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無職になった翌日TARO賞に入選した話

(図書館以外の)仕事が続かない

去年の秋、仕事がゼロになりました。
本来は翌年の春まで続く契約だったのですが、色々あって残念ながら契約を途中で打ち切られてしまいました。

突然職歴の話になりますが、私は約18年間早稲田鶴巻町にあった現代マンガ図書館で司書として働いていました。
しかし色々あって2020年に現代マンガ図書館は閉館となり、蔵書は明治大学へ移設。
移設と同時に雇用も終了となりました。

そこから旅行関係や位置ゲーアプリの会社などに転職するものの色々あって、〜〜いずれこの色々な色々もnoteに書くと思います〜〜
いずれも1年ももたずに退職。
アプリの会社は3日で辞めました。

「そこで働きし者は皆精神に異常をきたして去っていく」と噂されていた現代マンガ図書館で17年間を勤めあげたことは「どこでも働ける」という自信に密かに繋がっていたのですが、その後パパパパーン!と破竹の勢いで退職を繰り返すことにより、自分が中々の社会不適合者であることと、たまたまマンガ図書館と奇跡的に相性が良かったことに気付くのでした。

そこから勉強をし直し、デザインと仏像制作の仕事を一人で始めたのですが、冒頭に書いた通り契約が途中終了となり、ここで社会不適合スタンプカードが一列分くらいたまったので、オフハウスで1500円で買ったこたつの中で人生の10%OFF期間を過ごしている現在です。

自分の中に毒を持て

直近まで仕事をしていた会社の社長さんは岡本太郎に傾倒しており、夏のある日「自分の考えていることがこの中に全て書かれているので読むように」と言いながらある一冊の本を私にくれました。

「自分の中に毒を持て」。
私も岡本太郎の著作は好きで色々読んでいるのでこの本も以前に読んでいましたが、本を貰えたことが単純に嬉しかったので何度も読み返しました。
その後その会社との契約が切れることが決まった日、私は内心「心に毒を持てなくてごめんなさい」と思いました。純粋だった訳ではなく、ただ単に毒を自分の中で育てられない程弱りきっていたのです。

もしまだ早稲田鶴巻町にマンガ図書館があったら、
もしあの人が生きていたら、
もしあの人の働きかけが通っていたら、
もしあの社長さんの望むようなTARO的生き方を実践出来れば、自分は今も働けていたんだろうか・・・・などと、いろんな”if”が浮かんでは消えて、
キリがないのでもう何も考えないようにしようとこたつに潜り込んだその時、スマホに新着メールが届きました。

送信元は「第26回TARO賞事務局」。
なんと、以前に駄目元で応募していた岡本太郎現代芸術賞の入選のお知らせでした。
びっくりしてこたつの中で腰を強く打ちました。
あまりに忙しくて、応募したことをすっかり忘れていたのです。

捨てる紙あり、拾う紙あり

捨てるTAROあれば拾うTAROあり。
そして今回私が応募した作品は、「捨てられた少年ジャンプで彫る仏」です。
賞に入選したのはもしかしたら、あの夏にTAROを何度も読んだ信心のおかげかもしれません。

とにもかくにも、せっかく与えてもらった発表の機会です。
なんとか力を振り絞ってオフハウス1500円のこたつから出て、私にできる精一杯の作品を作ろうと思い、
その意思表明としてnoteを始めた次第です。

この文章だけ読んでも、「少年ジャンプで仏を彫る」って何言ってるかちょっとよく分からないと思います。
ただでさえ私の身の上話はよく「情報が渋滞していて混乱する」と言われるので、ある程度の量の文章を何度も投稿できるnoteがいいと思いました。
(ちなみに次の記事からは「サンバ」という言葉がちょいちょい出てくるのでよろしくお願いします。)

このnoteはTARO賞の始まる2月18日まで、展示作品の制作過程も含めて書き続けるので、「TARO賞ってよくあるアート展だと思っていたけどこんな人も出ているんだな、ちょっと観に行ってみようかな」と足を運ぶきっかけになることを目標にしています。
TARO賞は毎年どの作品もぶっ飛んでいます。
私の作品が無かったとしても是非いろんな人に観てもらいたいアート展なので、是非。

次回は、私の作品群の核と言える「仏像彫刻」のきっかけについて書きます。
かいつまんで言うと、温泉旅行に行ったらいつの間にか仏像を彫っていた、というような話です。

これからどうぞよろしくお願いいたします。


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