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不登校園児が喫茶店でヤングマガジンを毎日読んで育った結果

破天荒な母

前回のnoteで父とマンガの話を書きました。
折角なので、ついでに母とマンガの話を書こうと思います。

「父はマンガとアニメの区別がついていない」と前回書きましたが、母は父以上にマンガのことを知りません。というか私の仕事内容に興味がなく、興味があるのは「そこに金があるか無いか」の一点突破主義なので、父と違って「結局お前のしている仕事は何なんだ」と問われることもありません。
ただひたすら「折角大学まで行ったのに何だこの体たらくは」と嘆くのみです。たまに本当に泣いて罵ります。嘆いていると勝手に感情が高揚するようです。感情のままに動く自由な母です。

しかし、私のマンガ好きは確実に、そんな母の特性から始まっています。
(父編と同じ書き出しにしてみました)

立ち読みばかりしていた石神井での幼少期

私の記憶にある最初の母は「喫茶店のママ」です。
私が3.4歳の時に、母は東京都練馬区にある石神井公園の駅前で「珈琲村」という名の喫茶店を始めました。
広告代理店勤務で忙しい父と小学生の姉、そして4歳の私を抱えながらどうやって開店までこぎつけたのか分かりませんが、めちゃくちゃ力業でねじこんだのであろうと予想します。なぜそう思うかというと、喫茶店開店後の私はほぼ放し飼い状態になり、結果、幼稚園不登校児になったからです。

不登校と書くとどこかネガティブなイメージがありますが、当の本人は気楽なものでした。
たぶん、お友達にちょっとしたことでいじめられたのをきっかけに幼稚園へ行くのを嫌がったのだと思います。どうしても行きたがらないので親が割とライトに匙を投げて、「じゃあもううちらも忙しいから行かんくてええわ」みたいな流れになったのだと思います。

幼稚園に行かなくなった私は、日中は母の喫茶店の更衣室(「更衣」が読めなかったので「コーヒー室」と呼んでいました)で過ごし、夕方のチャイムが鳴り姉が家へ戻ってくる時間に合わせて店から自宅まで徒歩10分の道程を帰宅する、という生活を送っていました。

狭い「コーヒー室」での時間は幼い私にとってちょうどいいサイズ感で、快適でした。
2階の小さい窓を開けるとすぐ目下に大きい室外機があり、そこにワリバシを突っ込むとカンカンといい音がするので、しばしうっとり聴いていました。また、天気の好い日はエンボス加工の窓ガラスにあたった光が屈折し、ちょうどコーヒー室の床の中央に光の粒の固まりが生まれます。それを何とか閉じ込めたくて、そこらじゅうから引っぱり出した毛布や布団をうず高くかぶせてみたり(どんなに積んでも光の粒が埋まることはありませんでした)、そんな格闘の後は、チラチラ舞う埃が日差しに反射するのを仰向けでずっと眺めている。
そんな子供時代でした。

「コーヒー室」の小世界に飽きたら店に出て、母のチーズケーキづくりを手伝ったり、カウンターの下にもぐり込んでお客さんを驚かせたり、それにも飽きたら向かいの神社でひとり遊びをしたり(ひとりかくれんぼで車の下に潜って隠れるのがお気に入りでしたが、見つかってめちゃくちゃ怒られました)、隣の「いずみ書店」という本屋さんでずっと立ち読みをしていました。
昭和の本屋は今と違ってコミックスにビニールカバーがかかっていなかったので読み放題です。

いずみ書店で毎日何時間も立ち読みしたことで足腰は鍛えられ、集中力が育まれ、何より漢字がたくさん読めるようになったので、小学校では天才扱いでした。幼稚園で不登校だった私のイメージは、マンガで覚えた漢字のおかげで完全に払拭され、華麗な小学校デビューを果たしたのです。

まだ「マンガを読むとバカになる」と言われていた時代です。幼稚園をサボってマンガを読みまくった結果漢字博士になって同級生や大人たちにちやほやされるなんて思いもしなかったことなので、子供心にどういう顔をすればいいのか分からなかったものです。

珈琲村のヤングマガジン

いずみ書店で読んでいたのは主にコミック単行本や、ケイブンシャの大百科シリーズのような物です。


いずみ書店で足が疲れたら、喫茶店に帰り、置いてあるマンガ雑誌を読みました。
喫茶店の客層向けなので、いずみ書店では見かけなかったラインナップです。(たぶんあったのでしょうが、視界に入っていませんでした)ヤングマガジン、ヤングジャンプ、週刊少年マガジンなどがありました。
前述した通り、基本的に自由に育てられていたので、親による検閲はゼロでした。誰にも咎められず、無邪気に「孔雀王」「甘い生活」「マッドブル34」などを愛読する幼少期は、エロと暴力とオカルトにまみれてめくるめく摩訶不思議な毎日でした。

教育と母の人生

今だったら炎上か児相案件になりかねないエピソードばかりですが、この少しだけ特殊な幼少期の日々が現在の私という人間の素地を作っていて、中々のおもしろ楽しい人生を歩めているので、親には感謝です。

世間一般的には物心もつかない子供にエロ暴力を見せるのは教育に悪いといいます。それで言うと私はド底辺な教育環境で育ちましたが、有難いことに不当に人を傷付けるような犯罪は犯さずにここまでやってこれました。まあ確かに多少変態になり、少年ジャンプで仏像を彫るというよく分からない人格には育ちましたが・・・・

ちなみにうちの母はその後自由が行き過ぎていろんな騒動を起こし、今は練馬区の片隅でほそぼそと余生を送っていますが、子供の私から見母は、自由で幸せな人生を送った人だと認識しています。
少なくとも、自分の育児が原因で喫茶店の夢を諦めるということをしないでくれて本当に良かったです。

そんな母も今では体がろくに動かなくなり、店を切り盛りしていた頃の精力的な面影は全く無く、顔を合わせるたびに「アニメ(しつこいですがマンガと言い間違えてます)なんてくだらないことばかりにかまけて貧乏で情けない」と愚痴をこぼしてきますが、私をマンガに夢中な人間にした原因の根っこは明らかに母なんですよね。
そんなことには微塵も気付かないしかめつらの母を無言で眺めるたびに、人生は面白いと思います。

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