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現代マンガ図書館と内記稔夫 ~ありとあらゆるマンガはすべて保存せよ!~

約18年間、早稲田鶴巻町に在った現代マンガ図書館<ナイキコレクション>に司書として勤めていました。

「早稲田に在った」と言うとよく早稲田大学の施設と誤解されるのですが、たまたま住所が早稲田なだけで大学とは全く関係無い私設の図書館です。
ちなみに早大生からの認知度は、図書館の隣にある油そば麺珍亭の1000分の1くらいです。

私設図書館と書きましたが、現代マンガ図書館は一人の民間人によって作られました。
内記稔夫。気骨のマンガファン。
貸本屋を営んでおり、捨てられずにたまったマンガ約3万冊を元手に、日本のマンガ文化保存を目的とした日本初のマンガ専門図書館を1978年に開設。
2012年に亡くなるまで、20万点を超える蔵書を、一部の寄付を除き全て自費で購入して運営してきました。

開館当時の記事


「マンガ」と名の付くものすべて


故内記館長のマンガ収集における大原則は
「”マンガ”と名の付くものは全て半永久的に保存する」
でした。
好みやジャンル、古書としての価値など一切問わない。
とにかく「うちに無いものは全てとっておく」という単純明快な収集方針でした。

以下は、図書館でよくあったスタッフのやり取りです。
例えば、お土産でもらったディズニーランドのクッキーをスタッフの一人が図書館に持ってきたので、休憩時間にみんなで食べます。
食べ終わって空になったクッキーの缶を見て、ある一つの”可能性”に気付き、みんなで頭を抱え始める。
「あれ、もしかしてこの缶、”蔵書行き”かな・・・・?」

”蔵書行き”かどうかは図書館にとって重要問題です。
本は判型が画一化されているので比較的収納しやすいですが、缶はかさばる。缶を保存する用のケースを新たに探し、狭い書庫の中から適切な収納場所を見つけて、他の蔵書に押し潰されないように入れなければいけません。あと、蔵書データを書いたりするのも地味に手間がかかります。
だから、出来れば”蔵書行き”は制限をつけてある程度選別した方がいい。
でないと収拾がつかない。

しかしここは「現代マンガ図書館」です。
面倒だから、収拾がつかないから、効率的ではないから。
そういった概念は存在しません。
あるのは「目の前の物体は”マンガ”と関係あるか」、
この一点のみの直球勝負です。

「いや・・・・でも、缶のプリントを見て下さい。ここに描かれているディズニーは実写風ですよ?マンガどころかアニメですらない。」
「でも原案はあくまでウォルトディズニーだよ。ディズニーをマンガ家として捉えるのであれば、やはりこれはマンガの派生物ではないか?」
「そもそもこれを現代マンガ図書館の蔵書にして、誰が閲覧するんだろうって所ありませんか・・・・?」
「いや、100年後にはこれが世界のどこにも現存しない重要な文化資料になっているかもしれないじゃない・・・・」

出来るだけみだりに蔵書を増やしたくはない。
かと言って、マンガと名の付くものを安易に廃棄する訳にもいかない。
クッキーの缶を捨てるかとっておくかで話し合いが延々と続きます。

いくら話し合っても埒が明かない場合、最終的な判断はマンガ図書館内でいつしか常套句になったひとつの合言葉によって半ば強制的に終止符が打たれます。その合言葉は
「疑わしきは保存する」
です。
四の五の言わずに保存!保存!保存!
かくして、ほとんどの物は蔵書行きとなるのでした。

ディズニーのクッキー缶を勝手に捨てたところで館長は怒りません。
しかし、館長の「全てとっておく」という理念にこそ現代マンガ図書館の存在価値がありました。
実際に現代マンガ図書館にしか現存しない本が多数存在している以上、
「日本のマンガ文化が後世の人達にも伝わるように保存する」という目的の為には、館長の掲げる原則を何よりも最優先する必要がありました。

今の人達から見れば、もっとこうすればいいのにとか、シンプルに頭が悪そう、という感想を持たれるんじゃないかと思います。自分達でも非効率だという自覚はありました。しかしただとにかく、これが現代マンガ図書館のやり方だったとしか言えず・・・・

ちなみにクッキー缶の議論は最後にこう終わります。
「そういえばクッキーにもキャラクターの顔がプリントされてたね・・・・
缶を保存するなら、クッキーも食べないで缶とセットで保存すべきだった!」

参考:書庫からなぜかマルコヴィッチのお面が出てきた時の写真。

つんではくずし

当たり前なのですが、廃棄しないと本は無尽蔵に増えていきます。
現代マンガ図書館の書庫はけして広くありませんでした。
マンガが増えても置く場所が無いという問題はスタッフの恒常的な悩みで、というかマンガ図書館の仕事の半分は蔵書保管場所を確保する為の肉体労働に割かれました。
ただひたすらマンガの山を縛って・積み上げて・組み替えて・・・・の繰り返しです。

何日・何週間もかけて本を天井まで積み上げて、やっと新刊本を入れられるスペースが確保できたと思ったら、数日後書庫に入るとあら不思議、見えていたはずの床が見えず、見たことのない本の山が占拠している。
呆然としていると、館長がひょいとやってきて
「なんか丁度いい場所があったから、古書市でいっぱい買ってきちゃった、えへへっ」
と無邪気な笑顔で言うのでした。

館長が買ってくるマンガの量のイメージ図


僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ


現代マンガ図書館での日々は、狭い書庫にいかに本を一冊でも多く詰め込めるか試行錯誤する日々でした。

ダンボールに一ミリの隙も無く本を詰められた時の喜び、
天井までカチッとピシッと角を揃えて雑誌を積み上げられた時のその美しさ。
薄暗く寒い書庫の中で繰り返される、視野の狭い世界。

余談ですが、最近餅の食べ過ぎで5キロ太ったのでヤバいと思い、ジョギング気分を奮い立たせるために村上春樹のマラソンエッセイを読みました。

このエッセイの中で、所詮は同じことの繰り返しであるマラソンを、なぜ苦しい思いまでして続けるのかという自問について村上氏が以下のように書いていて、その言葉が当時の自分の心境を言い表すのに相応しく感じたので、引用します。

そう、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない。僕はそう思う。そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。
やれやれ。

やれやれ。
かくして現代マンガ図書館が醸成していった思想は、はっきりと私自身の人格の一部にもなっていったのでした。やれやれ。


マンガを集めるという業


仕事柄マンガを大量に保有するコレクターと呼ばれる人達をたくさん見てきましたが、マンガの収集保存に関して内記館長ほど夢が純粋で大きくて、業が深く、突き抜けていた人を知りません。

私自身もマンガを処分しない性格です。マンガの単行本を捨てたことがなく、特に小学生の頃から読んでいた週刊少年マガジンは、自分を育ててくれたものという愛着があったのでバックナンバーを捨てられずに全部とっておいてありました。

しかし20代で現代マンガ図書館と内記館長に出会い、館長の理念の前には、ノスタルジーだけでマガジンを保存していることがあまりにちっぽけに思えたので、考えた末、全部図書館に寄贈しました。
(図書館には既に同じ号が揃っていたので、当時建設中だった京都マンガミュージアムの蔵書行きとなりました)

そんな館長の分身である現代マンガ図書館に勤めた身として、
館長の死後も館長の理念を守るという意識は強かったです。
しかし、そう物事はうまく運ばないのでした。


このnoteは西の作品の制作過程を記すために立ち上げたのですが、今回は自分のルーツである現代マンガ図書館がどのような所だったかの説明が中心になりました。
次の投稿では再び自身の話に戻り、なぜ少年ジャンプ仏を作るに至ったかの経緯を書こうと思います。
読んでいただきありがとうございました。

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