日々の仕事には気を使い続けていた…。
 
でもね、そんな彼女は、coucouさんに向って、笑いながら「大丈夫よ」という。(coucouさんってね、異常な天邪鬼なんだ…)

そこで、何が大丈夫なの?
何を基準に大丈夫なの?
coucouさんの状況の何を理解しているの?
苛立ちと共に質問してみた…。

すると、
「今までも、大丈夫だったでしょ、だからこれからも大丈夫よ」と答えた。
 
coucouさんはね、その一瞬その言葉によって錯覚を起こし始めた。
「あれ~もしかすると、大丈夫なのかもしれない…」
「いや、きっと大丈夫だ!」という思うようになった。
 
coucouさんは、それ以来、人に対しても、自分に対しても、不安や恐怖心が出はじめると、
「大丈夫、大丈夫~」
「もしかすると、大丈夫かもしれない~」
「きっと大丈夫なんだ~」
「今まで通りにやればいい~」
と、自分に言い聞かすようになった。

するとね、考え方やものの見方に大変化がおとずれた。
そして、人の目が気にならなくなったんだ。


 
このように、「思い込み」というものは誰にもわからないもの。
自分でも、わかんないかも知れないよね~

それに、自分が思うほど、他人は悪く思っていないんだよね。
たとえ、会社がなくなったとしても、失敗したとしても、
coucouさんが勝手に思うほど世間は関心を持ってはいなかったんだ。
 
もう、そろそろ安心して、
 
自分に大丈夫だよ、って語りかけてみようと思う。


©NPО japan copyright association Hiroaki

5.もっとね、自分を褒めようよ~


 日本人はあまり人を褒めないといわれている。
でもね、褒められたいという人もたくさんいるよね。

coucouさんだって、褒められたい病だもの~

どうしてなのかな?
 
最近、スーパーや商業施設に行くと、子どもたちの姿をよく目にする。
自分が歳をとったせいか、若い夫婦が目立つ…。

よく見かけるのが、大きな声を出して泣き止まない子どもたちの姿。
まるで癇癪を起したかのようにヒステリー状態のように泣き続ける。

でも、親はそばにいない…。

あまりにも泣き止まないので、親らしい人が近づいてきて何やら怒っていた。放っておいたんだね…。
子どもはさらに大きな声を出す。
その親は、その子の頭を殴った、それもげんこつでね…。
 
どうしてなのかな?

褒めてあげればいいのにね…。


 
ある会社内は、いつもピリピリと張りつめた雰囲気。
働いている人には笑顔はなく、上司は部下に注意していた。
かなり興奮している。

部下は顔を下に向けたまま。
大勢の人の前で注意され、叱られるのは嫌だよね。
それを良しとする上司たち…
 
どうしてなのかな?

少しでも、褒めてあげればいいのにね…。

 
いつのまにか、人を褒めなくなった仕事場。

ほめても相手が自惚れるだけだと考える人たち。
頭にきて文句を言いたかったり、怒りたくなったら、逆に褒めてみたらどうだろうね?

褒められた相手は驚くかも…。
 
無理して褒める必要はないけれど、でも、無理しても良いかもよ~
上の人はね、人を責めたり、文句を言ったり、怒ったって無駄なんだよ~
どうしてそんなことぐらい、わからないのかな?

責任は、あんたにあるのだからね~
無能な上司の証拠だもの~

まして、人前で言うもんじゃあない。
この人は人の動かし方を知らなすぎるレベルの低さを露見していることになるんだ。


でもね、それが駄目だったらね、それでもcoucouさんみたいに誰からも褒められなかったらね。

悔しいから、自分で自分を褒めてやるのさ~


 
誰からもほめられなくてもかまわない、
でも、せめて自分には、
「頑張ったね~」
「良かったね~」
「よく我慢したね~」
「素晴らしいよ~」
と、coucouさんは、褒めまくってやるんだ~
 
だってね、本当に頑張っているじゃん。
 
するとね、coucouさんの人生観がまるで変わってきたんだよ~

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6.もうね、頑張らなくてもいいんだよ


 もうね、無理するのをやめようよ~
頑張ることも、頑張りすぎるのもやめようよ~
そんなに頑張らなくてもいいんだよ~

coucouさんもね、頑張りすぎて来たからいうんだ。
頑張りすぎたって、誰も褒めてくれないし、むしろ、当たり前になってしまうからね。だから、価値のない頑張りはやめたんだ~

 
そもそも、どうしてそんなに頑張ろうとするのかな?
そんなに頑張ったからといって、他人からの評価が大きく変わるわけではないし、上司だって簡単には認めてくれはしない。
 
それに、頑張っても、頑張っても、うまく行かないことも多い。
 
でもね、それって頑張り方が間違えている気がする?
 
つまり、頑張り方に問題があるかもしれないんだ。
頑張り方を誤ると、どんなに頑張っても報われないし、頑張る意味がない。
 
だから、coucouさんは、今までの頑張り方を少しだけ変えてみるようにした。
 
ちょっとだけね~
 
だって、無理してもだめなものはだめだし、、嫌なみのは嫌だもの。
 
だから、頑張りが楽しくなるように、楽しみながら頑張れば、頑張りが楽しくなる気がしたんだ。
 
だから、頑張らなくてもいい、
変えてみるだけでいい、そう思うようになったんだ。
 
するとね、きっと、頑張り方が変わって、頑張るのが楽しくなるからね。

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7.間違えてもいいさ


発明王エジソンはね、
「天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの汗のたまものである」と語った。
その言葉の陰には、「成功とは99パーセントの失敗の積み重ねがあってこそ」という意味があり、「99の失敗は成功に導くための、99の成功」だという意味なんだ。

そして、エジソンは決して天才ではなく、
努力できる天才、
失敗の多い天才だった。
 
人は間違いを恥だと考えてしまうよね。

そうだよね。

間違えれば注意されたり、怒られたり、場合によっては損害を被る場合もあるから。
でもね、間違いのない人がこの世にどのくらいいるの?
上司さん、社長さんたちは神さまのように間違いがないの?

そうだよね、いるわけがない。

間違いを起こして涼しい顔をしていることは問題があるけれど、その間違いに対して怒鳴ったり、責任を押し付けるような上司がいたら、おかしなものんだ。部下の間違って、部下の間違いではなくあきらかに上司や社長の責任なんだもの。
 
でも、間違いは誰にでもある、
失敗も誰にでもある、恥ずかしい事もある。
 
でもね、間違えたらそれを認めて直せばいいだけのこと。
coucouさんは、間違えたらすぐに謝るんだ。毎日、誤り続けている。
「ごめんね」「ごめんなさい」ってね。

「すみません」って言う言葉は使わないよ。
だって、その言葉は挨拶用語なんだもの。

 
その間違いがこれから成功を導くものかも知れないよ。
その間違いのおかげで、どれだけ救われるかもしれないよ。
その間違いがあったため、今の私があるのかもしれませんよ。
 
そう、間違いや失敗は成功のための道しるべなんだ。

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8.失敗してもいい


失敗もおんなじだね。

失敗をしない人などどこにもいないもの。
でも、失敗すると注意される、怒られる、怒鳴られる。

これって、社長も社員もおんなじ。

でもね、失敗したらやり直せばいいだけのこと。
その失敗の原因を明確にして、二度と繰り返さなければいいんだもの。
 
これを読んでいるみなさんがね、おそらく束になってかかって来ても、coucouさんほど、失敗をした人って、おそらくいないかも~

だって、coucouさんはね、失敗の名人、大失敗の達人なんだもの。
だけどね、最近のcoucouさんのね、失敗が、唯一の自慢になった。

もしかすると、エジソンより失敗量が多いかも。
(まだまだ活かしたりないけどね)



 
coucouさんはね、たくさん人に迷惑をかけて、怒鳴られて、怒られて、裁判にまで発展し、泣いて、泣いて、後悔を続け、悔し涙の人生だった…。

あれから数十年。
coucouさんの大失敗人生。
大恥の人生。
取り返しのつかない人生が、信じられないことに変化した。
 
その変化ってね、その時は後悔だらけだった失敗のすべてが、今では成功だと思えるようになったことなんだ。当時、不幸だと思っていたすべてが幸せに変わったのさ。
 
その理由はね、「失敗には失敗するための法則(メカニズム)がある」ことがわかったんだ。逆に、「成功には成功するための法則(メカニズム)」がわかったんだ。
 
それは、当たり前のことなんだけれど、失敗しなければ成功する。
失敗しなければ成功できないということだった。

失敗には「大きな失敗」と「小さな失敗」があって、「大きな失敗」のほとんどが、「小さな失敗」の積み重ねから起こることだった。

「小さな失敗」はね、大きな失敗を起こさないためのメッセージ(注意・警告)だった。
 
それ以来、coucouさんはね、目の前に起こる「小さな失敗」に注意し、警戒し、分析するようになった。
つまりね、失敗を嫌わずに愛してみよう、という考え方に切り替えたのさ。

そして、こうも考えてみた。

失敗したら恥、みっともない、笑われる、嫌われる、怒られるなら、そのような人たちと離れればいい。
そうでない人の方がたくさんいるのだもの。
 
そう、失敗は恥じゃあない。
だからね、失敗を好きになろう、愛してみるようになった。
 
こうしてcoucouさんの場合は、少しずつ、少しずつ、自分の思い込みを外すことに成功した気がする。

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9.嫌われたっていいのさ


coucouさんは、どうやら八方美人、いや、一六方美人だった…。
これはね、病的に近いことかもしれないけれど、、とにかく人に嫌われたくないんだ。
みんなに好かれたい、愛されたいという病の重症患者だった…。
 
経営を始めると、さらにその重症度を増した。
お客様に嫌われたくない、好かれなければ、愛されなければと、日夜働き続けて来た。(これは間違いではないよ、ただcoucouさんはこの部分が異常なんだ…)
 
例えば、他人から批判、悪口などがあれば慌ててお詫びし、修正に奔走していた。そのようなことがあれば、夜も眠れない日々が続いていた。
でも、神経質に丁重にお客様と接しているにもかかわらず、クレームや文句は出る。

当時のcoucouさんは、きっとイエスマンで扱いやすかったのかもしれないね。
そうだよね、どんなに努力したって、coucouさんを嫌う人は存在している。coucouさんだって嫌いな人がいるんだからおんなじ。

そうだよね~
当然だよね~
 
ある日、友人から「お前、結構嫌われているようだね」と言われ、衝撃が走った。その相手はcoucouさんが尊敬していたお客様だったんだもの。
coucouさんはね、今までこれだけ頑張ってきたのに、何もかもが否定されてしまった気分になった。

「どうせ、嫌われているのだから、今さら好かれようと努力する必要はないんじゃあない」と、友人は続けてとどめの言葉を吐いた。

「それに、嫌われているのだから、お前も嫌ってもいいんじゃあないか?オレはお前を嫌ってはいないけどね…」
 
coucouさんは、お客様は神さまだ、という先輩たちのアドバイスで大切にしてきたつもりだったけれど、神さまのように接しすぎて、お客様から煙たがられていたみたい…。

そこで、coucouさんは「お客様は神さまだ」という〈思い込み〉を外すことにした。お互い一人の人間として接する、それが〈思い込み〉を外した結論となった。
 
おそらく現在も、coucouさんの批判や悪口があると思うけれど、一切気にならなくなったんだ。

coucouさんの〈思い込み〉は、
「好かれたい」から「好きになる」、
「愛されたい」から「愛する」に変わり、人と接する自信に変わった。

そしてね、嫌うなら嫌えばいい、そう思うようになった。
どうせ、嫌われていると思うなら嫌えばいい。
嫌われているのに好かれようというのは勝手な話だもんね。

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10.信用されなくてもかまわないさ


先輩経営者から、いつも聞かされていたアドバイスは「信用」だった。

「いいか、経営者は人に信用されてナンボの世界。銀行だってその人間を信用するから金を貸す。信用がなければ一銭も借りることができない。まず信用をつけろ!オレは銀行から十億近い金を借りている、これが信用だ!」

coucouさんはね、尊敬していた先輩からのアドバイスを忠実に守ってきた。
確かに、信用がなければお金を借りることができないし、仕事も貰えない。
 
その後、coucouさんは、数十年かけてその信用を築き上げてきた。
そして、尊敬する経営者の先輩の仲間入りを果たすことができた。

そして、その先輩が主催する会に出るようになり、そこでは毎回、年商いくら売り上げた、借入金を五億、十億増やしたという年商と借金自慢のような勉強会だった。

「いいか、信用というものは一度失えば二度と信用されないのだ。だから失敗など許されない、失敗したときは命を捨てるときだ…」

経営というものはこうして命がけでするものなのだ、信用を失えば二度と信用されなくなる、そう思い込むようになっていた。
 
しかし、バブル期は終わり、その経営者の会は消滅した…。

すべての資産価値は、国の総量規制により土地価格は大幅に減少して価格割れ、担保割れが生じ、銀行は不足した追加担保の要請、貸出規制、追加融資の禁止措置により、そのメンバーのほとんどが倒産し、信用を失った…。
 
coucouさんも同様に会社を失い、信用を失った。

あれ~
なにこれ~

でもね、振り返って見たら、こんな信用なんて、いらない、必要のないものだったんだ。
 
だって、嘘だったんだもの。

人を信用してお金を貸すのが銀行ではなく、資産価値、保全措置、回収を前提に最小限のリスクを考えて、値上がりするだろうという投機的な資産が信用の第一条件だったからさ。
(丁度、お金があれば信用され、ない人は信用されない、ってことは、みんなお金を信用しているんだよね、その相手じゃあないんだ…)
 
coucouさんは、会社を失ってからこの信用という〈思い込み〉が外れた。
信用されなくてもいい、信用してくれる人たちだけを大切にすればいい。
そして、信用してくれる人たちを増やし続けていけばいいんだってね。
 
ビジネスがうまく行かなければ信用を失うというけれど、
何もしなくても信用は失う場合もあるけれど、
信用は新しく作り続けるものだった。
 
信用ってね、与えられるものでなく、作るものでなんだもの。

お金がなければ信用されないなんて、おかしいよね…。

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11.誰も相手にしてくれなくともかまわない


会社を辞めるとき、会社が潰れたとき、もう誰も信用してくれない、相手などしてくれない、と考えてしまった…。
 
ひとりぼっちになる、社員や取引先も友人も離れてしまう…。
妻や子どもたちはどうなるのだろう?
きっと、愛想を尽かしてしまうだろう…
 
何よりも世間様が相手にしてくれない…
誰もが、そう〈思い込む〉~

そして、その〈思い込み〉は恐怖心を呼び込んでしまうんだ。
 
このように、社長って、いつも孤独地獄に陥ってしまう。
寂しいなあ~
辛いなあ~
ああ、誰もわかってくれない…、ってね。
 
でもね、地球上のすべての人々が、本当に誰も相手にしてくれないのかな?もし、地球上のすべての人々が誰も相手にしてくれなかったとしても、たった一人でもいい、大好きな人、愛する人がいたなら、どう?

地球上の人々のすべてに嫌われて、相手にされなくなっても、それ以上のものってあるの?
 
相手にしてくれない人もいるけれど、相手にしてくれる人もいる。
嫌う人もいるけれど、好いてくれる人もいる、信じてくれない人もいるけれど、信じてくれる人がいる。
 
そうだね、その人たちだけ大切にすればいいんだよね。

©NPО japan copyright association

coucouさんでした~
みなさん、ごきげんよう~

みんな~
ごめんなさい~
またまた、長くなってしまいました~
わお~
10,000文字となっちゃった…

(反省…)


みんなも、大丈夫、大丈夫~

まだまだ~

まだだよ~

これが魔法の言葉、一度試してみてね~

そしてね、とどめの魔法の言葉はね、自分を褒めてあげようよ~

coucouさんはね、文句を言われることはあっても、あんまり褒められたことがないんだ。
だからね、こんなに頑張っているんだもの。
せめて、せめて自分だけは自分のことを褒めてあげたいなんだ~
決して、罪なことじゃあないよ~

優しく、優しく、そっと褒めてあげるだけでいい。

するとね、嬉しそうにしてくれるんだ、何よりも喜んでくれる。
そう、自分が自分に幸せを与えるんだ~

だってね、誰も幸せをくれないんだもの。

幸せって、人からもらうだけじゃあなくて、自分で差し上げて、自分が幸せになることなんだよ~

そう、人から与えられた幸せだけじゃあなくて、自分に与えるんだ~

こんなに素晴らしい、幸せはないんだよ~

ねえ、みんな~


自分に幸せを与えてみようね~

では、またあした~

今日も、みんな~

幸せな一日でありますように~



coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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