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507.死ぬのをやめた、最後の5分間のお話。あなたなら、どうする?

coucouさんのお仕事㉖

1.人生経営には終わりがない
 

定年で退社しても、仕事が無くなっても、私たちはよほどの資産がなければ生きてはいけないね。

老後資金は2,000万円じゃあ足らない~
ましてや、わずかな年金では生活は成り立たない…。

世の中、そんな話ばかり~

預貯金がたくさんあって生涯お金の心配のない生活であっても、何もやることがなければ、それも宝の持ち腐れで終わってしまう。

問題はね、物質的なお金だけでなく、精神的な充実感や満足感、しあわせ感がなければつまらない人生で終わってしまう。

数千万円の預貯金を持った人たちが、老後のために、何かあったときのためにと、しっかりと貯めているけれど、美味しいものを食べたり、旅行に行ったり、孫たちに何かを買ってあげても罰などあたらないよね。
むしろ、人のお役に立つために何か出来れば、お金では買えない大きな喜びと幸福感に包まれるはずだ。
 
「人生経営」って、生涯に渡り続く営みという意味なんだよ。
 
仕事をやめても、事業をやめても、人生という経営には終わりはないよね。
心と身体と経済を安定させることが人生経営なんだもの。

人生の経営って、永遠だよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 

2.終わり良ければすべて良し


 
人生が、仕事が、順風満帆であっても、どのような財産があっても、お金儲けができていても、後悔だらけじゃあ、まるで意味がないよね。
 
だから、終わりを見据えて考え、「人生に感謝」できるのが本当の成功者のような気がする。そう、人生に成功するってことだよね。
 
次のお話は、以前にも実際に起きたことをまとめた過去作品のリメイクもの(実話)。


「あと5分…」

もし、私たちの生きる時間があと5分だとしたら、どう?

わずか、5分しかないんだ…。

誰も助けてはくれない…。
だからと言って、過去を変えることも、人生を一からやり直すこともできない…。さらに、たった5分しかなければ、後悔すら考えている時間がない…。

 
でもね、あと5分あるんだ…。

©NPО japan copyright association Hiroaki


 
 

3.最後の五分間


「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


 
彼は光が差し込む小さな窓から遠くを眺めていた。

外の世界はまるで時間が止まっているかのように、ゆっくりとゆったりと流れているように感じていた。

風はなく、空に浮かぶ雲は流れず、青空はそれでも碧く。
小さな窓からでも充分に感ずることができた…。
 
ほんの一瞬かもしれないが、この時が、彼の至福の時なのかもしれない。

自然と涙が溢れてくる、その涙は決して喜びの涙じゃあない…。

むしろ、深い、深い悲しみの涙といえる。

彼は窓から差し込む光にそっと手を合わせ祈る…。

彼の名は、ムイシュィキン。
 
ろしあの若者ムイシュィキンは誤解され、逮捕され、裁判にかけられて死刑を宣告された。(カタカナで書くと注意書きが入るため「ろしあ」とした)
もう、時間はあまり残されてはいない…。
刻々と迫る死刑執行の時。
直前まで、彼は死刑になることが信じられなかった。

いや、信じることができなかった。
 
自分には罪を犯したことに身覚えがない。
まったく罪なんて犯していないし、きっと誰かが助けてくれるものだと最後の最後まで信じていた。

でも、現実は信じていた神ですら救いの手を差し伸べてはくれなかった…。
 
彼は慌てた。

なぜって、まだまだ自分にはやり残したことがいっぱい残されていたからだ。
「死にたくない…、まだ、死にたくない…、誰でもいい、助けて欲しい」
彼は毎日、その日がくるまで祈り続けた。

それまで神など信じていなかったし、祈ったこともない。
 
「だれか、助けて欲しい…。父や母に逢いたい、友達にも逢いたい。どうしよう、どうしたら良いのだろう…」

彼は考え続けた。

これまでの人生を、これまでの生き方を、ただ考え続けた。

「果たして、これで良かったのだろうか?もし、死刑でなければわたしの人生はどんなに素晴らしい人生だっただろう?もう何もできない。これまで50年あまり、なんと無駄の多い人生だったのだろう。ああすれば良かった、こうすれば良かった。しかし、もうやり直すことができない…」
 
あと5分…。

彼は、その5分に希望を託した…。
 
「生きていられるのはあと5分ばかり。(中略)もし、死なないとしたら、もし、命を取りとめたら、それは何という無限だろう。その無限の時間がすっかり自分のものになったら、おれは一分一秒をまるで百年のように大事にして、もう何ひとつ失わないようにする。いや、どんなものだってむだに費やさないだろうに…」

 
そして、ムイシュィキンはこの5分間を、友だちや愛する者たちとの別れに2分間、いま一度自分自身を考えるために2分間、残りの1分間は、この世の名残りにと、周りの風景を眺めるためにあてたいと思った…。


©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

いつも読んでくれて、ありがとう~
今回は初期作品でcoucouさんのお気に入り~

だけど、みんなにあまり読まれていない…。

初めの頃の作品のほとんどはスキも少なく、コメントなんてほとんどなかったけれど、当時を振り返ると、一生懸命書き続けていたことを思い出す。

だからね、つまらないと思うけれど改めてご紹介~





 
この物語は、ろしあの文豪ドストエフスキーが若いころ、ロシア皇帝暗殺を計画したと疑いをかけられ逮捕され、死刑判決を受けた話なんだ。
そして、自らが処刑される寸前に奇跡が起こった。
皇帝からの恩赦が出て、死刑にならずシベリア流刑に減刑された…。

ドストエフスキーは、その奇跡に歓喜し、神に感謝を捧げた。
 
彼は小説『白痴』の最期で、主人公ムイシュキンにこの言葉を語らせたんだ。自分の言葉で、神に感謝とともにね。

 
最後の5分間という土壇場人生。

これはね、今の私たちも同じかもしれませんね。


ねえ、みんなはどう考える~
ねえ、みんなだったら、どう思う~

もし、自分だったら最後の5分間をどう考えるの?


誰もが自分には時間が無限にある、と考えている。
でもね、時間は有限、時間には限りがある、と考えたとき、おそらく今まで感じなかったこと、見えなかったことなどが鮮明にわかるような気がするんだ。
 
人間って、平等に生まれ、平等に生きて、平等に死ぬ、といわれているけれど、この世を去る時は不平等なもんだよね。

それを人は「寿命」と呼び、「天命」という。

それに、時間の長さも不平等なものだよね。
同じ5分間がとても長く感じたり、短く感じたりと、人によって異なるものなんだもの。

だから、問題は時間の中身の濃さにあるのかな~
 
さて、最後の5分間をあなただったらどうする?
 
 
終わり良ければ、すべて良し。

そんな人生を、素晴らしい人生を送ってみたいなあ~


では、また~
あしたね~

今日も佳き一日でありますように~



coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru

 
 
 
 
 







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