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ナイキコレクションの最後 ~マンガ文化を保存することの難しさ~

間が空いてしまいましたが、前回の続きです。

館長不在で進んだ図書館移転計画

「あらゆるマンガを半永久的に保存する」という内記稔夫館長の理念の下に、現代マンガ図書館で18年間働いてきました。
しかし、内記館長は2012年に逝去されたので、館長と一緒に働けたのは18年の内の10年間程になります。
なんだかもっと一緒にいたような気がしてしまいますが。

館長が倒れた2011年の時点で、マンガ図書館の蔵書を明治大学に全て寄贈するという話は既に決まっていました。

なので、残されたスタッフのミッションは館長の遺志を引き継いで、明治大学へ蔵書を一冊残らず移動し、希望通りに保存してもらうよう寄贈の詳細を詰めることでした。

このミッションは結果的に概ね達成されました。
そもそも「現代マンガ図書館の蔵書を全て引き受ける」という最優先にして最難関の条件をのんでくれたのが明治大学だけであり、100では無いにしてもその条件を最後まで考慮してくれた明治大学の関係者の方々には感謝しかありません。

しかし、万事が万事うまくいったわけでないことも事実です。
大学の経営陣が交代したことで移転計画自体が微妙になったり、話が二転三転する内に計画が予定より何年も遅れ、割いてもらう予算も減ったり、肝心の蔵書の保存方法に関しても相容れない点がありました。

ダブり本(重複本)のゆくえ

仕方の無いことと理解しつつも残念だったのは、大量の重複本が明治大学へ行くことなく処分されたことです。

現代マンガ図書館では、蔵書とダブっている本は基本的に販売用在庫にあてていました。図書館の1階を古書店にして、重複本は基本的に全て古書店行きです。
これも必要な人の手に再分配することでマンガを捨てないという方策のひとつでした。

しかし実際に古書店で売れるものはほんの僅かなので、重複本は増える一方です。それでもマンガ図書館としては、蔵書が傷んだ時の交換用に重複本の保存は必要と考え、捨てませんでした。重複本は全部で数万冊あったと思います。
目に余るほど同じ本が何冊もダブっていて「さすがに交換用でもこんな要らんやろ」と判断された本は、最終的に「あて紙」に再利用されました。あて紙とは、蔵書を紐で縛る(マンガ図書館では本棚に入りきらない蔵書を全て紐で縛って管理していました)時に、束の上下に挟むことで紐の食いこみを防止するためのカバー板です。
とにかく、とにかく捨てない図書館です。

雑誌を保存するということの難しさ

マンガの出版形態は大きく「単行本」と「雑誌」に分かれますが、「雑誌を保存対象にするかどうか」で保存の大変さは段違いに変わります。

まず雑誌は大きくてかさばり、場所をとる。
そして単行本と比べて紙質が脆いので、傷みやすい(だから交換本が必要になる)。
ごく一部のレア本を除いて読まれる需要がほとんど無いので、死蔵される可能性がとても高い。
コスパが非常に悪い書物です。

しかし、いざという時に重要資料となるのもまた雑誌です。
まず、上記の理由のためにほとんどの雑誌が捨てられるので、現存数が少ない。
一度捨てたら二度と手元に入って来ない。
そして、単行本と比べて情報量が圧倒的に多い。

例えば、単行本化されずに雑誌掲載のみで終わった作品は数限りなくあります。それらの作品は掲載誌の現物がこの世から無くなってしまうと、作者本人が原稿を保存していて自らネットに再掲するというようなことの無い限り、永久にマンガ史からその作品がこの世に出版された証が消えてしまいます。
マンガだけでなく、特集ページや読者投稿欄、グラビアや広告なども重要です。それらは読み捨てられる情報として載せられているので一部の例外を除いてまず書籍化されることはありません。しかし当時のリアルな民俗史的情報が沢山詰まっていて、日本の歴史を正確に紐解くのに重要な資料となります。

実際に、マンガ図書館に訪れるお客さんは「ここにしか無いと聞いた」雑誌のバックナンバーを求めて訪れる方がほとんどでした。
中には図書館の雑誌にしか載っていない情報を大量に撮影して本を作られる方もいらっしゃいました。
下の本はその一例です。


行き場の無いジャンプを引き取る

雑誌を所蔵することの大変さをつい長く書いてしまいました。話を戻します。
そんなこんなで、雑誌は一度捨てると後で取り返しがつかないので、可能な限り保存していました。
明治大学もその意図を汲んでくれて、おおよその重複本を預かってくれたのですが、それでも古書店スペースに残された本や、押入れに眠っていた大量の雑誌は、時間切れのような形で大学に引き取られないまま処分されることが決定しました。

大学の方も無尽蔵に本を置けるわけではないので、全部引き取れないことは解っています。
そして、館長のご遺族が、引き取られず残された大量の本を捨てる以外にやりようが無いことも仕方がありません。
でもあの本の山の中に、日本にとって重要な文化資料が眠っていたことも事実で、やり切れない気持ちを隠せなかった私は、大学移転作業が全て終わり契約終了となった翌日、ニコニコレンタカーで借りた軽トラックで図書館に行き、まるで火事場泥棒のように残された雑誌を引き取りに行きました。

所蔵フロアのスペースがなくなったので急場しのぎで、住人が退去した後の住居フロアをリフォームしないまま在庫をつっこんだ六畳の和室部屋。在職中、この畳がすりきれた部屋に何度も入り、雑誌の山をよじ登って天井に頭をぶつけながら、お客さんの目当ての一冊をよく掘り出したものです。

左側が雑誌です

軽トラックで勢いよく乗り付けたものの、他のものも積んだ結果、荷台には雑誌の山のほんのひと握りしか積めませんでした。
和室にあったのはサンデー、マガジン、キング、ジャンプ、チャンピオン。
考えた末、この中で最も広い場所を占めていたジャンプに絞って引き取ることにしました。
理由は単純で、日本のマンガ雑誌の代表といえば週刊少年ジャンプだからです。
もしマンガ図書館の形見を用いて、この思いを何かしらの形で表現するとなった時に、やはりその表紙はジャンプが一番相応しいだろうと思いました。

内記館長が人生をかけて集めたものが消えそうになっている。それを少しでも救出しようとしているそんな時ですら、打算的に本を選り好みしている自分。
館長の「マンガに上下貴賎なし。マンガと名のつくものは全て等しく保存すべきもの」という最も尊敬していた理念を、最後の最後でも実践出来ない中途半端な自分が居ました。

このジャンプが時を経て現在、仏像となるのですが、
また話が長くなってしまったので次回に続きます。
現代マンガ図書館の話はいったん次回で終わりです。
もうちっとだけつづくんじゃ(亀)


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