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521.そう、人生の最後はね、みんなハッピーエンドなんだからね~
coucouさんのお仕事論
※前回520.「ねえ、人の背中を見てごらん~どう?その人の幸せが見えるかね知れないよ~」で書ききれなかった部分のまとめの続編。こちらを始めて見た方は合わせて読んでね~どちらから見ても読み切りなんだ~
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1.後ろ姿に惚れた
よくね、「後ろ姿に惚れたんだよ…」なんて言葉を耳にするときがあるよね。また、「お前の後ろ姿が好きなんだよ…」なんて言われたら、「じゃあ、あんたは前は嫌いなの?」と反発を受ける場合がある。
また、デート中に男性が前を歩いている後ろ姿の女性に見とれている場合もある。「あんた~女性の後ろ姿を見て、いつもニヤニヤしているけど、変態~」なんて言われる恐れもある。
だけど、後ろ姿だけで人を好きになるなんて稀だと思う。
それに、自分の後ろ姿は気にならないけれど、人の後ろ姿を気にする人も多い。こんな感じで、普段は話題にも上らない後ろ姿。
みんな正面だけ意識していて、背後に気を使う人も少ない気がするね。
また、男女とも「あの人の後ろ姿が恰好いい~」なんて声もあるよね。
だからといって、後ろ姿が重要視されるわけでない。
coucouさんはね、いつも人の後ろ姿を眺めている変な奴なんだ。
そしてね、意識して注意してみているとある共通点を発見した。
それは歩いているときの後ろ姿を見ると、両肩がまっすぐに平行の人、右肩が下がっている人、左肩が下がっている人、または背中が曲がっている猫背状態の人。首が右側、左側、前側とこれも人によって違うんだ。
大声で笑っている人の背中はよく動く、喧嘩や怒り狂う人の背中は丸くなる。悲しんでいる人は猫背~幸せな人は何か明るいオーラのようなものを感じるし、肩が小刻みに震えている姿だって感じる。
そうね、どんな姿にも意味があるんだよね~
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2.人の後ろ姿で人は育つ
こんな話もあるよね~
「人の後ろ姿から学べ」
「人の後ろ姿から知る」
これはね、映画のセリフでも使われているけれど、スポーツ選手がひたむきに練習している姿からその人の後ろ姿から学べ、という意味に使われたり、仕事場でも、あの先輩の後ろ姿を見てどう思うか?なんて言葉もある。
もちろん、比喩の場合もある。
人のふり見て我がふりを直す、ではないけど、人の姿から何かを学ぶときに使われていることがわかるよね。
そう、その人の態度、その人の姿、でその人の考えていることを読み取るという考え方なんだ。
また、小説や映画の中でもこの「後ろ姿」を比喩した言葉が多い。そこで青空文庫から文学作品を見ていたら、膨大な「後ろ姿」の言葉を見つけた~
・・・ 僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の「後ろ姿」を見つめた。
・・・もちろん顔のほかにも肩つきであるとか「後ろ姿」であるとかあるいは歩きぶりとかというようなものが人の記憶と結びついてはいる。
・・・ 自分の席から二つ三つ前方の席に、向こうをむいて腰かけている老人の「後ろ姿」が見えていた。
ふと栗梅の縮緬の羽織をぞろりと着た恰好の好い庇髪の女の「後ろ姿」を見た。
・・・ 石井翁は取り残されて茫然と河田翁の「後ろ姿」を見送っていた。
・・・白地の手ぬぐいをかぶった「後ろ姿」、一村の問題に登るだけがものはある。満蔵なんか眼中にないところなどはすこぶる頼もしい。
・・・常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫の「後ろ姿」を見つめた。
※終わりに参考までにまとめてあります。
ね~
後ろ姿にも感情があり、言葉が隠されていることがわかるような気がする。
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3.母の後ろ姿
coucouさんの好きな作家でシスター 渡辺 和子さんが「母の後ろ姿」という文を書いていた。
50年以上経った今も、忘れられない母の後姿、それは、私が修道院に入って数ヶ月後、初めての面会が応接間で許された後、1人で門を出て帰っていった時の母の後姿です。
30歳で修道院に入った時、母はすでに70代の半ばで、1人で出掛けると、時に方角を間違えることもあって、外出には私がいつも付き添っていました。その母を残しての入会、付き添いもなく、1人で会いに来てくれた母の手には、柄の長い空色のパラソルがしっかりと握られ、それをコツン、コツンと突きながら門を出てゆく母の後姿に、見送る私は涙を抑えることができませんでした。
走っていって、パラソルの代わりに手を引いてやりたくても、それが許されない悲しさ、それをかみしめている私に、母は一度も振りかえらずに帰ってゆきました。その後ろ姿には、70年余りの間、母が耐え忍んだに違いない数多くの苦労が刻まれているようで、母の背は、以前よりいっそう丸く、小さくなっていたように見えました。
修道院に入るまでの7年間、家の経済を助けるために私は働いていました。毎月の給料を、封も切らずに渡すと、母は押し頂いてから、まず仏壇に供えるのが常でした。その後ろ姿には、歳を取ってから、迷ったあげくの果てに産んだ娘への複雑な思いがにじんでいるようでした。
そんなこともあって、働いた末、修道院に入りたいと申し出た私に、母は「なぜ、結婚しないのかね」と言いながらも、あえて反対はしませんでした。
入会前の夜だったと思います。風呂場で私の背中を流してくれながら、「結婚だけが女の幸せとは限らない」と呟いた母の言葉が、30年見馴れた母の後ろ姿を集約していたのかも知れません。
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4.人格って、後ろ姿に表れるれるんだよ~
山頭火の有名な歌に、「(自嘲)うしろすがたの しぐれてゆくか」というものがあった。
自嘲って何かな?と思ったけれど、どうやら反省か内省なのかもしれない。冬の寒い日でも托鉢は続く。
「毎日修行を続ける身でありながら、ときどき脱線して俳句仲間らに迷惑をかけ続ける自分を情けなく思います。しぐれの中で、その思いはいや強くなり、その自分の後ろ姿が、しぐれの中に少しづつ埋もれていきそうなのを、黙ってみつめているもう一人の自分がいます。」
情景と心情が遠景の中を表現した一句なんだね。
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この句は『行乞記』の昭和六年の末尾部分に記されている。
昭和六年十二月、山頭火は一時住んでいた熊本から再び行乞の旅に出発した。
たしかに、自分の後ろ姿は、鏡で見る以外は自分で見ることはできないよね。山頭火は、「他者に見られる自分」を強く意識している。
後ろ姿を他人に見られている自分を見て、自らを嘲る、という句のようだ。
そう、第三者の立場に立って自分の後ろ姿を想像したんだね。
だけど、どのような「姿」を自嘲しているのかな。
句の後半にある「しぐれ」は、初冬に降る通り雨のことで、山頭火も「しぐれ」という語を含む句を多く詠んでいた。その中で、
泊めてくれない村のしぐれを歩く(昭和五年)
さんざしぐれの山越えてまた山(昭和五年)
けふもしぐれて落ちつく場所がない(昭和五年)
しぐれてぬれて旅ごろもしぼつてはゆく(昭和十四年)
このように、行乞の旅の最中を詠んだと思われる。
まさに、漂泊の旅、行乞の旅に生きるほかない自分自身を客観的に見て、山頭火は「自嘲」(内省・内観)しているような気がする。
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5.涙が止まらない後ろ姿
coucouさんはね、後ろ姿を意識するようになったのは、チャップリンの映画を初めて見たときからなんだ~
当時は無声映画が花盛り、言葉なしの身振り手振りのパントマイムが主だった映画の世界~
coucouさんはね、そのチャップリンの映画を楽しみながら見ていたら、突然涙がとまらなくなったんだ~
だって、これは喜劇なんだよね~
笑いとユーモアで楽しさがいっぱいなんだよね~
だけど、どのチャップリンを見ても笑えない…。
他の人はどうしてそんなに楽しく笑えるのががわからない…。
だってね、チャップリンの映画はすべて悲劇じゃあないの?
coucouさんはね、どうしても喜劇に思えなかった~
白黒の映像で色のない、音や言葉のない世界~
それだけでも悲しい…。
だけど、チャップリンは全身のすべてを使いまくり演技する。
そう、頭から手から、指先、足の先、腰やお尻、そして、後ろ姿で観客にメッセージを与え続けた。
その痛々しい名演技を見ているだけで涙が零れてしまうんだ~
そしてこの下にあるチャップリンの後ろ姿~
coucouさんにはとどめの悲しさの場面…。
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だけど、チャップリンはこのラストシーンを使わなかったんだという。
それは、自嘲したのか?考え方を改めたのかはわからない。
そして、次のラストシーンが生まれた…。
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『モダン・タイムス』チャールズ・チャップリン、ポーレット・ゴダード主演映画。
チャップリンが演じているのは失業者、恋人でもあったポーレット・ゴダードは宿無し娘の役。まさに「役立たず」のこの二人が、腕を組んで歩き去っていく後ろ姿は感動的だった。
この『モダン・タイムス』を最後にトレードマークの窮屈な上着 にダブダブのズボン、黒い口髭、山高帽と竹のステッキにドタ靴という独特のチャップリン・スタ イルが姿を消した…。
これが本当のラストシーン~
そして映画の世界は無声映画が終わりを告げた…。
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そして、チャップリンのラストシーンの映像~
後ろ姿だけで言葉なんていらない~
coucouさんはね、ホッとして、嬉しくて泣いたんだ…。
そう、人生はね、ハッピーエンドなのだからね~
![](https://assets.st-note.com/img/1666420549998-3YQMbjlRLV.jpg)
coucouさんのホームページだよ~みてね~
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru
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