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553.わたしは自分のために泣いた。わたしはこの世にあるすべての痛みに泣いたんだ。

【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論⑪】


ねえ、ねえ~

みんな~

こんな作家さんを知っている?

なんと、101歳でデビューして、全米でベストセラーとなったお爺ちゃんがいるんだよ~今までもこのnoteで一部を紹介してきたけれど、【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論】で欠かせない、本なんだ~

だから、約10,000文字近くなっちゃったけれど、読んでほしい~
ここにも大切な本の魂がある気がするんだ~

ああ、本って素晴らしいんだね~

おつきあいくださいね~


1.全米でもっとも有名な老人の物語



 今を生きる…。

もし、今日が
人生最後の日だとしたら、
みんなは何をしたい?


わたしは、人生の最後を家族と過ごす。
わたしは、親しい友と人生を語る。
わたしは、愛する人と人生を過ごす。
わたしは、わたしの友人たちに手紙を残す。
わたしは、美味しいものをたくさん食べる。
 
人はね、誰もが、明日は、必ず来ると思う~
でもね、その明日ってね、誰にもわかんないよね~

人生の最後の日って、誰にでも当たり前のように、自然に訪れるんだもの。


「ジョージ・ドーソン」シアトルタイムズより


ジョージ・ドーソン101歳。
株なし。
銀行預金なし。
カード類なし。

持っているものは、何枚かのシャツとスーツ一着、帽子一個、だけどね、とってもシンプルで幸せな人生を送っているんだ。

ジョージは全米でもっとも有名な老人。

読み書きのできなかった老人ジョージは、人によってはゲットーと呼ばれる地域の、小さな四角い家に一人で生活している…。

その老人は、どうにか暮らしていたけれど、1996年、ある若者がドアをノックした。そして彼の人生がかわるんだ~

その若者はね、古い高校の成人基礎教育の講座(読み書きを教える講座)
に参加する人を集めていたんだ。

ジョージはね、
「わしは、10年間もひとりぐらしをしてきた。釣りにも飽きたよ。そろそろ読み方でも習おうか」とその若者に答えた。

読み方を学んだ老人は、1998年2月1日付『シアトル・タイムズ』に読み方を学んだ老人の記事が掲載され、その記事を呼んだ人々の心を動かした。

98歳で読み方を学んだ人、ジョージ・ドーソンに関する、1月15日付の記事を今度は、AP通信が取り上げたあと、それらを感激した何百もの読者が彼にカードや手紙を送った。

実際、以後のドーソンの人生そのものが一つの物語になっていくんだ。彼の物語はここから始まった…。

奴隷の孫息子ドーソンは、学校に行くかわりに8歳から一家を支えるために、働に出た。10歳で奴隷になっていった。
それが彼の今までの人生だった。

彼の人生の後半は日々釣り生活。
だけど、その釣りに飽き、隠居暮らしにもうんざりすると、彼は読み書きを習おうと思ったんだ。

101歳になったドーソンは人種差別の中で、
「わたしは自分のために泣いた。わたしはこの世にあるすべての痛みに泣いた。父さんも目に涙を浮かべ、わたしを抱きしめた。わたしは、この100年間に良いことも、悪いことも全部見てきた。わたしの記憶から消すことはできない」
それを書き残そうと思ったんだ。

1月18日に、彼は100歳の誕生日を迎えたとき、彼は小学校3年生程度の文章をようやく読み書きができるようになった。彼に何百もの送られた手紙は小さな子どもたちからのものが多かった。

「ジョージ・ドーソン」efore his passing, author George Dawson celebrated his 103rd birthday at the middle school in North Texas.

その一部を抜粋。
 
拝啓 ドーンさま
今あなたが字を読めて、わたしはうれしいです。あなが学校を好きでよかった。わたしも好きです。わたしは小学四年生です。
                 あなたの友だち アレクサ

 
ドーンさま
ぼくは2ねんせいです。ぼくはウイスコンシンにすんでいます。ぼくがうれしいのは、あなたのあたまが、まだはたらいていることです。100さいのおたんじょうび、おめでとう。
                        ジミーより

しんあいなるドーソンさま
おたん生日に、あなたが新しいつえをもらえたらいいなあと思って、つえの絵をかきました。とっておいてね。うちのお母さんは、そういう絵を、れいぞうこに貼っておきます。あなたもそうするといいね。
              あいをこめて、アマンダ

 
ドーソンは子どもたちに語る。
「あのさ、世の人びとは100年を長い時間だと思っている。ほとんどの人は、わかっちゃいないね。わしの人生はちっとも長くない。わしには短く思えるんだ。あっという間に過ぎ去った。ただわしは、1日、1日ごとに良くなってくるんだよ」

2001年1月18日、学校のクラスメートに囲まれて、103歳の誕生日祝いがおこなわれた。
もちろん、今でも杖を使わず歩くし、老眼鏡を持っているが、かけたがらない。耳が遠くなっても補聴器をつけない。

そんなドーソン流の頑固さをつらぬきながら、彼は茶色のブックバックで通学し、HBの鉛筆をしっかりと握って文字を書いている。
読み書きのレベルは少なくとも小学五年生レベルに到達していた。

ドーソンの長い人生は、人種差別。苦痛、貧困、抵抗といった暗い側面の時代にかかわらず、ドーソンは常に、
「人生っていいもんだ」
「一日を大切に、一秒を大切に生きる」
という信条をかかげてきた。
彼の自伝は多くのこどもたちからのファンレターでいっぱい。

「ジョージ・ドーソン」efore his passing, author George Dawson celebrated his 103rd birthday at the middle school in North Texas.


「ジョージ・ドーソン」



「わしは100年も空を見てきた。そして回りには誰もいなくなってしまい、わたしは100歳でひとりぼっちになってしまいました。読み方を習うのはこどもの頃からの夢だった。わたしの、人生の最後の日は、わたしの人生を書き残すことでした…。わたしは人間になった」

ジョージ・ドーソン著「101歳、人生っていいもんだ。」飛鳥新社より

ねえ、みんな~
どう、感じた~
おそらくね、coucouさんもそうだけれど、ドーソンの最後の人生は100年分を取り戻して、さらに余るくらいの人生を終えたんじゃぁないかと思う。
だって、文字も書けず、読めもしないのに、98歳で学び100歳で本を出版するんだよ~

まさに、人生の哲学なんだと思う~

このように、たった1冊の本が全米、世界中を驚かせた印。
本って、このまま残り続けるんだ。デジタルの世界は100年持つかどうかは誰にも分らない。でもね、紙の本は生き延びつつける。

未だにこの本は世界中から愛されているんだ~
coucouさんはね、ここまで素晴らしすぎなくていい、みんなもそうだと思う~本の役割はね、人様に喜ばれること、たくさんの人にお役に立ち、たくさんの人を支えながら共感しうための装置なんだよね。

もちろん、ドーソンさんは文章上手いわけじゃあない~もちろん、ただ、辛く苦しかっただけだと思う…。奴隷だった、というのも一つのきっかけかも知れないけれど、もしねそれが本当だとすれば奴隷として扱われたたくさんの人たちだって、みんなが本を出せるはず。

でもね、本を出すことなんてできるわけがない~

これは、ドーソンの前向きな生き方、前だけを見続けて生きてきた、ドーソン自身の特別な環境が、そうしてのかもしれない…


©NPО japan copyright association Hiroaki

2.とっても簡単、知って得する著作権の基本と知識


著作権なんて耳にすると、日本人はすぐにむずかしく考えちゃうね。

でもね、著作権って、有名人や専門家だけの特別な権利じゃあないんだよ。

自分が考えたものを表現したもの、絵やインターネット上、スマホのショートメールやライン上で書いた文章、打った文章すべてを著作物なんだからね。
またね、文章だけでなく、文字(動書・カリグラフィ)、イラスト、漫画、絵画(人物画・風景画・すべての絵)や写真、映像、音楽なども著作権のある著作物というんだ。
著作権によって保護される対象のものを「著作物」という。

だから、私したち、すべての人々はこの「著作物」を生活や仕事の中で扱い、利用して生きていることがわかるよね。

じゃあ、著作権で保護されないものは何んだろうね?

それはね、創作性のないもの
創作性のあるものは著作権によって保護されるけれど、ないものは保護されない。ないって、何がないのものなのかというとね、「思想や感情」のないものと考えればいいのさ。

創作性のないものってね、「単なる事実」のこと
それが、もし新しい発見であったとしても、創作性がなければ「単なる事実」ってことになる。

著作権法第二条一項一号の定義
「思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸・学術・美術または音楽の範囲に属刷るもの」という定義があるように、感情を創作的に表現したものでなければ権利にはならない。

ただの数字や記号、事実~
「単なる事実」ってね、「何時何分にどこどこで事故があった」とか「歴史的な事実」年号なども単なる事実。裁判所の判例なども判決結果はただの事実となるので著作ブッダとは言えない。

でも、手紙や文章、メールなどはほとんどが感情を創作的に表現されているものなの著作権があるということになるよね。

もう一回いうね、「単なる事実」というのは、たとえば、
「令和4年12月29日。私は新宿の紀伊国屋に行き本を買った」
これって、単なる事実だよね。

でもね、
「令和4年年12月28日は、とっても楽しみ。大好きな本を見つけてみよう!もうわくわくしちゃう!」

これはどう?

その人の心や気持ちが充分に表現されているもんね。
おそらく、手紙やメールなども自分の気持ちや感情があるから相手に伝わり、感情のないものは事務的な案内みたいなもので、「単なる事実」になる可能性がある気がする。

「創作性」の意味って、オリジナルであること。
「他人のモノマネではない」だもんね。

だけれど、アイデアは著作権で保護することはできないんだよ~
発明的なアイデアなどは特許庁に出願する特許権や実用新案権で権利を保護するもの。

だけどね、ここで誤解が多いのだけど、アイデアそのものは著作権の権利はないけれど、そのアイデアを「創作的に表現したもの」、つまり、著作権法の定義にあては まるアイデア表現は著作権で保護されるんだ。

たとえば、アイデアを伝えるためのスケッチ、イラスト、図。
そしてそのための写真や映像。パンフレットなどの印刷物や広報物、そしてホームページに掲載されているアイデア表現などのことをいうんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.人の書いた文章だけど、どうしても利用したい


文章を書いていると、どうしても他の人の著作物だけど利用したいものがあるよね。また、他の人の著作物だけど、必要があって、どうしてもこの部分だけ利用したいものもある。
その場合に、認められている定義があって、このことを「引用」というんだ。
それはね、著作権法第三十二条に、
「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」
というように法律で認められている。

そしてね、「引用」には三つのお約束と条件がある。
第1の約束(原則)は、
公表された著作物であること原文のまま使用すること。
第2の約束(原則)は、
公正な慣行に合致していること。そして引用が不可欠である。
第三の約束(原則)は、
正当な範囲内であること。そして自分の著作物が主であること。

ではこの三つのお約束(原則)を説明するね。
面倒なら、飛ばしてくださいね~
または、必要になったら、再び読んでほしい~

©NPО japan copyright association Hiroaki

(1)第一の約束・原則は、公表された著作物を用いること。


これは未公表の著作物の場合については、著作者人格権としての公表権との関係が生じる。
つまり、未公表の著作物には公表したくないもの、公表されたくないものもあるからなんだ。そのため、公表されたものという原則があり、これは著作隣接権も同じ。

また、自分の文章の中に他人の文章を引用する場合は、原則として原文のままでなければならないんだよ~
これは自分で勝手にその文章に手を加えたり、修正してしまったりしてはいけない、あくまでも原文のままで、しかも必要最小限、自分の著作物に本当に必要な部分だけ。

これは文章の場合だけど、人の写真や絵画を引用する場合どうするかといえば、この場合は必要最小限度ではだめなんだよ。
たとえば、写真や絵画の一部分だけが必要だからといって、その部分を切り取ることは、「著作者人格権」の中の「同一性保持権の侵害」になってしまうんだ。
これは文章やイラストも同じ、勝手に改変してはだめんなだよ。

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 (2)第二の約束・原則は、公正な慣行に合致していること。


これは社会通念に照らし、引用であると認められる場合でなければならないんだ。たとえば、自分の著作物がなく、ただ単に他人の著作物を転載したにすぎない場合は、引用とすることは認められない。
例えば、noteの記事内容が他人のモノばかりで自分のモノがなかったり、少なすぎれば、引用ではなくて「無断使用」だよね、まさに著作権侵害となる恐れがあるんだよ~

だから、これは自分の著作物にとって、どうしてもその引用が必要不可欠な場合、その引用がないと自分の著作物が成り立たないぐらいの必然性が必要になる。
でもね、必要不可欠だからといって引用だらけにするには問題があるんだよ~
そこで第3の原則があるんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

(3)第三の約束・原則は、正当な範囲内でおこなわれること。


これも自分の著作物があるといってもほんのわずかの分量であったり、主たる内容が他人の著作物の転載によって占められている場合は、正当な範囲とはいえない。
これは引用の前提条件として、自分の著作物が主(メイン)でなければいけない。引用する他人の著作物が主である引用ってあり得ない。
引用する著作物は従というように、主と従の関係がしっかりと保たれている必要性があるんだ。つまり、引用ばかり多いというのは著作権法第三十二条の引用とはいえない。

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4.著作権を自由に使うためのもうひとつの条件


著作権法第三十条から第五十条は「著作権の制限」として著作権の自由利用に関する規定が設けられている。

前頁までの3つの原則によって、これらを守ることによって著作権法第三十二条が適用され、他人の著作物を勝手に、無料・無断で使える。

これはね、公表された著作物に関してあらゆる場合において使用を認めないという著作権者が現われれば、教育上、福祉上困る場合もあったり、それ以外のいろいろな障害が発生する場合もあるためなんだ。
そのために規定として第三十条から第五十条までに「著作権の制限」として記載されている。

もちろん、同法五十条では著作者人格権との関係として、人格権に抵触するような使い方は認められないことになっている。

そして、著作権を自由に使うためのもうひとつの条件というのは同法第四十八条引用条件として「出所の明示」がある。
これはね、「引用の三つの原則」に加えて、引用した著作物のそばに出所明示をする必要があるってことなんだ。

「出所明示」といっても、現実には引用した側がきちんと出所を明示することが意外と守られていない。
この条件は文章であっても、写真、漫画、絵画、イラストの引用個所のそばに必ず出所明示をしなければいけないんだよ。

これは出所明示の条件はあっても具体的にどこに記載すればよいのかという規定がないため表示方法が統一されてはいない。

でも、同法四十八条「出所の明示」には、
「当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない」とある。

このように引用表示の方法は明確ではないけれど、あまりにもその表示が小さすぎて読みにくかったり、見にくければその表示の意味はない。

つまり、誰が見てもわかる範囲の表示方法が必要となるんだ。

また、学術論文などでよく見かけるけれど、出版社名、第何版の何章、第何節の何頁掲載などと出所明示を細かくしなければならないケースもある。

しかし、最小限度いかなる場合でも必要なことは「著作者名」「著作物の題号を入れることが最小限度のものといわれている。

また、引用とは無料・無断でできることをいい、了解を得たものは引用ではないよね。だから、よく「無断引用」という言葉が新聞や雑誌等で使われているけれど、それって、間違いなんだよ~
引用は無断でできることだから、その言葉がおかしい~

どうかな~
むずかしく考えないでほしいんだけれどね~

これらの条件を守りさえすれば、著作権法第三十二条が適用され、いちいち著作者から許可を得なくても無料で無断で自由に勝手に使えることができるんだもの。

逆にね、この原則を守らなければ引用とはいえず著作権侵害になってしまう。
引用が一番該当するのは文章を中心とした活字関係だと言われている。
そのため新聞や雑誌、書籍で一番この引用が活用されているけれど、放送関係、映画等の映像関係、広告宣伝関係にはこの引用はすべてない(でも、営利を目的としない場合の特例はあります)

引用はね、「報道、批評、研究その他の場合……」認められているもので営利を目的とした広告宣伝媒体では必ず許可が必要となることは覚えておいてほしい。

またね、インターネット等のホームページにおける引用はかなりむずかしいといわざる得ない部分がある。

©NPО japan copyright association Hiroaki



さて、これ以上必要な人はね、ここの「著作権に関して」監修をしてくださった、特定非営利活動法人 著作権協会さんのnoteで学んでくださいね~
noteさんのクリエイターさんたちに必要な情報が満載~

「クリエイター著作権全般」特定非営利活動法人著作権協会(NCA)

※困ったときにはねきっと、親切に教えてくれると思いますよ~今回の、監修、協力も感謝申し上げます~


©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

最近になってわかったんだけれど、coucouさんって欲張りなんだよね~
だって、もう、あっという間に約9,000文字を超えた~
これって、異常を通り越してしまい、これからさらに更新しそう~

だって、タイトル通り「お馬鹿なcoucouさん」なんだもの~
来年までご勘弁…。

これでも文量を押さえているつもりなんだけれど、あれも必要、これも伝えなくっちゃ~


ああ~と思いながら過行く時間と、毎回読み続けて、毎日ラインで感想を入れていただいているcoucouさんの友人、ltomoさんからまた怒られる~

ltomoさんはクリスマスの夜に転倒した大切な友人なんだ~

彼はスマホでnoteを見ているんだ~

いつも全部真面目に読んでくれてコメントをラインに入れてくれる。
だけど、同じことを言われる~

「長いね…coucouさん~読むのも大変だよ…」と。

でもね、いわれるたびに反省を繰り返しているんだけれど、いわれるたびに文書量が増えてしまうんだ…。

だってね、まだまだ書き足らない~

天から何かに憑依されて、書かされているような錯覚まで起こる…。

ああ、無情~

いや、ああ、異常だね~

【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論⑪】は、11回目、11日間になっちゃいました~

でもね、この辺で止めるね~
明日も続くんだもの~

でもね、一期一会じゃあないんだけれど、今は二度と来ないし、戻れない~
1分1秒が大切だし、この一日も大切にしながら時間と言ういのちを大切にしているんだ。

それにしても、coucouさんは、まだまだ仕事中~

明日からは年末の飾りつけを外し、新年明けの初売りセールの準備をいつもの商店街のメンバーたちと始めるんだ~

なんだか、この後半はみんなが楽しそう~

うれしいね~

みんなの笑顔は~

だから、離れたくなくなるんだよね~

みんなと逢えないのって寂しいもんね~

noteのみんなも笑顔でカウントダウンだね~
coucouさんの1年は2年分だったから、このカウントダウンは心地よい~

そしてね、1月1日から、カウント・アップなんだもんね~

もっと、もっと、みんなの幸せの顔を見続けたい~
みんなの笑顔の姿が嬉しくて、それだけでも幸せになれる、とっても省エネの低価格で手に入る小さな幸せ~
それがたくさん増えていく~


ねぇ、coucouさんだって、少しぐらい幸せになってもいいよね~


みんな~

読んでくれているみんな、ありがとう~
みんながいなければ、やめていたnoteの仲間たち~

感謝しかないなあ…。

では、またあしたね~

カウントアップの準備は、オッケーかな~



coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru








 
 
 
 

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