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第26回岡本太郎現代芸術賞に出て感じたこと

岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)が始まってから二週間が経ったので
出展者から見た感想を書きます。

「受賞者無し」という結果を聞いて

受賞式に参加しました。
当たり前ですが、周りは出展作家ばかり。ほとんどが初めて見る面々。大体の人がフォーマルな服装でしたが、中には背中に気合いの刺繍が入ったガウンを着ている人や、このままハイキングに行けそうな軽装の人も。また、式の待ち方もそれぞれで、楽しく談笑している人もいれば、一方では「早く帰りたい・・・・」と呟いている人もいました。
こういう人たちがTARO賞に出るんだなあ~と、何もかもが初めてな私は興味津々で会場を見ていました。

やがて前方に審査員の方々が登場。
この人の著書を読んだなあ、この人の美術館には何度も足を運んだなあ
、と半ば芸能人を見るような目で眺めていると
「今年は岡本太郎賞・敏子賞の受賞者はおりませんでした」
という結果が発表されました。

その後審査員の皆さんからコメントをいただきましたが、体感7割くらいが「受賞者無し」という結果に対する、慎重に言葉を選んだフォローでした。

過去にも受賞者無しはある、受賞者だけがその後アーティストとして大成するとは限らない、選びたかったが岡本太郎の名前を冠する賞として見た時にコレと言える作品が無かった、けど今後も頑張ってほしい、等。
話を聞いている内に、なんだか気を遣ってフォローしてもらってすいません・・・・という申し訳ない気持ちに。
「岡本太郎」の名を冠する賞であるなら、作者や外部を慮ったやさしい言葉ではなく、痛くてもいいので肉薄した審査の言葉をいただく方が今後の指針になると思いました。苦慮の末、岡本太郎の名に相応しい作品が無いと判断されたのであれば尚更、きれいではない、ここちよくない態度表明があってもいいのではないでしょうか。

・・・・などと非常に偉そうなことを思いながら審査員の皆さんのスピーチを聞いていました。
私個人はもっとベラボーにとか言われるだけで涙目になってしまう軟弱者なので、自分が受賞しなかったことは当然の結果と捉えています。もちろん万が一賞をもらえればひっくり返るくらい嬉しいですが、入選したこと自体が既に「万が一の出来事」だったので、岡本太郎美術館に2か月も展示させてもらえるだけで充分過ぎるくらい光栄です。
もしも次回応募することがあるなら、「万が一」を「千が一」にするくらいの強い心で参加できればいいと思います。

それくらいの志なので、審査員の言葉を聞いていて
ほー過去にも受賞者が出なかった回があるなら今回もそんなもんなのか~
とぼんやり思っていたのですが、あとでパンフレットに載っている歴代受賞者一覧を見たら、全然過去に無い。
正確に言うと、初期は大賞無し続出だったけど、流石にそれはアカンとなったのか第10回(2007年)から賞の構成をリニューアル。
それ以降は必ず太郎賞と敏子賞が選出されてきました。

今年はリニューアルしてから初の受賞者無しだったということで、、
審査員の皆さん、非常に悩まれたかと思います。
そりゃあんな歯切れの悪いコメントにもなるでしょう。なんかすいません。

でも、フォローの言葉など必要ありません。
むしろちょっとわくわくした気持ちになりました。
これがもし岡本太郎さん本人或いは岡本敏子さんの出した結果ならもう少し悩み甲斐がありますが、今回の結果はあくまで「みんなのかんがえた岡本太郎賞」をこねくり回した結果に過ぎません。
16年間出し続けてきた受賞者を途切れさせる判断をしなければならない程、今回の出展作品たちには「みんなのかんがえた岡本太郎」における何かが欠けていたのでしょう。
しかし欠落は、新しい時代を予感させる萌芽です。

「この作品好きだけど、岡本太郎的(或いはアート)かと言われると、なんか違うかも」
という作品が、会場を見回すといくつもあります。
私はそれらを見て、同時代を生きている実感を強く感じ、活力を得ます。
この中から再挑戦して未来の岡本太郎賞をとる人が現れるかもしれないし、アートとはまったく違う道へ羽ばたく人もいるように見受けられます。
そんな未来を内包した作品群の隙間を練り歩き、ふと自分の作った仏像を目の前に立ち止まった時、「自分はこの先どんな未来へ散っていくんだろう」というあまりにふわふわした不確かさに、不思議なよろこびをおぼえるのです。

出自も作風もまったく違う人たちが岡本太郎という名の凸レンズにぶつかり、平行光線が集まって一瞬だけ焦点を結ぶ。
そしてまた各々が照らすべき場所へ拡散していく。

その一瞬の焦点が岡本太郎現代芸術賞展という場であるなら、こんなにおもしろい祭はないように思います。だから、賞無しというおもしろい結果を更に与えてくれた審査員の皆さんには感謝だし、そこに自分も構成要素のひとつとして交われたことが幸せです。
ありがとうございます。


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