記事一覧
TARO賞の投票数とゲソの数を比較した話
先日、第26岡本太郎現代芸術賞でオーディエンス賞をいただきました。
オーディエンス賞は、来館者のお気に入り作品を投票する企画で一番票をもらった作品に与えられる賞です。
投票用紙は美術館の廊下に掲示されていたので、行くたびに自分の作品にどれくらいシールが貼られているのかが一目で分かります。
賞にこだわりが無いとはいえつい気になってしまうもので、いつもドキドキしながら美術館の廊下を歩いていました。
西山さんからもらった少年マガジンを捨てられて、ゴミ箱がボコボコになるくらい泣いた話
昨日、父の入院に付き添いました。
父は病気ひとつない非常に元気な人間でしたが、このたび尿管がんが発見され、片側の腎臓切除手術を行うことになったので、その為の入院です。
父は本当に元気な人間で、そんな父の特性が私のマンガへの執着を深いものにしました。今回はそんな家族の話を書こうと思います。
西山さんと少年マガジン
いま川崎市岡本太郎美術館で、週刊少年ジャンプを500冊程ばらまいた作品を展示して
第26回岡本太郎現代芸術賞に出て感じたこと
岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)が始まってから二週間が経ったので
出展者から見た感想を書きます。
「受賞者無し」という結果を聞いて
受賞式に参加しました。
当たり前ですが、周りは出展作家ばかり。ほとんどが初めて見る面々。大体の人がフォーマルな服装でしたが、中には背中に気合いの刺繍が入ったガウンを着ている人や、このままハイキングに行けそうな軽装の人も。また、式の待ち方もそれぞれで、楽しく談笑して
なぜ週刊少年ジャンプを刻んで仏像を彫ろうとしたかについて
前2回の記事で、現代マンガ図書館がどういう場所だったのか、そしてどういう経緯で大量の少年ジャンプを手に入れたのかという話をしました。
ジャンプを切り刻む理由
前回、現代マンガ図書館では蔵書にならない重複本を中古販売用在庫に回すことで、捨てずに再分配を行っていたという話を書きました。
ならば私もジャンプをそのようにするべきではないのか。
引き取ったジャンプの中には現在プレミアとされる号もあり
ナイキコレクションの最後 ~マンガ文化を保存することの難しさ~
間が空いてしまいましたが、前回の続きです。
館長不在で進んだ図書館移転計画
「あらゆるマンガを半永久的に保存する」という内記稔夫館長の理念の下に、現代マンガ図書館で18年間働いてきました。
しかし、内記館長は2012年に逝去されたので、館長と一緒に働けたのは18年の内の10年間程になります。
なんだかもっと一緒にいたような気がしてしまいますが。
館長が倒れた2011年の時点で、マンガ図書館の
仏像制作中です
現代マンガ図書館と内記稔夫 ~ありとあらゆるマンガはすべて保存せよ!~
約18年間、早稲田鶴巻町に在った現代マンガ図書館<ナイキコレクション>に司書として勤めていました。
「早稲田に在った」と言うとよく早稲田大学の施設と誤解されるのですが、たまたま住所が早稲田なだけで大学とは全く関係無い私設の図書館です。
ちなみに早大生からの認知度は、図書館の隣にある油そば麺珍亭の1000分の1くらいです。
私設図書館と書きましたが、現代マンガ図書館は一人の民間人によって作られま
温泉行ったら仏師になっていた話
仏師とは
普段自己紹介する時、私は自分のことを「仏師(ぶっし)」と名乗っています。
仏師=仏を彫る人という意味です。
仏師にもきちんとした流派や師弟制度などがあり、自分は流派に属していないので名乗るのがおこがましい気持ちもあるのですが、自分のことを簡潔に説明しやすいので、仏師という名を使わせて貰っています。
温泉の土産物コーナーで仏と出会う
2012年冬、日本中に震災の傷跡がまだ色濃く残っ
無職になった翌日TARO賞に入選した話
(図書館以外の)仕事が続かない
去年の秋、仕事がゼロになりました。
本来は翌年の春まで続く契約だったのですが、色々あって残念ながら契約を途中で打ち切られてしまいました。
突然職歴の話になりますが、私は約18年間早稲田鶴巻町にあった現代マンガ図書館で司書として働いていました。
しかし色々あって2020年に現代マンガ図書館は閉館となり、蔵書は明治大学へ移設。
移設と同時に雇用も終了となりました。