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歴史読書記録、歴史メモ

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日本仏像史メモ(木彫像)

日本仏像史メモ(木彫像)

※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照

奈良時代8世紀後半

仏像の製作技法に変化。カヤ・ヒノキを用いた木彫の出現
天平勝宝6年の鑑真渡来にともなう、新たな唐の影響によるものと考えられる。唐製の檀像(インドで最高の造物材料として尊重される白檀を用いた木彫像)との密接な関係
白檀の代用材としてカヤが使用された 60-61ページ参照

平安時代前期             仏

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日本仏像史メモ(飛鳥・奈良時代)

日本仏像史メモ(飛鳥・奈良時代)

※勉強のためのメモにつき不完全。『日本仏像史』美術出版社を参照

飛鳥時代6世紀、百済から公的に仏教が伝来。百済が従属していた南朝・梁は仏教的世界観を重視。
高度に体系化された大乗仏教の理念、儀式、黄金の仏像を受容。
推古朝から本格的な仏教国家建設が始まる。

飛鳥大仏

〈安居院〉と呼ぶ仮堂に本尊の〈飛鳥大仏〉(釈迦如来坐像)を安置。かつての中金堂の位置。

建久7年の火災のため、当初部は一部の

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考古学のメモ

考古学のメモ

参考文献:白石太一郎編著『考古学と歴史』放送大学教育振興会、2004年

欧州の時代区分:
旧石器時代(地質学の更新世=氷河時代=1万年以前の時代;打製石器が用いられた時代)
※旧石器時代後期=縄文時代草創期 ヨーロッパにおける旧石器時代にあたる時期に日本では磨製石器が使用されていた
中石器時代(完新世になったが、農耕牧畜が行われていない)
新石器時代(完新世になり、農耕牧畜が開始;磨製石器が用い

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史料学メモ

史料学メモ

木簡の史料的特質
『岩波講座日本歴史21巻』14~15ページ

同時代の第一次史料である。考古遺物の年代観に絶対年代を与え得る。また、古代における漢字文化の受容・変遷の実像が直接反映している。

日常的史料である。正史と異なり、六位以下の下級官人たちの情報も多く、彼らの実態がわかる。平城宮での毎日の食事の実態が伺える。

地方的史料でもある。人や物の動き、地方の地名・人名・産物の実態を物語る。

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鎌倉期前後の日中関係

鎌倉期前後の日中関係

参考文献:榎本渉「宋元交替と日本」『岩波講座日本歴史』中世2、2014年

【特徴】
貿易の盛行とその国内経済・文化への直接的影響
平安期の大概興隆は海商や入宋僧だが、当局の管理下に置かれていた。
→12世紀後半から13世紀前半にかけて、博多の宋人社会や周辺部での生活文化が全国的に受容されるようになる。
鎌倉時代には、各分野で「宋風」が顕著(あくまでも日本文化)。

平氏の貿易関与は院近臣の立場で

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柳田聖山・梅原猛『仏教の思想7 無の探究<中国禅>』角川書店、1969年

柳田聖山・梅原猛『仏教の思想7 無の探究<中国禅>』角川書店、1969年

一般的に無の思想と呼ばれるものは実は近代的な関心から要求された立場に過ぎない。明治以降になって西洋に対抗できるものとして東洋精神の伝統を仏教や禅に求めた。p20

ブッダが弟子たちに語った言葉を集めた『スッタニパータ』の背後にあるものは、「座禅と瞑想以外のなにものでもない」。p28
ブッダは「快楽と苦行の両極端を捨てて、誠実な中道をとるところに、真の意味での道を楽しむすがすがしい生活の発見があると

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参考文献<全般>

参考文献<全般>

辞典・年表類
『時代別国語大辞典』(三省堂)
『日本国語大辞典』(小学館)
『角川古語辞典』(角川書店)
『新版日本史辞典』(角川書店)
『古文書古記録語辞典』(東京堂出版)
『対外関係史総合年表』(吉川弘文館)

本文・索引類
『新編日本古典文学全集』(小学館)
『日本古典文学大系』(岩波書店)
『新日本古典文学大系』(岩波書店)

歴史的事象に関するメモ(随時追記)

歴史的事象に関するメモ(随時追記)

転載・流用禁止

【縄文時代】
・縄文時代とは、土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの日本列島域において、狩猟採集漁労を主な生業とし、本格的な定住生活を始めた人々が残した文化群の総称。この時期を指す。p8
・「戦争」を「集団間による激しい争い」と定義するのであれば、東日本の中期以降のように人口が集中し定住性の強い地域には「戦争」があった可能性がある。p21
・縄文時代・文化は戦後の新しい歴史

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疑問ストック(大学の勉強用)

疑問ストック(大学の勉強用)

戦場における「氏文よみ」
「源平合戦期までの戦場では、自らの出自を名乗るのが戦いの作法であったが、そこでは先祖以来の武勲が高らかに誇示されていた。」
『中世史講義』ちくま新書、p17

この部分、『保元物語』の引用を言及しているが、あくまでも物語の世界の話であって、本当に名乗りを上げていたのか?

戦いの作法はどこに書いてある?

E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書

“歴史は、紛失した部分が沢山ある大規模なピクチュア・パズルと呼ばれてきました。……私たちが知っている姿は、あらかじめ私たちのために選び出され決定されたものです”

“我々が読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である”

“十九世紀の事実崇拝は、文書崇拝によって完成され弁明されておりました。……すべてこれらは、

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渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国』中公新書、2012年

【三国時代】
魏:曹氏、司馬氏 VS 呉:孫氏 VS 蜀:劉氏、諸葛氏

【三国志の基本的スタンス】
・曹魏の正統性とそれを受け継いだ西晋の司馬氏を賛美するという目的がある
・打倒孫呉

・史学は儒教の中にある。夷狄伝は中華思想を展開する場
・「中国の史書において、夷狄伝は、中華の栄光を示すために書かれる部分である。南蛮や倭人のために、事実を記録しているわけではない」

【邪馬台国の位置】
・孫呉

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義江明子『つくられた卑弥呼――<女>のと国家』筑摩書房、2005年

・「卑弥呼=神秘的巫女」「政治は弟が行った」というイメージ、男女聖俗二元論に対する疑問。古代の女性のあり方と、卑弥呼像はかけ離れている。
・「魏志倭人伝」における「会同」は単なる宴会ではなく、政治的意味合いを持つ共同体的集会だった。そこでは着席順やふるまいに「父子男女」で区別がなかった。
・ほぼ8世紀ころまでの日本は、男女がゆるやかに結びついて簡単に離合する社会だった。流動的な家族関係は戸籍ではな

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義江明子『古代王権論』岩波書店、2011年

・地位継承次第系譜において、「A――子(児)B」と書かれていても、AとBが親子関係にあるとは限らない。
・一つの血統による世襲王権の成立が6世紀の継体~欽明以降であることは、研究者の間ではほぼ共通認識となってきている。欽明から推古について、『上宮聖徳法王帝説』は、「右五天皇、他人を雑える無く天下を治すなり」としている。逆に言えば、これ以前は非血縁継承が普通に行われていたということが言える。王族の形

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